絶対的価値の崩壊
何が正しいかなんてわからない。なのにどうしてこれが正しいものだ!といって、それを国は、世界は私たちに押し付けてくるんだろう?
人はそれぞれ皆、その持っている価値観は違う。なのに、どうして、この価値観は絶対的なものだなんて言えるんだろう?
一体誰が決めたんだろう?神か仏か?
人間ってのは、皆それぞれ自分の中にこれってものを持っている。それは皆それぞれ違う。なのに、そこに手を入れ、大人たちは私たちを操作しようとする。自分の中にある大切な物を大人は追い出し、そこに大人が良いとしている価値観を埋め込む。教育する。
誰でも彼でも皆同じ形にこの国の大人はしたいらしい。
もっと人それぞれでいいんじゃないだろうか?絶対にこれとか、何が何でもあれとか、そう言うのなくてもいいんじゃないだろうか?
教育を受けないといけないとか、ある程度の歳になったら、自分のパートナーを見つけないといけないとか、家族を持たないといけないとか、子供を作らないといけないとか、とにかく日本人ってのは、制約が多すぎる。
これだけが確かだから、これをしておけばいいっていうけれど、私たちはそれをする事で一体誰に認められようとしているんだろうか?
学校教育を受けないと、いっぱしの人間になれないとか、社会に出て使い物にならないとかっていうけれど、人間なんてとりあえずの言語とほんの少しの数学さえできれば別に普通にやっていける。
勉強すれば、路頭に迷わないなんて幻想だよ、いくら勉強した所で、これから台頭してくるロボットには到底かなわない。
私たちがずっと、これが確かだ!って言って信じていた事なんて、これから何も真実として通ってはいかなくなる。これが確かだ!なんて言える事ももちろん失くなっていく。
これだけやっていれば大丈夫なんてことはなくなる。何をしていたって、ダメなときは駄目になる。これが今回のコロナ騒動でよくわかった。
今まで私たちが信じてきた絶対的な価値、そんなもんは皆嘘っぱち。表面的で何の効力も持たない。必死になって積み上げてきたものも、こうした未曾有の出来事が起こると何の対処も出来ない。私たちは自分たちが有能であるとそう思って生きてきたかも知れないけれど、その何処までも有能で時代の最先端を走っていると思っていた私たちは、今そうではない事をコロナによって間のあたりにしている。
私たち人間が持つ力なんてものは、ほんの僅かなものなんだよ。何もかも知って、偉い気になっていたって、事が起これば、私たちはそれに何も対処できない。国を頼ったって、その国は、なかなかしっかりしない。だからと言って、個人を見てみたって、その個人が国に頼っている訳だから、その個人に出来るのは、国に対する不満をぶちまけることくらい。
私たちは自分たちが思っているほど有能な存在ではなかったという事を今回の一件で思い知らされた。未曾有の出来事に遭遇して、私たちは自分たちの無力さを知った。いかに自分たち人間が傲り高ぶっていたかも知った。
何もかも自分の力で出来ていたというのは、単なる幻想でしかない。
今世界を見回してみれば、これまで私たちが絶対だ!と信じていたそのありとあらゆるものが壊れ始めている。これさえあれば自分の人生は大丈夫!とそう思わせてくれていたものが皆、音を立てて崩れ始めている。
私たちがこれまで必死になってこれが絶対だ!と信じて築きあげてきたものなんて、本当に簡単なものだったんだよ。それを今回のコロナ騒動で私たちは知った。
こうした現状を受け、これから、私たちはいかに変わっていくのだろう?これまでと同じく、又人間はこれさえあれば自分の人生は絶対に大丈夫というものを作り出すのだろうか?自分の人生を補償してくれる絶対的と信じる価値を又自ら作り出すのだろうか?
私たちは自分でそうした絶対的な価値を作り出す事ではなく、私たちはこれを機に普遍的価値なるものをこの世界に見出していかなければいけないのではないだろうか?
何かが在れば、その価値が一瞬にして奪われてしまうような相対的な価値ではなく、これから私たちに必要なのは、何があってもその価値は絶対に変わらない普遍的価値、そう言ったものを私たちは自分の人生に於いて見出すべきなのではないだろうか?
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