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PhD のはじまりとそれまで

やや怒涛のPhDのインダクションウィークが終了してすこしほっとしたのか、風邪をひいてしまった。やること山積だが一日休んでまた頑張らねばと、でもこの始まりを記さねばと今ここに書いている。

去年の10月に初めて英吉利にきて、人文地理学で修士を始めた私だが、この9月から念願の博士課程をスタートすることになった。英国での博士を検討している人もいるかと思う。ここまでどうやって私が辿り着いたのかを記しておきたい。

博士を検討し始めた時期:

修士を始めた時点で博士に行くと周囲に言っていたが、本当に行くのかはまだ決めきれていなかった。自分の中でテーマが深め切れていなかったからである。10月から3月頃にかけてだろうか、とにかく年明け春頃まで半年ほどかけてテーマについて考えていたように思う。以下に私のマインドマップを添付しておく。このマップが4枚も5枚も所狭しと壁に貼られていたのだからかなりテーマに迷いメンタル的に病んでいたと思う。

マインドマップ(研究)、2022春頃, 納得いくものになった。
まとめたテーマの内、修論でカバーできなさそうな分を博士でやろうと思った。
もやもや吐き出し場(笑)ちょっと教育的に見せられないものもある(笑) 
テーマは自分が将来ずっとやっていくものだから、一個ずつに納得していく必要があった。
研究の背景にいつも哲学を。それを説明できるように。
時間をささげるもの=私自身、そこに疑いがあっては続けてられない。
自分が自分を、自分の研究価値を一番信じる必要があった。そのために。
久々に開くのを諦めたマインドマップ達のこり。

教授たちにプロポーザルを送り始めた時期:

メールをさかのぼると、まず教授に連絡を入れたのは、4月19日だった。A4一枚半にかけて自分の研究関心を語った。それから一か月が経っても連絡が無く、5月16日に再度教授にメールが届いているのか伺うメールを入れた。その翌日、奇跡的に教授から連絡がきた。もう少し研究関心をプロポーザル形式にする必要があると。それから4日後、ある教員から私の研究関心が興味深いと連絡がきた。そのメールには UCL (University College London) のIOE (Institute of Education) には地理教育のチームがある。研究関心が興味深いから一度オンラインミーティングをもってみないかと。将来の指導教官となる彼女との初ミーティングは6月9日だった。その日は調査のため一時的に日本に帰国した直後であったが、この機会を逃せないとプロポーザルをもってオンラインミーティングに臨んだ。そこではさらに私のプロポーザルに関心があると言う別の教員も参加し、2対1でのオンラインファーストミーティングが行われた。無事にミーティングが終わったのもつかの間、福島でのフィールドワークとつかの間の日本滞在を終え、英国に帰国。9月提出の修士論文を執筆しつつ博士課程の申請に本腰を入れた。次に彼らに連絡をとったのは7月1日だった。#1ミーティングで指摘いただいたポイントをおさえた最新版のプロポーザルを添付すると同時に、9月の博士入学に間に合うために必要な手続きについて尋ねた。彼らはあまり入学手続きに関しては、詳しくなかったため IOE の博士入学の担当者につないでもらい、彼女を交えてメール上でいつまでにどんな手続きが必要なのかを尋ねると同時に、指導教官たちを常にCcに入れることで、私の動きを彼らに知ってもらう努力をした。

担当者によると、遅くとも7月末までに入学手続きを済ませる必要があった。幸いにもオンラインアプリケーションはやや形式的なもので、指導教官が見つかるかどうかが博士においては最重要ポイントだった。私はすでに見つかっていたので、以前からこまごま進めていたオンラインアプリケーションに現在のプロポーザルや推薦状などを添付して申請は完了した。博士に進めるかどうかで大事なのは、先に述べたように1.指導教官探しと、2.彼らが納得のいくプロポーザルを提案できるかどうかの2点だ。

私の大学の場合、入学審査は最大6週間かかると言われた。9月の入学は26日、非常にギリギリだったと思う。この大学の博士の入学時期はとても柔軟で9月入学の他にも11, 12, 1月にも学生を受け容れている。だが多くは9月入学とのことでできたら9月から博士を始めたかったので間に合わせてくれた関係者全員に本当に頭が上がらない。ここで失敗談を話すとなぜか私はオンラインフォームで間違ったIOEのコースを選択して申請してしまったのだがすぐに担当者に言えば直しとくから大丈夫だよ~と言われ事なきを得た。有難い‥。

