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創造という行為の中で溶ける私

物を書いたり、作ったりしていると、その行為の中で自分というものがどんどんと溶けていく。私というその形あるものが溶けていく。

この時、私とはその全てが幻想だったんだと知る。

自分が自分だとしていたその全てのものが、自分の創作という行為の中で消えていく。そこには何一つ自分だと思っていたものは残らない。

自分が自分だとしていたその全てのものが創作という行為の中で消えていき、その先に全く想像も出来ない未知なる力というものが立ち現れてくる。

その力に自分としているものがのっとられる。この時私は創造の鬼になる。

この時、私は何も意思しない。何も意思する事無く、何もかもその全てが自動的に進んでいく。私とは別の次元で色々な事が進んでいく。この時の私には、自分としての意識はほとんどない。ただ、操り人形の様に私は手が動くままに創作するだけ。

私という人間は、自分の手が創造して、目の前に作り上げられていくものを驚嘆の眼で見つめる。そして、そこに表現されたその全てによって、この自らの精神を清められる。

私といいうその幻想を脱いだ先に大いなる力は確かに存在し、その力に触れ何かを創造する時、人間というのは、そこから大きな恩恵を授かる。

創造によってもたらされたその力によって、私たちは、人間ならざるものから人間になる。

私たちが人間になるには、真なる創造が必要なのではないだろうか?私を超えた所にある力、その力に尊厳を認め、その力によって私たちの手に創造がもたらされるとき、私たちは本当の意味での人間となる。

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