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HSPとしてうまれて

私は小さい時から自分に対して違和感を持ちながら生きてきました。
何となく他人と違うーみんなは普通にできることが私にはできない。
強い焦りを感じました。

「HSP」という言葉に出会ったのはもうすっかりおばさんになってから。
一気に目の前が開けた感覚。
そこでHSPについて私の体験や感覚をどうしてもまとめて残しておきたくなりました。

このnoteはHSPとしてうまれてしまった自分を恨むとか嘆くとかいうためではなく
「生きにくさ」を感じている方々の今まで言葉にできなかった部分を、私の体験を通して伝えることのお手伝いができたらと思って執筆しています。

人々がそれぞれに抱えている「生きにくさ」をお互いに理解し合えたら。

幼少期(うまれてから小6まで)

〔叱られる姉・泣く私〕

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・家族にも人見知り
・冬は常温で冷たくなった衣類は着ることできず
・家族で私だけが感じる臭い
・姉が叱られると毎回泣くのは私
・外出が苦手


新潟県のとある田舎町で産声を上げる。
時代は昭和(;^ω^)
家族は両親と祖母、叔父、姉の当時は6人家族。

叔父は離婚後いわゆる「出戻り」のような形で同居するようになったと聞いたことがあったような気がしますが、いつから一緒に暮らしていたのかは未だわからず。
私が小3くらいの時に再婚して引っ越し。

私が極度の人見知りで同居していた叔父ともあまり話すことができず、聞きたいことがあっても聞けず終い。今でも叔父については謎だらけです。

それどころか私は父を見てはぎゃん泣きしてたので父は冗談交じりに「この子は本当に俺の子か?」と話していたとか。
まぁ、自分の子供に顔見せただけでぎゃん泣きされたらショックはショックでしょうけど^^;

他によく思い出すのは姉が両親から叱られると私が泣いていたこと。
両親は叱ってもいない私が泣いて、叱られてる当の本人が不満げに拗ねているのを見て笑いをこらえていました。

また外出すると帰宅後、ぐったり疲れてしまうことが度々ありました。
頭痛や腹痛を起こすことも。
その後、頭痛や腹痛などは徐々に改善されて今ではほとんどありません。疲労感は今もありますが、無意識のうちに人混みを避けることで体調不良を招かないようにしているのかも。

そういえば小4か小5くらいの時、自宅で家族揃ってご飯を食べる時に何か嫌な臭いがするから何も食べられないなんてことがありました。
あのいやーな臭いは今でもはっきり覚えていますが、不思議なことに家族の中であの臭いを感じたのは私だけでした!あの臭い、何だったのかは今もわかっていません。

冬になると温めていない衣類が着用できなかったのも私だけ。あの冷たい布が肌に触れるのが怖くて怖くて。

その他にも全ての物事についてあまりにも臆病でいつも泣いていたので、さすがに両親も心配になって保育園に入園する時には保育士さんに、学校に上がる時には担任の先生に相談していたのだとか。
これはずいぶん後になって聞いた話です。

私は社会に出たら生きてはいけないだろうというのが当時の両親の見解。

私は私で他人と同じようにできないのは自分がダメなんだなって健気に思ってました。

思春期(中学・高校生時代)

〔教室のすみっこでひっそり過ごす〕

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・人見知り全開
・友達できない
・発言できない
・本読み上手
・走るの速い


*「走るの速い」はHSPとは無関係でした^^;

みんなびっくりの私の人見知りっぷりは中学・高校でも健在。
友達はクラスの中にほんの数名。
ただ自分なりに「友達いないといじめられちゃうかも」っていう危機感があって仲良くはなくてもあいさつやちょっとした雑談くらいはできるように。

相変わらず外出が苦手で家の中でテレビ観たり本読んだりして過ごすことが多かった私は、国語の授業中に教科書を読ませたら右に出るものはいないという謎の特技を知らず知らずのうちに身に着けていました。

ただ人前で話すのは極端に苦手。

それなのに中2の時、校内の弁論大会でクラス代表になってしまいました。
550名ほどの前で原稿を読まなくてはいけません!
その時になってまともに原稿を書いてこなかったクラスのみんなを恨みましたが時すでに遅し。
何度か原稿を直して当日を迎えました。
正直、当日のことはほとんど覚えてません。
思い出せるのはドキドキし過ぎて心臓がどうかなるんじゃないかと思ったことくらい。

結果は2位でした。
もしも何かの間違いで1位にでもなっていたら全校生徒および先生の前で原稿を読む羽目になっていたので2位でほんと助かりました。


高校卒業後から結婚まで(18歳~25歳)

〔コミュ障〕

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・コミュ障かも
・新しい環境に入るとしばしごはん食べられない
・一人暮らしサイコー

その当時は誰も指摘しなかったしそんな言葉もメジャーではなかったけれど、たぶん私はコミュ障。
幼いころ両親が心配した通り、人と接するのは難しかったです。
それなのに私が選んだのはなんと接客必須の仕事ばかり。

なぜそうなったかというとー

当時は世の中にどんな職業があってどんな仕事を担っているのか、など情報がほとんどなくてその情報をどうやって得るのかさえわからず。
これは誰かを責めているんじゃなくて「情報を集めてその中から選択する」というごく当たり前のことを私がしてこなかったから。

担任の先生にも「どうする?何がやりたいの?」と聞かれて「何もないです」とはとても言えなかったので、自分の行動範囲内にある仕事を言ったら接客必須の仕事になってしまった、という少々マヌケな理由。

