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"光と創造性:ミルチャ・エリアーデの聖なる空間の啓示の探究"

聖なる空間の啓示は人間に<固定した点>を与え、それによって混沌たる均質性の中で<世界を創建し>、見当づけの可能性を与える。俗なる経験はこれに反して空間の均質性と相対性に留まる。真の見当づけは不可能である。というのも、もはや<固定点>が存在論的にぴたりと基礎付けられないからである。すなわちそれはその日の条件次第で現れたり、消えたりする。したがって本当の意味で<世界>はもはや存在しないのであって、在るものはただ粉々になった宇宙の断片であり、人間が工業社会の中の生活の義務に追われてあちこち動きまわる、無限に多数の、多かれ、少なかれ中世的な<場所>の無定形な集まりに過ぎないのである。

ミルチャ・エリアーデ 「聖と俗」より

これは、ミルチャ・エリアーデの聖と俗という本の中の一文です。

聖なる空間の啓示は人間に<固定した点>を与え、それによって混沌たる均質性の中で世界を創建し、見当づけの可能性を与える。

この文章は何を意味しているのかを、自分がこれまで積み上げ体系化してきた理論とぶつけてみた。

彼のいう聖なる空間の啓示とは私の体系化した理論に当てはめるのならば、光の事を指していると考えます。

自分の中に光を見出すこと、それが自身の中に固定した点を与えることであると私は考えます。自分の中に光を見出すことによって、混沌たる均質性の中で世界を創建することが出来る。つまり、光そのものが何かを創建する力になるという事になる。

この自身の中にある内在する光、これを獲得することがなければ、この世界を本当の意味で創建することは出来ない。

俗なる経験はこれに反して空間の均質性と相対性に留まる。真の見当づけは不可能である。

俗なる経験はこれに反して空間の均質性と相対性に留まる。これは、まさにその通りで、俗なる経験とは表面的に見れば、それぞれが皆違う様に見える。でも、そのどれをとっても、そこに差は殆どないという事を意味している。なので、このどこをとっても、どこを自分の好きな様に切り取ってその一側面だけを見ようとも、その中に真と呼ばれるものは存在しないという事を意味しているという事になる。

私たちは皆、人と同じことをしていない。皆それぞれに違った価値観を持ち、皆それぞれに他とは全く違ったプロジェクトを行っているとそう信じて疑わない。他社と自社を比べれば、そこには大きな差が、違いがあると思い込んでいる。でも、エリアーデはそれをあえて、同じだとこの文章で訴えている。

何処をとってもそんなに違いはない。むしろどれも同じ。これが彼の俗なる経験はこれに反して空間の均質性と相対性に留まるという言葉の全てに集約されている。

彼はこの後の文章で、すなわちそれはその日の条件次第で現れたり、消えたりするとそう語っている。これはまさに、そこには絶対的なものなど何もなく常に変転自在であるという事を謳っている。固定点を持たなければ、それらは何も、そしてどこにも基礎づけられてはいない。だから、そのようなものは、その日の条件次第で現れたり、消えたりするという事になる。

つまり、こうしたものは基礎というもの、<固定点>というものを持たないがゆえに、無限に多数の、多かれ、少なかれ中世的な<場所>の無定形な集まりに過ぎないのだとそういわれてしまうのではないかと思う。


本当の意味で<世界>はもはや存在しないのであって、在るものはただ粉々になった宇宙の断片であり、人間が工業社会の中の生活の義務に追われてあちこち動きまわる、無限に多数の、多かれ、少なかれ中世的な<場所>の無定形な集まりに過ぎないのである。

これは、私たちが中背的な存在であることを示唆していると考えます。どっちつかずの、言ってみれば、ただ海の表面をなんの意思も持たずに漂っているだけの存在であるというような意味に私は捉えています。

わたし(内に光を内在している人間)は自ら世界を創建することが出来る。しかし、この光という固定点を自身の中に持つことが出来なければ、私たちは何も創建することは出来ない。創建出来ているとそう思っているだけで、それは真の創建とはイコールにならない。

在るものはただ粉々になった宇宙の断片でありというのは、自身の中に内在する光を持たないものの事を指していると考えています。自らの内に光を宿していいないものは、どこまで行ってもエリアーデのいうように空間の均質性と相対性に留まるのだと思います。

だからこそ、私は自分の行うセルフマネジメントを通して、個人のその心に光を回復させることがとても重要だと考えています。

真の意味で何かを創建するには、自身の中にこの聖なる空間の啓示による固定点を持つ必要があると私も強く思っています。

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