#8★平和な世界になるまでの軌跡
誰からも攻撃されなくて、
変な罪悪感煽られなくて 、
ミスしても許されて、
熱がなくても疲れてたら横になれて、
私が美味しそうに食べたり、
楽しそうにふざけてると喜ばれる。
なにこの世界線…。
現状、何も生活は変わっていないのに。
一緒に住む人も、場所も、関わる人達も。
私の容姿も体型も肩書きも、
ほとんど変わっていないのに。
見える世界が全然違うんだよ。
感じる感覚が全然違うんだよ。
ずっとずっと望んでたからさ。
理想だったのに。
「え?本当に?」って戸惑い。
大変な自分に慣れすぎてるんだろうな。
いつもモヤモヤしているのが私の現状だったから。
でもね、
今ある現実は、確実に過去の自分が創ってきてくれたんだよね。
もちろん、
自分と関わってくれた人や気付きをくれた人達のおかげも大きくて。
ひとりひとりへの感謝を感じながら、
やってきたことをひとつひとつ振り返ってたら
あっという間にもう2月が終わりそうだよ。
派手ではないけど、なかなか濃い人生だったなぁ。
☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜
今朝、そんな言葉が浮かんできた。
言葉というべきか、メッセージというべきか、
そこらへんが曖昧だけれど。
対象者となると人達との縁を切らないと、
攻撃や罪悪感はずっと受け続けるものだと思っていた。
自分の容姿や体型が変わらないと、
もう女性としての魅力や価値はないのだと思い込んでいた。
ミスする私は、迷惑とストレスをかける存在で、
「疲れた」は甘えているだけだから、熱でもないと休めなかった。
だけど、縁を切らなくても、容姿や体型が変わらなくても、
ミスしても迷惑かけても、私は愛される存在だった。
「疲れているなら遠慮せず、休んでいいんだよ?」と思われていた。
私は、私のことを、
「お前なんて」「デブだな」「ダサいな」
「女として魅力がないな」「失敗ばかりだな」
「もっと頑張れよ」「実力不足」「努力不足」
「人に迷惑ばかりかけて」「役に立たないと意味がない」
そんな言葉をかけていたんだ。心の中で。
さらに、心の中で思っていたことを、
他者に言われてもヘラヘラと笑っていた。
自分のことを、
「そういう風に扱われても仕方のない存在」と思っていた。
私を一番雑に扱ってくる人は、私だったんだ。
雑に扱った分だけ、心も体も分かりやすく疲弊していった。
「このままだと生きてるのつらい…。」
そう思った時に初めて、自分の価値観にメスをいれた。
「変わりたい」と本気で思った。
ただ、そんな状態で、
いきなり「自分を愛する」のはとてもハードルが高かった。
というか、どういうことなのか全然わからなかった。
まずは、「自分を雑に扱わないこと」を意識し始めた。
疲れているなら横になる。
出がらしのお茶を飲まず、自分のために淹れる。
お気に入りの服のアイロンをかける。
ささいなことだけれど、いつも
「人にはするのに自分はしなくてもいいや」となりがちだった。
自分に対して丁寧に接すると、日常の満足感はグンとあがっていった。
それが「普通」になってくると、
私を雑に扱っててくる人達に対してイラっとすることが増えていった。
それでも嫌われるのが怖かったし、人と衝突するのが苦手で、
本人に伝えることは全然出来なかった。
伝えられず、嫌だと思っているのにヘラヘラ笑って許している自分が
ダサくて情けなくて悔しくて、みじめだった。
最初はカウンセラーさんや、信頼できる友人に話を聴いてもらった。
ゆっくり、じっくり、時間をかけて、聴いてくれた。
私は、人の話ばかり聞いて、
自分の話は全然聞いてあげていなかったことにも気が付いた。
そうして自分の想いを知っていくうちに、
傷つけられたままだと悔しいと感じるようになっていった。
「そんな言い方は嫌だ!!!」
不満がたくさん噴出した。
長年積み重なってきた不満も芋づる式に繋がって出てきたから、
ものすごい量の不満がわんさか出てきた。大豊作だった。笑
そのひとつひとつをじっくり聴いてもらったり、
共感してもらったり、癒してもらってきた。
大豊作だった不満たちは、少しずつ、
「私の大切な価値観」に変わっていった。
大切な価値観を守るために、いよいよ、
「雑に扱ってくる人には嫌だと伝えること」を実践していった。
同時に、「こうして欲しい」と願いを伝えることも。
「嫌だ!!!」という純粋な想いを伝えることも大切なんだけど、
「嫌だ!だから〇〇して欲しい!」と具体的な行動をお願いすることも、
とても大切なことだなぁと感じている。
「嫌だ」を伝えてみた後の相手の変化については、
また改めて書こうと思っている。
(おそらく、有料になるかな。もしくは、聴きたい人向けにライブするかな。)
とりあえずざっくりお伝えすると、
「この人、このままだと完全に離れるな。」と思われたのだと思う。
そして、離れることは嫌なのだとも思われたのだろう。
私が嫌だと伝えた相手の方々の、
私に対する声掛けや態度は明らかに変わっていったのだ。
なんなら、私に対する声掛けや態度が変わったら、
派生して、他の人達に対する声掛けや態度もかなり変わっていった。
これはもれなく、みんながそうだった。
変化の波紋はじわじわと広がっていったように感じる。
本当に、本当に世界が変わったんだよ。
いや、変えていったよね。着実に。
少しずつ、平和な世界に慣れていこう。
慣れた先に、また望む世界が見えてくるのだろうから。
嫌だを伝えられなかった時に自分が握りしめていた想い、
「必要とされたい」「責任感」「嫌われたくない」、
この3つが大きな要因だったと思っている。
ここについてはまた書こう。
明日はどんな記事になるかな。
どうぞ、お楽しみに!!!
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