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人生の豊かさについて、父と語った昼下がり

父と2人でランチに行った。

いつもならそこに必ず誰かがいたけれど、
今回は父と娘、2人きり。

人生で初めての体験だった。


ふと思い立って父に提案したところ、
快諾してくれて、すぐにお店も予約してくれた。

夫と3人のこどもたちも、行ってらっしゃいと見送ってくれた。




当日。

『35階のお寿司屋さん』と覚えて東京駅に降り立ったものの、
思いのほか35階以上のビルがずらりと立ち並んでいて驚愕!!

正直、そんな高さの建物ならば目立って分かりやすいと思っていたのに…。

(ぬわぁぁ!!東京すげぇ……∑(๑ºдº๑)!!!!)


東京生まれ東京育ちとは思えないほどに、私は都会に疎い。

滅多に来ない都心に感動しながらも、あらゆる文明の利器を駆使して、なんとかお店にたどり着いた。



父の予約してくれたお寿司屋さんは、本当に美味しかった。

見た目も美しい…

厚く切られたお刺身に醤油が刷毛で塗られていて、
そのままいただくのだが、口に入れた瞬間に……

「!!!!!!!」

美味しくて、その美味しさをそのまま叫びたかったけれど、静かな店内ではさすがに控えた。

でももう美味しくて幸せだったのが顔面から伝わっていたのだろう。

父も、握ってくださる板前さんも、ウエイターさんも、目尻を下げながら笑っていた。


他にも、しいたけの握りと、お吸い物、桃のシャーベットが、今まで食べたことの無いほどに美味しくて感激だった。

焼きしいたけの握り。珍しい!!


……おっととと。
気付いたら食レポの記事になりかけてたので本題に戻ります(笑)



美味しいお寿司を堪能しながらも、父と、人生について語り合った。

はじめは「〇〇さんがさぁ」と、対象の人について話していたのだけれど、
次第に『正解を求める人』と『正解を求めない人』の話へと発展していった。


話しているうちに、父も私も、『正解を求めない人』であることが分かった。

そして、『正解を求める過程を楽しむ人』であることも。




父は学生時代に哲学科を専攻していた。

幼稚園児の時から辞書を読み、言葉の意味について興味があったらしいし、

小学校の中学年の頃には、宇宙はどこまで広がっているのか、時間というものの外には何があるのか、考えていたら眠れなくなるほどに考えていたらしい。

そういったエピソードを聞くと、『考えるのが好き』とか『想像するのが楽しい』というより、もはや『息するように考えている』のかもしれないと思った。


(あぁ……私は父の娘だなぁ……)
と改めて感じる瞬間でもあった。

私からしたら、『考えない』方が不自然で、自然体でいる時には勝手に『考えている』状態になっている。

生きていれば、考える題材や材料なんていくらでも湧いて出てくる。つまり、考えない日なんてないのだ。


父は、今でも量子力学や時空の概念などにも興味関心があるようで、本も読んでいると話していた。


私は量子力学や時空や宇宙についてはあまり興味はわかないけれど、
愛や感情など、『目には見えないもので、なおかつ正解がないもの』について、ものすごく興味関心を持っている。


私も父も、気になったことは追い求めるように調べ、どこか正解を探しているのだけれど、知れば知るほど『わからない』ことが分かっていく。

『わからない』ものこそ、私達にとっては面白いのだ。


そして、「そのことについて考えることが【豊かさ】なんだよね」と。


豊かさを共有できたとお互いに認識できることって、本当に心が満たされるなぁと実感した。

私と父にとって、その時間は間違いなく豊かな時間として心に刻まれた。



寿司屋から出て、「少し歩こうか」と父が提案してくれた。
仕事の合間に来てくれていたのに、時間ギリギリまで
話そうと思ってくれた気持ちが嬉しかった。


地下通路を通りながら皇居を目指して歩いた。



父の仕事は、『無くても生活に困らないもの』なんだと話してくれた。

日常生活で必要なライフラインや衣食住に関わることではない。エンタメは娯楽であると。


元々は、田植えをしている人達の横で歌ったり踊ったりする『田楽(でんがく)』が、芸能の始まりであったとされるらしい。(※諸説あり)

