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家族ってチームなんだ | 妊娠出産体験記その2

こんばんは、みつまめです。
夫が絶賛入院中です。

今回夫が入院した病院は、実は私が次男を出産した病院でもあります。
しかも夫の入院している病棟、産婦人科病棟の向かい側。
病棟の面会室で出産報告の電話をする人、上の子とLINEで話す様子の人。
大量の荷物を持ってくる、パパらしき人。(たぶん明日あたり退院かな?)
出産を待って、そわそわした様子の家族。
さらに産婦人科病棟のドアが開くたび、新生児の可愛らしい泣き声も聞こえてきます。

病棟の面会室で夫の手術が終わるのを待ちながら、次男出産の時のことを思い出していました。

次男は6月13日生まれ。実は時期まで一緒。
今日はちょうど6年前、次男出産の時のことを振り返ってみようと思います。

長男の時のこと


全てが順調だった次男の妊娠中

次男の妊娠が分かったのは、だいぶ涼しく、秋らしくなってきた頃。
長男が2歳半で卒乳し、おむつも夜だけになって、少しだけ子育ての山場?を超えた時期でした。

私は半年ほど続けた転職活動がいまいち上手く行かず、夏で一旦中止。
ぼちぼち第二子の妊活しようかね〜と夫と話をしていた矢先、次男を妊娠しました。
長男を妊娠するのに結構時間がかかったので、すぐに授かってかなり驚いたのを覚えています。

次男妊娠中は、匂いに敏感、猛烈に眠い程度で食事にはあまり影響がでませんでした。
頭痛が酷くて、たまに頭痛が原因で吐いたりしたので、おそらく頭痛づわりだったんだと思われます。
日常生活でつらかったのは、洗濯(柔軟剤の香りがダメ)と、長男のトイレの後処理(拭いてあげる必要があった)
それ以外日常にあまり支障はなくて。
あまりにも元気なので、長男の保育園の送り迎えは早めの産休に入る妊娠8ヶ月頃まで、自転車で行っていたくらいです。

お腹の中の次男はというと、推定体重はずーっと平均値ど真ん中。
性別は華麗な股割りで早々に判明し。
長男以上に動きが大きく、胎内でのびのび元気いっぱいな様子。
逆子でもなく。
多少お腹は張りやすかったけど、仕事してたらある程度仕方ない気もする。

トラブルというトラブルは、前置胎盤気味(胎盤の位置が下のほうにある)、と言われた事。
あとは出産直前にGBS陽性が判明したくらい。

ただ、長男が帝王切開だったので次男も帝王切開確定していて、「ま、帝王切開ですし。あんまり関係なくて良かったですね〜」と先生と気楽に話をしていました。

長男のほうが大変…?

元々保育園に行き渋りがちだった長男。
3歳の誕生日直前にインフルエンザに罹りました。
(当時妊娠6ヶ月。感染を覚悟しましたがうつらなくてよかったです)

インフルエンザの間、1週間ほど私とべったり家で過ごした事をきっかけに、ハードな登園拒否が始まりました。 

朝は夫に送って貰っていましたが、車に乗る段階から大泣き、大暴れ。
車に乗れば、チャイルドシートのベルトをぐにゃりとすり抜け。
保育園に着いても暴れ、ひるんだ隙に玄関から靴下で脱走を試み、保育室に入ってからも一瞬の隙をついて逃走するなど、ありとあらゆる抵抗をしていました。
お風呂場に立てこもり、1時間程度出てこない事もありました。(当然仕事は遅刻した)

有休を使って早めに産休に入ったのですが、産休にはいった後に登園拒否は加速。
朝さえすぎればケロッと楽しんで帰ってくるし、年少クラスに進級して行事も増えたし、できれば保育園に行って欲しい。
でも、毎日登園拒否する長男を無理やり連れて行くのも何だか可哀想な気がしてしまい。
産休中だから休ませることもできるけど、でも一度休ませたら、もう保育園行かなくなるのでは?とずいぶん悩みました。

あれ?夫も大変じゃないか…?