そして8月29日に正式に入学許可証をもらった。なんとまあギリギリの人生である。7月31日にオンラインアプリケーション提出を終えた後は家探しをしていた。もう9月からは大学寮には住めないことが分かってたので8月の最初に一気に探して決めた。なかなか決まらず、その時期は非常に悪夢で眠れずかなりやばかった。

家が決まってからおよそ1週間後、修論を提出した。18,000 words くらいのだ。人文地理学の理論とのコネクションが弱いものを創り出してしまったことに後悔は残るが、'Home' の定義を論文作成を通して自分の中に落とし込めたことには非常に満足している。

博士の開始

9月下旬から博士が始まった。初週は学生証をもらったり大学の施設の位置把握やらしていた。あとは、入学手続きでお世話になった担当者のもとを訪れてサポートに対する感謝の気持ちを伝えた。2週目は博士の説明会(UCL全体の博士のためのものとIOEのもの)とはじめての対面での指導教官とのミーティングがあった。いままでウィンザーの方の田舎で過ごしていた人が突然ロンドンの真ん中で毎日忙しく動き回っているのだからそれは無意識に疲労が溜まっていたのも頷ける。これを書いているのは2週目の終盤、3週目が始まる前だが、やはりこの博士が始まって高まっているワクワク感をそれが熱いうちに、ぜひプロポーザル執筆に注ぎたいものだ。

博士インダクションのチャット質問で断トツ人気だった質問:
「4年間の博士を己の存在を疑わずにどうやって生き延びればいいですか?」

色んな研究コミュニティとか新規バイトやらも開拓しないといけないのだが、色々バランスをとりつつやっていきたい。初回ミーティングで教官たちに「これからの3年(4年)間はマラソンだから急ぎすぎないように」と言われた。

彼らのサポート体制は非常に心強い。国を超えて私が考えてきたことを受け容れてくれた人たちなのだ。私は社会のために分かりやすく実践をせずに「考える」自分を長い間受け容れられず、そのために存在意義に疑問を抱かずにはいられなかったのだが、この博士進学で自分のアイデンティティをやっと受け止められたような気がしている。大げさに聞こえるかもしれないが、地球への愛をもって、日本だけでなくてその周辺地域、さらには世界のためになるような何かを創り出せる人に、博士が終わるころには、そうなっていたいと今は強く思っている。

振り返って思うこと

この環境に本当に感謝している。そして今思うことは、なりたい自分となれるものが違っても、持っているものの中から自分は自分の未来を創り出せる、何にでもなれるということだ。私は、小学生の時から図工の時間が好きだった。お題があって、それに合わせて各自で材料を持参し自由に何かを創る。私は一見要らないようなものを集めては(100均の苔とか(笑))机に広げて、じゃあ、いま手元にあるもので何ができるかを考えるのが好きだった。研究も似ていると思う。もしかしたら進路選択もそうかもしれない。いま手元にあるもの、それは目に見えるスキルかもしれないが、目に見えない、自分の哲学、譲れないものかもしれない。スキルは過去に所属した環境で育まれ、哲学は生来の性格や環境との関係の中で生まれたものかもしれない。それら全部をつかうのか。いま手元にあるものは過去の自分が選択したもの全てだ。直感はだいたい自分を表しているから信じていい。過去に何を選択してきたかで自分が何をしたいのかできるのかは、それらを深く振り返ったときにすでに答えはありそうな気もする。過去の選択を否定してはいけない。今自分が持っているスキルを否定してはいけない。自分を否定してはいけない。今まで生きてくるのにすべて必要なスキルだったからだ。それらが今の私を創った。誇りに思って良い。すべてはそれをどう捉えるかだと私は本気で思っている。見方で人生は変わる。

自分の手元に何があるのか分からない人もいると思う。私は学部卒業時点でそうだった。だから留学した。選択を繰りかえす。自分の選択だ。誰かのではない。自分が納得したもの、なぜそうするのか自分で人に説明できるもの、なぜ自分がその選択をするのかが自分でわかっているもの。その選択でどんなスキル得たいのか自分でわかっているもの。選択を繰り返した後に、ほっと一息ついてみよう。過去との考え方が違っているのは自然なことだ。それは彼方の哲学が深まっている証だ。そしていま手元にあるスキルや哲学を机にざっと広げてみよう。それを重ねたりくつけたり並べたりしてみよう。何かが見えてくるはずだ。できることならあなたにしかできないことをしていこう。生きた証をのこそう。そういう生き方を私はしたいと思って、ここまできたんだろうと思う。


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