田植えをしている人達が生きていくために必要な労働者であるのに対して、歌ったり踊ったりしている人達は絶対に必要な労働者とは言い難い。


それでも、田楽が当時の農家さんたちの心を豊かにし、活力を与えたことは大きな功績であり、大切な存在だったのだと私は思う。


『別に無くてもいい』ものに対して、価値を付け、ビジネスとして成り立たせるためにスポンサーをつけたり試行錯誤する。

そして、その世界に憧れる人は多いが、生き残れる人達は少ない。


父は、

「ゼロからイチを生み出す才能は自分には無いと思った。自分よりも優れた才能がある人達がいたから。ただ、そういう素晴らしい才能を持った人達は、自分の才能をアピールしたり、発揮する場所を見つけるのが苦手だったりもする。そういう人達を発掘して、輝ける機会をつくる。それをいろんな方面から繋いでいって、ひとつの作品を創っていく。俺はイチから何倍にも広げていくことは得意だった。就職先にはその力を活かせる場所があったから、運が良かったよなぁ。」

と話してくれた。


この話を聞いて、私は鳥肌が立った。

私も高校生の文化祭で劇をやった時に、まさに父の話した役割を担っていたからだ。


劇を完成させるためには、

『人前で注目を浴びたい人』
『主役は求めてないけれど演じるのが好きな人』
『イラストを描くのが上手い人』
『大道具の設計ができる人』
『設計どおりに組み立てるのが上手い人』
『音楽や音響のセンスがある人』
『お客さんの誘導が上手い人』
『制作側ではなく観客側として楽しみたい人』等、

これらの人達の才能を見つけ出し、担当を決め、みんなのモチベーションを上げながら、誰よりも私が楽しみながら企画を進めていく。

それが私の役割であり、得意分野でもあった。


実際に、当時の劇は1日8公演で、毎回満員御礼となり、大盛況で終演を迎えた。


そんな話を父にしてみたら、
「あぁ。(俺達の仕事は) ずっと文化祭やってるみたいなもんだもん(笑)」と笑っていた。


父が仕事を生き甲斐に生きていたことは、子どもの頃からなんとなく分かっていた。

けれど、改めて話してみることで、本当にやりがいのある好きな仕事を続けてこられたんだなぁと感じた。



一方で、家庭に対する責任をずっと背負い続けてきたことも、彼の口から初めて聞いた。

『あのこと』が無ければ、今頃どうなっていたんだろう……。と、ふと思った。

もちろん、「たられば」で考え出したらキリがない。

今とは別のパラレルワールドを妄想するのも結構楽しいので私はこの時間が好きなんだけどね。


ただ、『起きた出来事』を今の自分がどう捉えていくのかで、人生の見え方は変わってくると最近つくづく感じる。


「いろんなことがあったけどね、私はお父さんが豊かに、幸せに生きててくれたら嬉しい!」と伝えた。


ずっと密かに持ち続けていた本音を、父に言葉で伝えられた。

もう、それだけで良かった。


父の「うん。ありがとう!」は、おまけのデザートのように、『わーい♬.*゚』と受け取った。



父と今日話した感覚を共有できたことは本当に尊い経験となった。

これまで感じたことの無い程に、自分の感覚を好きになれた気がした。

あぁ、もう認めてもいいんだなって思えた。

父の中から【私らしさ】を見出し、私の中から【父らしさ】を感じた。


世界のどこかに似た感覚の人がいる。
自分の気持ちを、理解してくれる人がいる。

しょっちゅう会うわけでもないし、今後父と暮らすことはもうないだろうけど、
それでも、父の存在が私の中から消えることは無い。


もうそれだけで、私はひとりではないんだと思える。
今後、寂しさを感じたとしても、完全な孤独ではない。


そんな風に思えることが、本当に豊かだなぁと思えた。


別れ際に、

「お父さんは、人間って何のために生まれてきたんだと思う?」

と聞いてみた。


父の頬がふっと緩み、「それは昔から考えられている答えのない、永遠のテーマだろうなぁ。」と答えた。


答えを聞くよりも、父もこのことを考えたことあるんだろうなぁと思えたことが、なんだか嬉しかった。



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