そんなこんなで、3人家族として最後の旅行を楽しんだGW明け。
GW明け早々に長男が溶連菌に罹りました。(当時妊娠9ヶ月)
長男は微熱と発疹が出た程度で症状が非常に軽く、すぐ元気になりました。

ところが、長男が元気になった1週間後。
夫が発熱して仕事を早退してきました。
どうやら喉がひどく腫れ上がっているようです。

スープパスタが食べられそう…と言うことで作っておきましたが、結局パスタ3本くらいしか食べられず。
その日の夜は、爆音のいびきをかき、合間に20秒くらい呼吸が止まっています。

これ、朝起きたら隣で冷たくなってるヤツでは…?

具合悪いとこ悪いな、と思いつつも夫の息が止まる度叩き起こしながら夜を明かしました。

翌朝耳鼻科へ行ったら、30分程度で大きい病院の紹介状を持って出てきました。
要はクリニックで診られないくらい容体が悪いということです。
その足で慌てて大きい病院の救急外来へ。

救急外来に現れた、飽きて不機嫌な3歳児、疲労感を滲ませる妊娠後期の妊婦、顔色の悪い成人男性の愉快なトリオ。
診察に呼ばれる時、看護師さんが一瞬「誰が患者?」とカルテの名前と見比べながら迷ってました。
夫が立ち上がった時、看護師さんの「お前かーい!」という心のツッコミが聞こえた気がしました。

そして診察の結果、即入院となりました。
長男の溶連菌が夫に感染し、扁桃腺とその周りが酷く膿んで腫れていたそうです。
切開して膿を出され、5日間ほど入院して、無事に帰ってきました。

夏の感染症は激烈な症状のものが多いので大人も要注意です。

ちなみに5月後半の妊婦健診で、私の帝王切開の手術説明が控えていました。
夫が退院間に合ってよかったです。
そして私(と次男)には感染せず、元気で良かったです。

やっと入院、出産ギリギリまでばたばた

そんなこんなでやっとの事で入院。
帝王切開は出産日も入院期間も決まっているので、予定が立てやすくて大変便利です。

入院中くらいはじっくりお腹の中の次男との時間を楽しもう、と思ったものの、気になるのは長男の様子ばかり。
思えば生まれてこの方、私不在で寝たことがない長男。
ちゃんとご飯は食べたか、問題なく眠れたか、心配すぎてこっそりと泣きました。

なお出産当日、午前中は長男の保育参観。
最後の最後まで家族の予定に影響された妊娠期間でした。

午後イチの手術だったで夫は何とか間に合って、無事に付き添って貰えました。

落ち着きはらっていた2度めの帝王切開→次男も保育器へ

帝王切開って要するに手術なので、一般的な手術と同じような過程を経て手術室へ向かいます。
(着圧ソックスを履き、手術着を着て、歩いて手術室へ)

硬膜外麻酔をかける為の注射で背中をグリグリされるのが痛かったので、2回目はそれが怖かったです。
でもそれ以外は落ち着いて臨めました。

次男出産は帝王切開とはじめから決まっていたので、建て替えたばかりで比較的設備が新しい総合病院を選びました。
設備が新しいが故に、手術台上のライトのフチがキレイにあたりを反射していたのが印象的でした。
メガネ外していたからぼんやりとしか見えませんでしたが、何だか生生しく赤黒いの見えていました。
これ、視力良い人ははっきり見えちゃうのでは?と冷静に観察していました。

帝王切開も無事終わり、ご対面した次男は長男と全く同じ顔。
感動するよりも、面白い、が勝ってちょっと笑ってしまいました。

そして、推定体重2500gを超えていたはずの次男、生まれてみたら長男と同じ低出生体重児でした。
新生児多呼吸、新生児低血糖も長男とお揃い。
保育器のお世話になる事になりました。
そんなところまで似なくても。

次男は先に産婦人科病棟に上がるのですが、病棟に入る直前夫がちらっと会わせてもらったようです。
長男の初対面と同じく保育器に入り、管に繋がれての登場。
その姿だけで、「あ、長男と同じ状況だ」と思ったようです。
(術後の説明を先生から受けた時も、長男と同じ状況なんでだいたいわかります的なことを言ったらしい)

