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一歩一歩でしか進めない人生だから

丸2日外に出ていなかったので、とりあえずきょうは散歩をした。昨日寝る直前にYouTubeでプラチナ期のモー娘。を見たらまんまと泣いてしまったので、歩きながら「Fantasyが始まる」をiPodで聴く。

『自由で何が悪いというの 好きなようにしていいじゃない』『一番目立った格好で歩く 一番ビビットな道を』『束縛やめてよ 羽が傷つく』『ガラスの靴はこの手の中にある』などなど、つんくイズム全開の歌詞のなかでも、とりわけ光ってるのは、『かぼちゃの馬車を正面に回して!』だなあと思う。この発想、凄すぎる。ガラスの靴は自分が持ってる的な表現は他でも見たことあるけど、かぼちゃの馬車を正面に回して、なんて、初めて見た。超カッコいい。痺れる。

モー娘。を聴いてると、力をもらえる。わたしはこれから何になろうかな、と思う。子どものころから一芸に秀でたいと思っていたけども、ことさらそうじゃなくてもいいんじゃないかとさいきんは思えてきた。家族や友達や先輩や後輩を大切にして、ときどきお酒をのんだり喫茶店で本を読んだり、日記を書いたり推しを観て沸いたりできれば、それでいいんじゃないかと思う。特別な何者かにならなくてもいいと。

とはいえやっぱり野心は捨てきれないから、小説を書くことはずっと続けていくつもりだ。年を重ねても、ずっと書き続けようと思う。続けることがいちばん難しい。でも続けていけば、なにかのタイミングで認めてもらえる日が来るかもしれない。書かなくなったら、その日は一生こない。いまあきらめてしまうのは、ちょっと早すぎる。

思い返せば、小1からずっと書いてきた。ハリーポッターに感化されて、魔法が使える人魚という設定のファンタジー長編を書いたのが最初だった。結構な分厚さだったので、少なく見積もっても原稿用紙30枚以上はあったと思う。それはシリーズ化して、最終的に4巻くらいまで書いた。うまい下手なんてどうでもよかった。いちばんわたしが読みたいものを書けるのはわたしだったから。

もう書かなくていいかもしれないと思ったときもあったけど、けっきょくいまもやめられていない。自分の読みたいものを書いて、書いて、ひとりで遊んできた。それがひょっとしたら世間から認めてもらえるかもしれないという助平根性が湧き出したのが、23のときだった。そこから公募の新人賞に応募しはじめた。短いもので原稿用紙30枚、長いもので100枚の小説を年間で7〜8本書き始めた。ずっと締切に追われていたが、楽しかった。わたしの小説を読んでくれる友達がいて、おもしろいと言ってくれていたのが励みになった。

でも今年は2本しか応募しなかったので、最後に短編を1本書いて、光村図書出版の「飛ぶ教室」に送るつもりでいる。3月は有名どころの新人賞の締切が立て続けにあるので、そこにも書いて送ろうと思う。

思えば、応募し始めてからまだ4年しか経っていない。やっぱりあきらめるにはまだ早いだろう。書く気がなくなったならともかく、まだ書きたいのだから。

こんなときはやっぱりモー娘。の「Do it! Now」だよね、とふたたびiPodを探る。『一歩一歩でしか 進めない人生だから 立ち止まりたくない』。そのとおりだ、と思う。小説を書くことは、わたしにとっていちばんたのしい遊びだった。これからもたぶんそうだ。先はまだ長い。あせらなくていい。

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