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[理系による「映画」考察] 巴里の屋根の下(1930) ➡青春群像を表現した初めての映画

恐らくですが、世界で初めて庶民の青春群像を表現した映画、なのではないのでしょうか。つまり、青春群像、というカテゴリーを開拓した初めての映画になると思います。

ストーリー自体は、今で言うところの若いストリートミュージシャンの恋・友情・権力への反抗、を描いた青春あるある映画(あくまで今から見るとです)ですが、意図的にゴシップ建築的な縦線を強調する画を入れてあり、映画としての芸術性を主張しています。

このような分野がない時代に、初めて打ち出された新しい表現手法は、パリでどんなふうに受け止められたのだろう?
と、思い調べてみたところ、"エコール・ド・パリ"が1928年に始まったとされていることから、モディリアーニや藤田嗣治が評価された時代と考えると、受け入れられる土壌はあったことも含め、なんだが色々なことが合点がいって個人的には満足しました。

青春群像の表現は方向性は色々ありますが、一つのカテゴリーとして定着し、なにがしらずっと表現されるのはなぜなんでしょうね?(今だと、"惡の華"や"血の轍")

需要がある、という回答もどうもしっくりこず、"二十歳を過ぎた人間ならば誰でも持ったであろう感情という土台"があるため、作品がマスに届けやすい、かつ、若い世代のクリエイターの生々しい感情を描く作品としてエネルギーが強いものが作られやすい、が自身の今の仮説です。


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