一度経験してるとだいたいわかっていて、夫婦ともども非常に落ち着いていました。

まだまだ長男が心配

次男が低出生体重児なのは予想外でしたが、ずいぶんと気持ちは落ち着いていました。

何せ同じフロアの新生児室預かりなだけなので、徒歩1分もかからず会えちゃう気楽さ。

長男のときはNICUまで点滴台引きずって片道10分かかっていたので、本当に辛かったんです。
切開跡も痛いし休む時間もないし。
これが原因で産後鬱に片足突っ込みました。

私は後陣痛が1日辛かった事、乳腺が張りすぎて熱が出た事以外は、特にトラブルもなく。
私は母乳過多で副乳まで岩のように腫れ上がり、熱が出るんです。
だから、3時間おきの授乳が待ち遠しかったくらい。
身も心も元気いっぱいでした。

そんな感じで、次男の心配も、自分の心配もほとんどしていなかったのですが、とにかく長男が心配でたまりませんでした。
朝は夫と保育園に行き、お迎えは私の母か夫の母。
夫が帰ってくるまで私の実家か夫の実家で夕飯を食べて遊び、大変良い子に過ごしていました。
何度かお見舞いに来てくれたのですが、ちょっと甘えん坊なくらいで基本いつも通り。

あれ、意外と平気なのかな?と思いきや。
エレベーターでバイバイする時、扉がしまる瞬間悲しそうに顔が歪むのを見てしまいました。
長男、めちゃくちゃ我慢してる。
すごく頑張っているんだ。
私も寂しい!長男に会いたい!と病室で号泣しました。
(長男の表情、今でも鮮明に思い出せます。なんなら思い出して泣きました)

次男が生まれたら、2人に等しく愛情を注げるか?と不安に思った時期もありました。
私の愛情の容量は決まっていて、その愛情は兄弟均等に分けるものなんだと思っていました。

でも、そんな心配は杞憂に終わりました。
愛情はそれぞれ子どもの数だけ、倍々に増えるものでした。
健気でかわいすぎる長男を見て、そう確信したのでした。

次男、残留決定

次男を出産した病院は、退院時にクリアしなければならない体重のラインがありました。
次男はぐいぐい母乳を飲み、早々に完母になり。
かなりの勢いで体重を増やしてはいました。
ですが、そもそもスタート時点で小さいので、流石に退院までに基準体重をクリア出来ませんでした。

入院延長するか迷いましたが、別の事情もあり私だけ一足先に退院する事にしました。
結局私の退院翌日に次男も退院出来たので、朝昼晩搾乳を届けに毎日通う、といったハードな生活は経験せずにすみました。

ちなみに生後1ヶ月の時点で、自治体が実施する「新生児訪問」(助産師さんが家に来る)があるのですが、その時点で1日あたり52g増という脅威の数字を叩き出す、よく飲む新生児でした。
(1日20-30g増くらいが目安らしい)

あまり吐き戻しもせず、結構早いうちから需要と供給は一致していたようです。


家族ってチームなんだ

長男出産を通じて、「子どもは親の思う通りにはならない」と実感しました。

子どもは親の思う通りにはならないし、思い通りにしようとしてもいけない。
それは"いのち"に対してとても傲慢なこと。

子どもは生まれた瞬間から私とは"別の人"
赤ちゃんでも幼児でも、一人の人として尊重する。

子どもには子どものペースやタイミングがある
結局はその子のペースやタイミングに合わせて、その都度何が良いのかを決めるしかない

"あの子"の計らいなのか、長男が「普通」にはハマらないマイペースくんなのか。
どちらなのかは分かりません。
でも、"あの子"と長男の経験がなかったら、私は理想主義で、親の理想を子どもに押し付けるような親になっていたような気がします。

私の子育ての軸を作った長男出産の話

この軸はブレずに、今も私の中にあります。

さらに、次男の妊娠出産を通じて感じたのは、「家族ってチームなんだ」ということ。

我がチームメンバーは病気やトラブル(登園拒否)を持ち込んだり、急に入院してみたりとかなりへっぽこでした。
でも、かわりに次男も私もトラブルなく、元気なまま出産にこぎつけました。

そして実は、次男産後3日目に私の祖母が亡くなりました。
ちょうど私の退院日がお通夜、次男の退院日が告別式でした。

次男は基準体重クリアできずに病院に残りましたが、そのお陰で私、夫、長男はお通夜に出ることができました。
告別式の日は次男を迎えに行った後、夫、長男、次男の3人で3時間程度お留守番してもらい、私だけ参列しました。

