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[理系による「映画」考察] マリウス(1930) ➡フランス映画にて庶民の生活を描くようになった理由

ゴリゴリ理系の私からすると、主人公とヒロインの役柄にツッコミたい点はありますが、そのツッコミが野暮になるほど洗練された映画でした。

今回はこの映画自体の考察ではなく、"巴里の屋根の下"も含め、1930~1931年に庶民の生活を主題とした映画がフランスの1つの流れとなった理由を考察します。

まず、世界史を辿ると、
1914~1918:第一次世界大戦
1929:世界恐慌が始まる
1933:ナチスが独裁政権を樹立
1939:第2次世界大戦が始まる
となっています。

1920年代のフランスは、第一次世界大戦直前および中の不安の空気を表現する表現主義から、終戦後、シュールレアリズムに変化します。シュールレアリズムの捉え方は色々あると思いますが、やはり平和で心の余裕がないと鑑賞できない認識で、戦争の暗い空気を独自解釈しながら、それを忘却させてくれる・克服する表現が受け入れられたのかな、と思います。

が、シュールレアリズムは一見キャッチーですがかなり奇抜なので長続きするはずもなく、平和な期間がある程度続き、戦争の傷が癒え、エコール・ド・パリ展が1928年に行われたのをきっかけに、身近な人々・生活を見直す流れとなり(モディリアーニ、ユトリロや藤田の絵を想像すると分かりやすいです)、"巴里の屋根の下"や"マリウス"が出てきたのかな、というのが今の自身の仮説です。

一方、アメリカでも、1930~1931年はD.W.グリフィスやチャップリンとは別の流れが生まれてきますが、それは別項で。


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