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2D人間と3D人間(一般人の思考と大富豪の思考)

物事を平面的にしか捉えられない人は、2D人間。

物事を立体的に捉える事が出来る人は3D人間。

この両者が互いに理解し合う事は難しい。

2Dの眼で世界を見ている人に、3Dの世界の事を話したとしても、その人にとっては、それを2Dの認識でしか受け取れない。

お互いに話せば、理解し合えると言われるけれど、物事を平面的に捉えている人に、いくら立体的な話をしたところでそれらを彼らが理解することは出来ない。

見ている世界が全く違う。持っている視点が全く違う。だから、この両者が相容れる事は絶対にない。

2Dの視点で生きている人というのは、物事を平面的にしか見て取れない。そのものが内包しているものが見えない。その中にある仕組みみたいなものが理解できない。

3Dで生きている人というのは、そこにあるものの内部構造まで理解する事が出来る。そのものが内包しているものを捉える事が出来る。

2D人間というのは、目に見える色、形にこだわる。3D人間というのは、表面的に見えている色、形にこだわるのではなく、そのもののもつ構造に興味を持つ。そのものが含んでいるものに興味を持つ。

2D人間というのは、目に見える結果にこだわり、3D人間というのは、プロセス、過程にこだわる。結果至上主義的な人間というのは、この2D人間が多い。3D人間というのは、結果至上主義的な人間ではなく、そこに至るまでのプロセスを重要だと考え、その過程を楽しむ。彼らにとっては結果などどうでもいい事。3D人間というのは、常に楽しむ事を念頭に置いている。

何でもかんでも結果や、形にこだわる人間というのは、物事を平面的にしか捉えられていない。彼らはそこにあるものしか見て取れない。だから、何もかもがそこにあるもので全てが決まってしまう。でも、3D人間というのは、そこにあるものだけで全てを決めようとはしない。3D人間というのは、そこにあるもの以外の所に他の価値を見い出そうとする。そう言った努力が出来る。今此処にだけ成果を求めるのではなく、もっと違った場所に成果を求める。価値を求める。目に見えているものだけで全てを決めてしまわない。3D人間というのは、何処までも自分というものを追求していく。そしてその上で自分の価値というものを決める。

2D人間というのは、他人によって、自分の価値を決める。3D人間というのは、自分で自分の価値を決める。2Dは他人主体であるのに対して、3Dは自分主体。2Dは他人主体なので、自分で何も決められない。でも、3Dは自分主体なので何もかも自分主導で動き、自分で意志決定をしていく事が出来る。

2D人間というのは、人間としての生き方を放棄し、3D人間というのは、人間として生きる事を謳歌している。前者には苦しみが多いが、後者には、喜びが多い。前者はパッシブであり、後者は、アクティブ。

2D人間というのは、結果にとらわれ、人生を謳歌するという事が出来ない。常にこの結果というものに苦しめられる事になる。

それに比べると、3D人間というのは、この結果というものに、あまり捕らわれない。彼らは常に楽しむという事を軸において生きている。だから何にでも柔軟に対応する事が出来、その物事を楽しむ事が出来る。彼らはとても前向きであり、楽観的。彼らが悲観的になるという事はあまりない。彼らは結果というものに、とらわれない。だからいつも自由であり、苦しみが少ない。

2D人間というのは、生きるという事は知っている。でも、3D人間の様に楽しむという事を知らない。

2D人間は毎日生きるのに必死で、人生を楽しむという事を知らない。3D人間というのは、人生を常に楽しむ。楽しむ事で生きる事を充実させようとする。3D人間というのは、楽しむ事で自分を回転させようとする。2D人間というのは、働くという事で自分を回転させようとする。生きるという事を目的としたとき、この両者はその生きるという目的に辿り着くまでのエネルギーの作り方がただ違うだけなのだと言える。

2D人間というのは、毎日律義に働くという事でしか、生きる為のエネルギーを生み出せないと思っている人間。

3D人間というのは、働く事だけではなく、楽しむという事でも生きるという目的を果たす為のエネルギーを生み出せる事を知っている人。

2D人間とは凡人的思考を持つ者であり、3D人間とは天才的思考(大富豪的思考)を持つ者である。

この世界で勝ちたいならば、常にどんな状況であっても楽しむという事が出来ないといけない。そう言った柔軟な思考が持てなくてはいけない。





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