特に販売の仕事は長いこと従事しました。
楽しいことも多く今でも好きな仕事。
それに人混みが特に苦手な私にとって平日休みがほんとに良かった!
中高時代の数少ない友人とは疎遠になってしまったけれど、もともと引きこもり体質だったので特に苦もなく平日休みを楽しんでました。

ただ困ったことに人と上手に接することができない!
それどころか接客めっちゃ苦手!
販売やる上で致命傷です(T_T)

それゆえ人と話さなくて良さそうなアルバイトもしてみましたが1日2~3時間ほどテレアポの時間があって、それが辛くて続かず。

仕事を変えたり異動になったりで今までと違う環境に身を投じると1週間ほど、ごはんが食べられなくなったのはこのころ。
まぁ1週間限定だったので「またか」という感じではありましたが。


仕事から逃げるように結婚しました。


結婚生活(約8年間)

〔結婚に向いていない上、自分がどうしたいかわからずに苦慮〕

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・結婚しても一人の時間が必要
・共同生活ムリ
・お互い未熟すぎて結婚生活破綻
・仕事は楽し          

結婚生活は楽しかったような気がします。
正直、あまり覚えてないです^^;
もっと夫婦で手を取り合って的なイメージを持っていましたがそういう感じにはなかなか近づけませんでした。

当時の夫(夫だって!こんな言葉使ったことない笑)は義母の前では家のことを手伝ってる風に振る舞いますが二人の時はそうでもなく。
生活費をパチンコで使い果たしたりとかお金の苦労も多く。

ただこんなこと書くと相手が一方的に悪そうに聞こえてしまいますが私もあまりにも未熟だったので扱いにくいとか何考えてんだって思われていたかも。
いや、「かも」じゃなくて「マジこいつ(こいつとかよく言われました)きつい」って思っていたに違いありません!

もうずいぶん昔のことなので結構どうでもいい感じにはなっちゃってます^^;

夫が勤めを辞めて商売始めたころからさらに距離は離れていき離婚に至りました。

今思えば一人の時間をこよなく愛していたので当時の住まいに自室もないのは少し辛かったです。
夫が飲み会などで帰りが遅い日が好きでした。
ぜったい結婚に向いてない(T_T)

このころ、仕事と家事でまぁそこそこ忙しく衣類を買いに行くのがしんどくて通販を利用し始めます。
買い物に行くの疲れるしお店の人に気を遣うのも疲れるし通販にしよ。
こんな感じでした。
そのころ買い物は「実際に品物を手に取って買う」が主流だったので周りからは
「えー!試着しないの?」
「写真だけじゃわかんないよ」
と非難されましたが、とにかく外出がしんどかったので理解してもらえなさそうな人には内緒にしてました。

鼻がいいねってよく言われはじめたのもこの頃。
この時期だけで10数回は言われたと思います。
小さい時に「鼻炎」と診断されていたので「みんなおかしなこと言うな」って思っていました。

ただその時していた仕事は楽しかったです(*^^*)
販売の楽しさは堪能させてもらいました!
当時の同僚の皆さん、ほんとにお世話になりました。今も感謝してます。

残念ながら離婚と同時に引っ越すことになったのでそこで仕事は辞めました。


離婚~現在まで(33歳からアラフィフまで)

〔苦悩は続くよどこまでも〕

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33歳で離婚して再び一人暮らし開始。
私には一人暮らしが向いていると思ってます。
けどいつまでも一人でってわけにもいかず現在は母と暮らしています。

離婚直前に祖母が亡くなり、その12年後くらいに父が、その翌年に当時飼っていた猫、その数年後に姉が相次いで亡くなり母と二人になりました。

「それってどうなの」と言われますが、一番泣いたのは猫が亡くなった時。
あまり家族の暖かさみたいなものに触れてこなかったせいか祖母の時も父の時もあまり泣いた記憶がありません。
しかも意外と寂しくない!
つくづく冷たい人間だなぁと思います。

HSPを知ったのもこの期間。
最初はピンとこなかったものの徐々に当てはまることがいくつかあることに気づきました。

ここまでで
・叱られてもいないのに叱られてる人の気持ちになって泣く
・外部からの刺激に敏感
・外出が苦手
・ちょっとした臭いに気づきやすい
・一人の時間重要
などHSPらしき特徴がありました。
こういう概念を見つけてくれたアーロン博士に感謝!

また今でも同僚と話していて
「あ、今うそついた」
「この人○○って思ってそう」
「虫の居所悪っ」
などと感じて息苦しく感じたり言葉に詰まったり。
人付き合いが嫌いなわけでは決してありませんが会社の同僚など人を選べない時には疲れやすいと感じます。

「大きな音が苦手で」と言ったら「誰でもそうでしょ」と。
確かにそうだなって思っていたら、その人は私が驚いて振り返るような大きな音の中で仕事に集中していてまたまた驚いたり。

ただそういう人にも「生きにくさ」はあるんだよなぁって今は思います。
一人一人違う「生きにくさ」があるのは当たり前で、同じHSPでも一人一人違うんだろうと。
そう思ったからこそこのnote執筆に至ったわけです。

「こんなこと書いてもムダだよ」
って何度も何度も耳元で声が聞こえましたが、それでも形にしようと思ったのはみんながそれぞれお互いの「生きにくさ」を理解し合える世界が素敵だなと思ったから。

最後まで読んでくださってありがとうございました。
何か新しい体験をしてそれを文字に起こしたくなったら追記するかもです。
HSPでよかったって思える出来事でありますように。



最後まで読んでくださってありがとうございます。拙い内容であるにも関わらずここまで辿りつかれました貴方は相当ガマン強い方であるとお見受けします。厚かましいお願いですがまた覗きに来てください!