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何故?どうして?その問いが自分を救う

何でなんだろう?といちいち、自分の取る行動、言動について問う。

こうする事で、何故、自分が今そう言う事をしようとしているのか?を明確にする。自分の中に一体どういった思いや考えがあり、それがどの様に自分の中で動いているのか?を知る。

私たちは意外に、自分自身の行動について、何故自分はこうした事をしているのだろう?と問うことがない。

自分の中にある感情に引きずられて、特に自分で何かを意識する事無く、色々な事をしていたりする。

何故、自分が今此処にいて、こうした事をしているのか?それを聞いたとしても、多くの人がその問いに明確な解答を示す事は出来ない。

ただ何となく。特にする事がなかったから。暇だったから。大体こういった解答しか帰ってこない。何故、自分が今そう言う事をしているのか?それを詳細に答えられる人は本当に少ない。

ただ何となく・・・・。これが一番多い解答だが、このただ何となくをもっと意識的に捉える事が出来れば、人生というものはもっと楽しくなるのではないかと思う。

ただ何となくで何もかも流されて行ってしまうのではなくて、いちいちしつこいくらいにいろんな事を考えてみる。自分が何を求めていて、そして何をどうしたいと思っているのか?それをとりあえず明確にしてみる。ただ何となくといい、深く考えてみる事から逃げずに、とにかく色々な事を考えてみる。

そうすると、意外に自分が意味もない事をいくらでもくずくずだらだらしている事に気づく。そしたら、その自分の在り方について更に深堀していく。どうしてこんな意味のない事を自分はいつまでも続けているのだろう?と。そう思ったら、その思いをもっと大きく広げて、色々な観点から、そう言った思いを持っている自分を検証してみる。

そうすると、自分が自分の中にある感情にいかに引きずられて生きていたかがわかってくる。

何で?どうして?とそういちいち自分に問いを立てていくと、ある日突然、自分が意味があると思ってしていた事が、何の意味もなかったという事にも気づく事が出来る様になる。

あれだけ必死になってやっていたのに、それが何もそこまで必死になってやるべき事ではないという事がわかってくる。そうした思いを更に深堀していけば、そこまで必死になってやっていた理由が自分の中にある諸々な事に対する不安だという事にも気づいてくる。

いちいち自分に問いを持ち、そしてその自分に対する問いにしっかりと向き合い、その問いの答えを探そうと生きれば、意外に自分が意味のない事に自分の時間を費やしていたという事にも気付ける。

あんなに必死になってやっていたけど、それは自分の心の中にある不安がああした盲目的な行動を取らせていたんだなという理解にも辿り着く事が出来る。

何故?と自分にいちいち問いを立てるという事は、とても大切な事。そうする事で、これまで盲目的だった自分自身に対して、私たちは意識的になる事が出来る。

私たちは意外に全くもって意味のない事ばかりをしていたりする。そして、その意味のない行為の中で本当に必要な時間というものを無駄に浪費しているのかもしれない。

自分に問いを持つという事は、自分から無駄なものを剥ぎ落す行為でもある。何が無駄であり、何が自分に本当の意味で必要なものなのか?それを自身に問いを持つ事で私たちは知る事が出来る。

何故?どうして?と常に自分に問いを持ち続ける事。それは本当に大切な事だ。この自分自身に対する問いを死ぬまで持ち続ける事が出来るものだけが、本当の意味での自分に巡り合う事を許されるのではないだろうか?

自分に問いを持つという事は、常に自分の心の状態に問題意識を向けるという事に等しい。



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