手放してよかった「理想の自分」
こんにちは、みつまめです。
今回はルームスタイリスト倉田エリさんの企画 #手放してよかったこと のテーマに沿って記事を書いてみます。
企画についての記事
私について
みつまめと申します。
30代半ばのワーキングマザー。
小学生と保育園児の母です。
昇進した事をきっかけに適応障害になり、3ヶ月間休職。
元の部署、職位にフルタイムで復職しもうすぐ8ヶ月が経ちます。
現在も治療中で、気分の波と共存する道を探りつつ、今は元気だった頃に近いところまで回復しつつあります。
休職経験と、復職後の生活をテーマにnoteを書いています。
今回の企画に参加したいと思った理由
休職中の記録にしたい、と自分のために始めたnoteでしたが、今ではnoteが大切な場になっています。
スキやコメントを通じて、noterさん同士の繋がりの輪が回復の助けになっていると感じています。
復職したら書くこと無くなるんじゃないかな、なんて思っていた時期もありましたが、全くそんなことはなく。
相変わらずnoterさんの記事に励まされたり、気付きを得たり。
頂いたコメントをきっかけに自分を振り返り、より「自分」を知ることにも繋がったり。
今回のテーマは私にも思いあたる経験があったのが参加の大きな理由です。
自身の経験を振り返る事で、苦しんでいる方の気持ちが少しでも楽になればいいなと思っています。
手放してよかったことは「理想の自分」
私が"手放してよかったこと"は、「理想の自分」です。
一般的には、理想の自分に向かって努力する事はよしとされています。
私も社会人になって10数年、常に理想の自分を追いかけてきました。
理想の自分を追いかける仕事の仕方に綻びが出てしまった原因は、「昇進したこと」でした。
現在の職場には役職付きの女性は1人しかおらず、私とは全然違うジャンルの仕事をしています。
メンターとなる存在が身近におらず、私は前職の女性上司数人を思い浮かべ、そのいいとこ取りをしたような姿を「マネージャーとしての理想の自分」に設定してしまいました。
冷静に考えたら、いいとこ取りの完璧な存在になれるわけがありません。
そもそも上司たちは私とは性格も、得意な事も全く違う方たちばかりでした。
そして、私には見えないところで努力していたり、悔しい思いも沢山してきているはず。
そんなことにも思い至らず、ただ憧れにも近いような気持ちで理想の自分を作り上げてしまいました。
昇進した事に浮かれ、自分の実力を過信していたのだと、今振り返ってみると感じます。
当然私が目指した理想の自分など程遠く、上手く行くはずもありませんでした。
それなのに上手く出来ない自分を責め、身体の不調は見て見ぬふりをし続け、果てには休職が必要な程の抑うつ状態に陥ってしまいました。
「理想の自分」は幻想だった。
そもそも私は対した実力もないのだし、そんな完璧な存在になんてなれる訳がない。
それなのに、上手く行かないのは努力が足りないからだと自分を責め続けるなんて、何て馬鹿馬鹿しいんだろう。
そう気づけたのは、休職している最中でした。
思えば、「今の自分」をそのままの姿で認めてあげられたのは、物心ついてからも始めての事だったかもしれません。
決してネガティブな気持ちではなく、突然腑に落ちた、という感じでした。
私はこの時、「今の自分」の姿認め、「理想の自分」を手放すことが出来ました。
子育てにも「理想の自分」は入り込んでいた
仕事に行けない程の抑うつ状態、というのは、日常生活もままならない状態です。
休職直後は朝全く起きられず。
目は覚めても布団の中で、ただぼんやりと寝て過ごしていました。
夕方頃に布団から這い出して夕飯の支度をし、子どもたちを保育園や学童に迎えに行き、そのまま夜の育児と家事をする、という生活でした。
そんな状態で子どものお迎え~夕食~お風呂~寝かしつけまで1人でしていたのは、今から思うとかなり頑張っていたなと思います。
でも当時は朝子どもたちの見送りすら出来ない自分に罪悪感があり、日中動くことが出来ない自分を責め続けていました。
せめて夕方くらいはきちんとしなければ、と罪滅ぼしのような気持ちだけで無理やり動いている感じでした。
ところが、私が朝起きてこない状況に、子供たちの方が早く適応してしまいました。
特に小学生の長男は自分で起きて着替え、朝食の準備も1人で出来るようになりました。
時には家族より1時間も早く起き、1人で朝の時間を楽しむ余裕すらあります。
私が休職する前は起こしてもなかなか起きないし、学校に行く仕度も、時計を確認して家を出ることも、声をかけなければ全くしなかったのに…。
急にしっかりしてしまった長男の様子を見て、私は「理想の母親」を自ら作り上げてしまい、不要なこだわりを持って子育てしていたのかもしれない、と気付きました。
「毎朝子どもよりも早く起き、朝食を出し、見送らなければならない」
「予定がない休日は、出来るだけ外に連れ出して、一緒に遊ばなければならない」
「外に行かない休日でも、子どもを優先して時間を過ごさなければならない」
子どもたちの様子をよく見てみると、私が遊びに加わるとするともちろん喜んではくれています。
だけど、なければ無いで特に気にもしていない様子でした。
朝はやろうと思えば自分で出来るし、休日も常にママと遊びたそうな感じでもない。
希望があれば言うし、特になければ兄弟で好きに遊んでいます。
子育てでも、私はいつの間にか「理想の母親」像を作り上げて、それを追いかけていたようです。
今でも「こんな事も出来ないなんて、なんてダメな母親なんだろう…」と自分を責めてしまう事はあります。
でも、そんな時は子どもに声をかけ、子どもが希望しているのか、ただの私のこだわりなのか確認するように気を付けています。
子育てでも、私は「理想の自分」を手放しました。
「理想の自分」を手放したから手に入ったこと
元々私は過剰に頑張ってしまいがちで、スモールステップと言いながら、150%とか200%の負荷がかかるような状態で頑張ろうとし過ぎるタイプです。
そんな私と「理想の自分」はある意味相性が良く、憧れを「こうあるべき」に変換し、そこに向かって頑張ってしまいます。
現在も寛解したわけではなく、気持ちの波に振り回されてはいます。
それでも私は、休職生活を経て「自分はそんなに大した人間じゃないんだ」と等身大の自分を認めることができました。
私には大した実力なんてないのだ、ということは、今も常に意識しています。
「理想の自分」を手放したからこそ、私はようやく人に任せることの意味を知りました。
人に任せることが出来るようになったから、メンバーもあらゆることを「自分事」としてとらえてくれるようになりました。
結果として、私が作りたかった「理想のチーム」を形にすることが出来ました。
チームビルディングについて、上司からも評価頂ける程度には形にすることが出来ました。
休職は私には必要な経験だったのだと、今ではポジティブに捉えることが出来るようになっています。
子育てでも「理想の自分」を手放したことで、しんどいときは無理をしないようにブレーキをかけられるようになりました。
イライラして子どもを怒りすぎる、ということも減りました。
(これは子どもたちが成長して、ほんの少しだけ手が離れるタイミングと重なった事も要因の1つではありますが)
私にとって「理想の自分」は重い枷となっていました。
それに気付き、手放した事で、私はほんの少しだけ楽に、生きやすくなったように感じています。
*****
自己紹介記事
休職生活の集大成の記事
はっきりと「変われた」と実感した時のこと
復職後の記録
この記事が参加している募集
いただいたサポートは、日々を乗りきるため「自分へのご褒美」に使わせて頂きます🍀 ちょっと良いコーヒー、ハーブティー、豪華ランチ、大好きな本を買う、お出かけ資金…何に使おうかな🎵