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感情的反応型人間の回避人生

なんかむかつく。なんか気に入らない。そう何かに自分が反応した時というのは、ある意味自分を知る大きなチャンスだったりする。

何かよくわからないけれど好かないなあと思う時、その時、私たちはその対象となるものから何らかの影響を受けているという事になる。

何の興味も関心もなければ、私たちは何にも反応しない。でも、あるものに反応し、そこに何らかの否定的感情を抱くとき、そこに自分でも知らない何らかの感情というものが隠されているという事に気づく事が出来る。

自分の中にある何かが、刺激される。そして、そこに強い反応が現れる。

こうだ!と誰かに言われて、なんとなくそれを受け入れる事が出来ない時、その他の言う事に妙に自分の感情が動かされる時というのは、自分の中にある何かが、強い影響を受けているという事になる。

ただあいつが気に入らない。とか、なんか鼻もちならないなと思う時、そこには、自分でも知らない自分が隠れていたりする。

もちろん感覚的にあの人は嫌とか、この人はちょっとと思う事はあるが、それ以外で、なんとなくあの人の話が気に入らないとか、なんかちょっと気に入らないと思ったときには、自分の中の何かがその外部にあるものに強く反応しているという事を知ってもらいたい。

私たちはこうした事に対してただ反応しているだけで、何故、自分がその対象となるものにこのような感情を抱くのか?という事まで考えようとしない。反応だけで終わってしまう。これではせっかくの自分を知るチャンスをみすみす逃してしまう事になる。

なんか気に入らないなと思ったのなら、それはチャンス。それが感覚的なものなのか?それとも自分の中にある感情的なものが刺激されて起こっている思いなのか?それを自分の中でしっかりと見極めなければいけない。

気に入らない。なんとなく受け入れがたい。そう思うものを人は皆、意識的に避けて、それらを見ない様にする。そうする事で、自分の中にある感情に何らかの影響を及ぼされる事を回避しようとする。皆、誰でもそうだが、自分というものは常に安定した状態でおいていきたいのだ。

なるべく安定している事がベストであって、そこに波風立てたくない。常に穏やかな状態でありたい。そう思うのが私たち人間の性だ。でも、この考えが、私たちの人間的な成長を止めてしまっているという事もなくはない。

安定ばかりを求めて、危険な事に身を投じようとしない。何もかも回避、回避で自分を守っている。そんな生き方では、自分に何の成長も見込めない事は考えてみればわかること。

人間としての幅、それを広げたいと望むのなら、自分に都合の悪いもの。自分の安定を崩すもの。自分の今持っている価値観を根底から崩してしまうようなそうしたものの中に入って行かないといけない。

安定にしがみつけば、それが自分の人生の目的となってしまうので、それ以上の進化は期待できない。

上へ上へとそう思うのなら、ただある事に対して反応しているだけでは駄目。そのある事に対して、自分が何をどう思考できるかで、その後に続くその全てが決まってくる。



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