わずか数時間でも予定がズレたら、私は祖母のお見送りは出来ませんでした。
このときは次男のタイミングの良さと、新生児を臆することなくお世話できる夫、程々の興味で次男をあまり気にしていないマイペースな長男に助けられました。

とくに次男のタイミングの良さと言ったら…!
スピリチュアルは嫌いだし、運命なんて信じてはいないけど。
赤ちゃんや子どもの周りでは、こういう不思議な巡り合わせってたまに起きるよなぁ、と思います。

タイミングが良く、兄が泣くとスっと泣き止んで様子を伺う新生児だった次男は、今日で6歳になりました。
家族ってチームなんだと教えてくれた彼は、今も可愛い&ひょうきん担当として、チームの中心にいます。

長男が喘息発作で苦しい時は、手近にあったゴミ箱を被り踊って見せて笑わそうとし。
夫がぎっくり腰の時は、腰が曲がった夫のものまねをしてやっぱり笑わそうとし。
ふざけているようでいて、結構周りをよく観察しています。
気遣いの方向性がズレていて笑いは起きず、結果やや顰蹙を買っていますが、それは持ち前の愛嬌でうまいことやっています。

私の家族は今、夫の入院と手術という結構な事件(?)に立ち会っています。
ですが変に動揺したり、不安がったりせず、今自分がする事を淡々とこなし。
意外と普通に日常生活を送れています。
それって6年前よりもさらに、良いチームワークを発揮できているって事なんじゃないかな。

子どもたちが成長するにつれて形はどんどん変わっていくのだろうけど。
引き続き家族というチームとして、お互いを尊重しつつ、各自の持ち場で淡々と生活していきたいです。


おまけ
赤ちゃん返りしなかった長男

次男が生まれた時点で、長男は3歳4ヶ月。
超がつくママっ子で甘えん坊だし、HSCだし、気持ちが不安定になる事は覚悟していました。

よく言う「上の子を優先」というのは、どうしても難しい場面もある。
だからせめて、嫉妬心から次男を攻撃したとしても、声を荒らげて叱るようなことはしないと決めていました。

ところが長男は意外にも、赤ちゃん返りはしませんでした。
退院初日から次男に興味津々な長男。
興味津々の割に、過剰にかまったりはしない程よい距離感。

初めて授乳する様子を見た時は、あまりにじーっと見ているので、「長男くんも飲んで見る?」と誘ってみました。
何せ2歳半まで飲んでいた子です。自分からやめると言って卒乳しましたが、さすがにまだ愛着はあったでしょう。
もし「僕も飲む」と言い出したら、気が済むまで飲ませてあげようと思っていました。

ところがこの時既に飲み方を忘れていたらしく、上手く飲むことは出来ませんでした。
飲めなかった事で、「これは赤ちゃんが飲むものなんだ」と納得したようです。
その後、嫉妬したりもせず、授乳の様子自体に興味を失ったようです。
正直、かなり拍子抜けしました。

次男への程よい興味が尽きることはなく。
1日1回以上は必ず抱っこさせろとうるさく言うようになりました。
(長男を座らせて、足の上に次男を乗せるスタイル)

じっと長男を見つめておとなしい次男

隣で泣きだしたら、そっと手を繋いだり。
(だいたい目はTVに釘付け)

3歳半と新生児
素っ気なくても気にかけているのが可愛い


そして、たまに次男に自分の指を吸わせて喜んでる様子も。(可哀想な次男…笑)
次男くんをお風呂に一緒に入れたいから、自分が保育園から帰るまで次男くんを沐浴をさせるな、ともよく言ってました。

その頃の関係(距離感?)はそのままずっと続いています。
長男がお節介しすぎて次男が怒ったりもしますが、基本的にとっても仲良しです。

長男が赤ちゃん返りしなかった理由はいまでもよくわかりません。
保育園の送り迎えや、お風呂、寝る前の絵本でスキンシップが足りていたのか。
もしくは長男が元々、可愛い生き物好きだからなのか。

なお、登園拒否は次男が生まれた後、多少頻度は減ったものの、私の育休が終わるまでずっと続きました。
もしかすると、1年半も続いた登園拒否が、赤ちゃん返りの替わりだったのかもしれません。


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