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バーチャルに逃げるな、現実に還れ

ニュースとか見ると、テンション下がるから見ない。最近いいニュースがないから見ない。今ニュースを見ていると、ただただ気分が下がる。だから、なるべく嫌なニュースには触れない様にしているという人が最近多い。

自分のテンションが下がるとか、気分が悪くなるとか、ネガティブなニュースは自分に言い影響を与えないとか、皆そう言う事を言って自分に都合のいいものだけを見ているけれど、本当にそれでいいのだろうか?

いくら自分のテンションが上がろうが、気分が悪くなろうが、その日一日やる気がなくなるくらい悪影響を受けようが、その日の集中を削がれようが、私たちには、この世界で日々起こっているその現実に目を向ける、意識を向ける義務がある。そんな気がする。

かわいくて、美しいものだけを見ていれば、それはそれはメルヘンでいいかもしれない。でも、今私たちが生きているのは、そんなメルヘンチックな世界ではない。私たちはこの現実世界の住人だ。

ならば、かわいくて綺麗なものだけ、自分に都合のいうものだけ、自分にとって受けのいいものだけを見ていればいいという訳ではない。私たちはもっと自分にとって都合の悪いものに目を向けなければいけない。私たちにとって都合の悪いもの。それは今私たちの目の前にあるというか、私たちが今実際に生きているこの現実だ。

私たちは日々この現実を自分にとって都合のわるいものとみなし、この現実をその目で見ようとしない。この現実の中に生きながら、この現実に実際に触れてみようとしない。ここに在りながら、どこか違う自分で作り上げた世界の中に生きているようなそんな感じがする。

私たちはこの現実の世界の中にいる。私たちの生きている世界は、今とんでもなくおかしな事になっている。世界各国で異常事態が発生している。どこも、そして何も正常になど機能はしていない。今、世界は完全に機能不全に陥っている。

でも、そんな事は何もないかのように私たちは今この現実を生きている。

私たちのこの身は現実の中にある。でも、その心、意識は自分たちが作り出したバーチャルの世界の中にある気がしてならない。バーチャルな世界の中で私たちは生きている。自分で作り上げた自分に都合のいい世界の中で、自分の好きに生きている。それは自分のその足が踏んでいるこの現実世界とは解離した世界だ。

私たちが生きている世界は今とてつもなくすさんでいて、ひどい状況下にある。でも、それを私たちは認識する事すら出来ていない。私たちは、この現実世界を見ずに、自分で作ったバーチャルな世界の中を見て、その中で生きているものだから、現実世界を正しく認識する事が出来ない。もっと言えば、自分で作り上げたバーチャルな世界が真の世界だと思い込み、その自分の生きている世界に何の違和感も覚えなくなっている人間も多い。

バーチャルを現実であると思い込み、その中で生きている内に自分が生きている現実世界の事をすっかり忘れてしまっている。

キラキラに自分仕様にデコレーションした自分だけの世界の中で私たちは生き、その身を退廃した現実世界の中に置きながらもその現実を認識する事すらできなくなっている。私たちは今完全にバグっている。

何処に自分というものが存在しているのか?それすらも正しく認識する事が出来なくなっている。

現実というものを受け入れられなくなった私たちは、次々と、自分の世界を自分仕様にデコレーションし始めた。そうする事で、受け入れる事の出来ないこの現実世界から、身を遠ざけようとしている。

私たちは今あるこの現実世界を自身に受け入れる事が出来なくなっている。この現実世界を受け入れる事ができなくなりすぎて、この世界を受容する事が出来なくなりすぎて、今自分でそんな現実世界から脱出する為に、自分仕様に作り上げた世界に向かって脱出しようとしている。

私たちは、この現実世界に納得する事も出来なければ、この現実世界を素晴らしいものだと肯定する事も出来ていない。この現実を美しいものであるとそう賛美する事も出来ない。私たちはもうこの現実世界に嫌気が指している。

だから、自分だけの世界を作り上げ、その世界の中に逃げ込もうとしている。そしてその自分だけの世界で生きていこうとしている。私たちは自分の生まれたこの世界を捨て、自分で想像して作り上げたその世界の中に今まさに逃げ込もうとしている。自分たちに都合が悪くなったこの世界を私たちは今捨てようとしている。必要のないものとして、自分たちから、切り捨て、そしてその自分たちだけ助かろうとしている。

私たちは今この目の前にある現実世界によって育まれてきた存在であるはずなのに、その現実世界を今自分たちから切り捨てようとしている。こんな事があって果たしていいものなのだろうか?

この現実世界が自分たちに都合が良かった時は、私たちはこの世界を美しいものとして肯定した。でも、ひとたび自分たちに都合が悪くなったら切り捨てるというのはいかがなものかと思うのだが、今実際に私たちは、このいかがなものかと思われる事を日々繰り返している。現実世界を否定して、自分に都合のいい世界を築きあげ、その世界の中に移行しようとしている。私たちを生んだこの地球を捨て、私たちは何処か異国の地に降り立とうとしているという事になる。

私たちは、自分たちを生んだこの母なる大地を見捨て、今自分のエゴのままに、この地球を離れようとしている。このまま私たちは自分たちを産み、そして育んだこの地球を捨てるつもりなのだろうか?

私たちを産み、そして育んだこの地球が痛んでいるのなら、その痛みの根源を突き止め、そこに的確な治療を施す。それが私たちを産み、そして育ててくれたこの地球に対する、この現実世界に対する恩返しなのではないだろうか?

私たちはこの現実世界の中で生きてきた。ならば、この現実世界から離れる事ではなく、この現実世界に私たちは還り、この現実世界をよりよいものにするために努めるべきだ。それが人間に与えられた使命というものなのではないだろうか?自分たちに都合よく作り上げた幻想の世界に逃げ込み生き延びる事が私たち人間に与えられた使命ではない。

都合の悪いものに蓋をするのではなく、その都合の悪いものを私たちは今自分たちのその目でしっかりと見て、それに対する適切な処置を取らなければいけない。







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