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人生に屈するな、戦え。

往生際の悪さ。

私という人間は何処までも欲深い。自分というものを何処までも追求していきたい。今あるこの自分というものに、私はそう簡単に納得する事が出来ない。

周りを見ていると、皆いとも簡単に自分の人生に納得しているかのように見える。納得しているというか、もう自分の人生と闘う事を諦めてしまっているのか?

自分を生きると考えた時、そう簡単に自分の人生に納得する事が出来るだろうか?私は、自分のこの人生に負けたくはない。だから、一生この自分と闘い続けるつもりでいる。

これが自分だ!なんて道半ばで自分の事を決めてしまいたくはない。私は何処までも自分というものを知り尽くしたい。それには、いつまでも、この自分と闘い続けなければいけない。そう簡単に白旗をあげる事は出来ない。

毎日、毎日、私は自分と闘う。私って奴と闘う。私って奴は、私にいつももうこれ以上戦うな!とそういう。降参しろ!とそういう。私という人間はこういうものですという事で、納得しろ!とそう言い私に迫る。でも、私は、この私って奴の言う事に屈しない。いつまでも戦ってやる。

自分って奴は、もうこのくらいでいいだろう?とそう私にいう。もうここらへんで、自分とはこういうものですって言う事にしとけ!とそういう。でも、私はこうした言葉に屈しない。いつまでもしつこく戦い続ける。

私ってなんだ?自分ってなんだ?その問いの答えが見つかるまで、私は、私って奴と闘う。向こうが、戦いに疲れて、私の力に屈するまで私は、私って奴と闘い続ける。私は、自分の事をもうこういうものでいいだろう?と自分に納得を促す自分って奴が、私のこの熱気に降参して、私の目の前で白旗をあげるのを待っているのかも知れない。私は、この私って奴を倒したいのかもしれない。この私って奴に自分の主導権を持たせたくないのかもしれない。

私って奴は、いつも、私にこのくらいで諦めて降参しろ!と何においてもそう言う。そうやって、人生と闘う事を諦めさせる。この私って奴は、まるで私に自分ってものを掴ませたくないようだ。私ってものの主導権を私に握らせたくないようだ。

私たちは、この自分の中にいる自分って奴にいつも、自分の支配権を握られている。この私って奴は、私たちにいつもこうささやく。もう何もかも諦めて、この流れに従ってしまえ!と。その方が楽だ!と。そうやって、人生の何もかもを諦めさせて、その腹に私たちを飲み込んでいく。

私って奴は、常に私に優しい。無理をするな。もうそのくらいで自分を良しとしておけ。お前は十分やった。そう言う言葉で、私たちの行為を認めた振りをして、そして、私たちが自分の人生をみつけられない様に道に惑わせてしまう。

私たち人間というのは、そう簡単に私というものを見つけられない様にされているのかも知れない。自分の人生というものを掴むことが出来ない様にされているのかもしれない。

いつもいつもこの耳に甘く優しい言葉がささやく。もうこのくらいでいいんだ。諦めろ!これ以上やっても無駄だ。この優しい言葉に私たちは騙されがちだが、この誘惑に私たちは乗るべきではない。

何もかも諦めるのは簡単。この聞こえのいい言葉に流されてしまう事も簡単。この言葉に流されて、私って奴の言葉の渦に飲み込まれてしまえば、その渦の中で私が私を見つける事は絶対に出来ない。

どんなに甘い言葉で、私って奴が自分に迫ってきたとしても、私たちは、その言葉に乗せられてしまってはならない。彼らは、私たちを迷わせる事。人生の迷子にする事。これを目的としている。

人生の迷子になり、私たちはエネルギーを失う。生きるという活力を失う。この時、私って奴は、私その者をその大きな口で食らってしまうのだ。

私たちは、自分の中にある私って奴の従者ではない。この私って奴の支配権から抜け、彼らの思惑通りにならずに、自分の力で自分を生きていかないといけない。

いつでも、私って奴は、甘い言葉で私たちの耳にそっと囁く。

人生何もかもあきらめろと。

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