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社会が作る恐怖のネバーランド

人の流れを止めるなんて事は絶対に無理。だって、皆この社会に多くのストレスを抱えているから。そのストレスが解消されない限り、私たちの動き、行動を止める事なんて出来ない。外国の様に強制力をかける意外、私たちの動きを止める事なんて出来ない。

前にも書いたけど、私たちは皆それぞれにストレスを抱えている。そのストレスを解消する為に、あちこちに出かけて行ったり、何かをしたりする。

もし、この個々が持つストレスを大幅に減らす事が出来れば、私たちはこんなに必死になってまで、危険な外に出て行って何かを満たそうとはしないだろう。

コロナが蔓延して、外には出るな!移動するな!と国も自治体もそう言うけれど、ただそう言っているだけでは人の動きは止められない。もっと私たちは根源的な問いを持たないといけない。

何故、危険だと知りながら、それでも自分の行動を正当化して私たちは外に出たがるのか?何故、一人でいられないのか?何故、家の中に留まっている事が難しいのか?こういった事を私たちはもっと深く考察していく必要がある。

人間の消費行動というものは、このストレスと大きな関係がある。日々の生活の中で、ストレスを多く感じている人ほど、消費行動が激しくなる。毎日の生活の中で何か不足を感じている、何らかのストレスを受けている。だから、それを解消しようと何かを消費する事で、その不足を補おうとしているという事になる。

何かを買う事で、私たちは自分の満たされない心を毎日欺いていると言っていい。

毎日の生活には、ちっとも満足などしていいない。でも、その不足を何かを消費する事で補おうとしている。そうやって私たちは、日々自分というものを欺いている。

何かを購入する事で一時的に、自分に満足を与えたかの様なそんな印象を抱かせているだけで、実際には何も満足など出来ていない。だから何を買っても又次に他のものが欲しくなる。買っても、買っても満たされない。私たちはこうした負のループの中にある。

何かを買えば、日々の生活から出た不足が補えるとそう思っているのは、もはや幻想いくら何かを買った所で、それらが日々の生活で得た心の不足を補ってくれる訳ではない。

この社会は次から次へと新しいものを作っては、それを私たちに売る。これは意外かもしれないけれど、私たちは自分の意思で何かを買っているのではなく、買わされている。消費させられている存在だという事を知らないといけない。

自分の心の中に多くのストレスを持っていれば、それを色々な企業は色々な方法で刺激してくる。彼らは私たちの持つストレスに働きかけて、それで購買意欲を刺激しようとしていたりする。

自分の内に抱える社会的ストレスが多ければ多いほど、私たちは外の世界に充足を求める。つまり、外の世界で多くのお金を使うという事になる。そんな事をいくらしたところで自分の中にある社会的ストレスは減らない。でも、皆外の世界でお金を使えば、それで自分の中にあるストレスは解消されるとそう思い込んでいる。

何かをする事であー、すっきりした!ストレス解消した!なんてことを言っている人がよくいるけれど、それはただそう思わされているだけで、実際の所は、何もその自身が抱えるストレスの値は減ってなどいない。

何かを消費する事でストレスが、解消されるとそう言うのなら、何でも買う事が出来る人は何にもストレスがないという事になる。

私たちは、この日々の社会生活の中で多くのストレスを抱えている。だから、あちこちに出かけて行って、そこでたくさんのお金を使おうとする。そうする事で、一旦自分は満たされているといった気分になりたいからだ。

私たちはこのストレス社会でちゃんと息を吸う事が出来ているとそう思っているかも知れない。でも、実際には何も息など出来ていない。今の状態は、皆大きな海の中に酸素ボンベもつけずに沈み込んでいる状態。いち早くこの状態から抜け出て、酸素をその口で大きく吸い込みたいと思っている。でも、海面に出て息を吸おうとすると、このストレス社会が再び、私たちの海面に浮かびあがったその頭を海中に押し込む。

海面に出て酸素など吸わせないぞ!とそう言って。彼らからしたら、それぞれの者が海面に出て自分で酸素を取り込む様になったら困るという訳だ。

彼らは海の中で色々なものを私たちに売りたい。海中で息苦しくてどうしようもない私たちに、彼らは色々なものを提供する。そして、酸素が取り込めずに苦しいのなら、自分達が作ったものを買え!とそう促す。苦しくて苦しくて辛いなら、自社が開発したものを使えば楽になるとそう彼らは言う。

彼らは、決して海面に浮かび上がって息を吸え!とは言わない。彼らは、私たちが海水の中にあるからこそ、潤うのである。

つまり、この社会はストレスフルな状態を常に維持しつつ、そこで私たちに色々なものを買わせようとしているという事になる。

苦しいよ、辛いよ、なんだか、気持ちがパッとしないよ、楽しくないよ。これらは海中に閉じ込められている私たちの叫び。そんな悲痛な叫びを持つ私たちに、この社会が与えてくれるのは、永遠のネバーランド。そこでは何でも揃うし手に入る。色々なものがこれでもかというほどにひしめき合っていて、それらを手にする事で私たちはいとも簡単にこの苦しいよ、辛いよ、なんだかパッとしないよ、面白くないよと言った思いを克服する事が可能となる。

私たちは、この社会が作った永遠のネバーランドの住人。掴んでも、掴んでも砂の様にこぼれていく、そんな世界で生きているのが今現代の私たち。この社会は私たちに結局何も掴ませたくないのだ。私たちが住んでいるのは、この海の中。そしてその海の中で展開される永遠のネバーランドの中で私たちは、今日も一生手にする事の出来ない幻想を掴まされ生きている。


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