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バブルに殺されたわたし達3
共働きの両親
話す事はほとんどない
小学一年から全ての家具のある部屋を与えられて
一人で過ごした
出張で居ない父は浮気相手の所からの出勤
たまに帰っても会話無し
同伴にアフターに飲み歩きで
朝帰り頻繁な母
もちろん朝ごはんは無し
パンがあったり現金置いてあったりな朝
制服が汚れたら自分で洗うようになった
もちろんアイロンなんてする母では無いから
自分でアイロンかけた
夜は一人でテレビ見
バブルに殺られたわたし達2
小さい頃
クリスマス買ってあるクリスマスツリーを一人で飾るだけでした
プレゼントは靴下なんてなかったし
「プレゼント何が欲しいの」で買ってた
誕生日はお金を貰っておもちゃ自分で買ってた
学校終わって学校であった話を母にしたくても
化粧してる母が
「今日は同伴だからまたあとでね
晩御飯は千円置いてあるから買って食べて」
あとなんて明け方帰ってきて朝は寝てるから
話せる時なんて少しもなかった
バブルに殺られたわたし達
年齢非公開、バツイチ、シンママ、ADHD持ち
私は今ならネグレクトと言う言葉があるが
当時はそんな言葉はなかった
長期出張と言う名の浮気をしていた父親と
水商売と言う同伴と仕事とアフターと遊びに夢中の母親で育った
と言うか場所とお金だけで与えられて
自ら生き抜いた
3歳の私は玄関にいた
「みずか、ママと死のうか?」
私の一番幼い記憶はこれ
万引きは3歳
SEXの行為を知ったのは5歳のママの