私たちは何も知らない
私たちは、何もかも全てを知っているかのように生きているけれど、本当は恐ろしいくらいに何も知らない。この世界の事も、そして自分の心の中の事も。自分が何に端を発して日々の行動を形成しているのかも本当に何も知らない。
あれこれと勉強を重ねていくと、本当に私たちは無知だという事に気づかされて、これまでの自分になんだか絶望さえ覚える。
私たちは、自分は知っていると言った傲慢さから、その視点を広げてもっと大きく世界を見る事を止めてしまっている。これはとても残念な事。
私たちは終始、自分の知っていると言った小さな世界の閉じこもり、その先にあるもっと大きな世界に目を向けようとする事もない。自分はこれだけの事を知っているという事に私たちは意外に満足してしまっている。
その私たちが知っているという事が本当に些細な事だという事をもっと多くの人に知ってもらいたい。自分はこれだけの事を知っているとその事に満足して私たちは、何も知ろうとしない。今の自身の認識の在り方に満足して何も私たちは知ろうしない。
知っている、知っているとそう言うけれど、何度も言う様に私たちの知っているなんて事はほんのこれっぽっちな事。その事にどうか満足せずに、もっと視野を広げて世界を見て、色々な事を私たちは知るべきだ。それからじゃないのだろうか?あれこれと議論し合うのは。
世界中の色々な文献を読んで、学んでいけば、これまでいかに自分が何も知らずに幾多の発言をさも知ったかの様に発していたかに気づかされて、私の様に何処かに隠れてしまいたくなるはずだ。
私たちは議論し合っているのではない。ただ言いたいことを言っているだけ。議論とは、しっかりとした知識があった上で成立するものなのではないだろうか?
何も深くまで学ぶ事無く、知った気になっている人間に真の議論など出来るのだろうか?
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