ハイテンションの母と私の記録

母が2度の医療保護入院。 私、40代前半。 1度目の入院で「統合失調感情障害」と診断。…

ハイテンションの母と私の記録

母が2度の医療保護入院。 私、40代前半。 1度目の入院で「統合失調感情障害」と診断。 0か100で生きている母。 冬眠期と、超活動期を行ったり来たり。 穏やかで優しい母と、とんがって攻撃的な母。 母を取り巻く家族と母について。 私の経験がどなたかのお役に立ちますように。

最近の記事

母が入院したという記憶が薄れてきた頃

人間はどんなに強いストレスを感じたとしても時が経てば記憶を無くしていく、というプロセスを経て平和に暮らしていくのでしょうね。 母と会う母が2回目の医療保護入院をし、退院してから早いもので半年以上が経過した。 今はすっかりおとなしい年相応のシニアの暮らしをしている。 躁転した時には、早朝から目覚め、家の片付けや様々なアイデアに思いを巡らせ、自分は万能でなんでもこなすスーパーウーマンとなっていたのだが、今は朝も父が起こすまで起きてこない、話し方はゆっくり、薄化粧で普段着も至って

    • 行き詰まった時の対処法

      母と対峙するのが辛くなり、自分自身の家庭にも調整が必要な問題が起きて色々と心身が疲れていた時に、ふと立ち寄った本屋で面白い書籍に出会った。 脳科学者の中野信子さんとエッセイスト他様々な活動をされている内田也哉子さんの共著だ。昔から樹木希林さんの言動、作品が好きで注目していて、お亡くなりになった後に出版された本も買ったこともあり、内田ファミリーについてはとても興味深くいつも記事などを拝読させてもらっている。 普通じゃない家族の子だった、というお二人の人生観や哲学、脳科学から

      • 精神疾患の家族との向き合い方

        母が退院した。 薬を飲まなくなったらしい。 母は、今回の入院では「躁状態」という診断をもらい、気分を抑制する薬を飲んでいた。活発に活動していたはずの母が1ヶ月の入院&治療により、帰ってきたときはヨボヨボのおばあちゃんになっていた。背中を丸め足はトボトボと歩幅が小さくなり、話し言葉もゆっくりもさっとした感じ。こんなにも人が変わってしまうものか、と家族全員が思った。 感受性が強い方の私はかわいそうに思ったのだが、父と兄はただ大人しくなった母の方が生活に支障が出ないからいい、と

        • 映画鑑賞「すばらしき世界」

          実は母が退院している。 前回は2ヶ月の入院だったが、今回は1ヶ月で退院となった。 母の事はまだ書く気持ちになれず、もう少し頭が整理できるようになったら書こうかと思う。 そんな状況ではあるが、久しぶりに映画を観に行った。「パラサイト」以来なので約一年ぶりに一人で映画館へ。 役所広司さん主演、生きづらい社会、不寛容と善意が入り混じった世界、あなたにとって「すばらしき世界」とは・・・? いかにも重たそうな内容である、、今の私に受け止められるのか、若干不安を抱きながらも、もし

        母が入院したという記憶が薄れてきた頃

          心理検査〜拒む母から見える世界〜

          入院中の母が心理検査を拒んだ。 母が入院した記事はこちら。 心理を追求される事が嫌なのであろう。 自分は正常、あなたたちがおかしい、というのが躁転した時の母の主張だ。 言い方を変えると自分は特別な才能を持った人間で、凡人の私たちとは理解し合えないとも言っていた。 母は確かに語学や音楽といった才能を持っていると思う。英語は独学で講師にまでなり、結婚後は自宅で小学生&中学生向けに英会話を教えていた。(そんな母が自慢でもあった。) 音楽も大学時代からギターで弾き語りのよう

          心理検査〜拒む母から見える世界〜

          本音を言い合える家族

          今朝のこと、雪が降っていたため、高校生の長男に、「ネックウォーマーつけていきなさいよ。」と言ったら、 「寒いのは自分が感じる事だから、自分で考えてつけていくから言わなくていい!」 と、ぴしゃり。 ついこの間まで、素直に分かったと言っていた息子。段々と自立に向けて自分の意思を伝えてくるのだろう。息子とは彼が中1の時もこういうハッキリとしたノーの場面があった。その都度彼は私から精神的に自立しているのである。寂しいが嬉しい。 思えば、私もよく母とぶつかっていた。小学校高学年く

          閉鎖病棟〜母その後〜

          入院してから、まもなく3週間。 2週間ほどコロナ対応もあり、個室に隔離されていたのだが、母も少し落ち着いたということで、他の患者さんとの交流できる開放スペースも許可がおりた。 先生が母に、 長い間、隔離してしまってごめんなさい。 そう仰ったそうだ。 今回の先生は人情味があるというか、患者さんを1人の人間として尊重してくださっているのが感じられて家族としてはホッとしている。 母もやはり気に入っているようだ。 (先生は母のタイプ的に嫌われると治療が進まないから嫌われないよ

          思春期の娘と私

          私自身が母との確執があったため、娘の育児はまさに育自(自分を育てる)である。 私はなるべくありのままの姿を子供達にみせるようにしている。 先日のこと。息子が不在だったので、娘と主人と3人で食事中に、主人と些細なことで口論となった。それを隣で黙って聞いていた娘。 主人も曲げない所は曲げない人なので話し合いは平行線のまま終了。先に席を立った。 私と娘、2人っきりになった瞬間、 娘から、「お母さん達は子供みたいな喧嘩をしてる!私達には怒るくせに、自分達は子供みたいな事をし

          いろいろな夫婦のカタチ

          母が約2週間前に医療保護入院をした。 過去記事はこちら↓ 母は躁転してるため、自分自身はいまが絶好調で最高に気分がいい状態で、周りを傷付けたり振り回したりしているのことに全く気付かない。専門書には自尊心が肥大化する、と書いてあるが、まさに肥大化した自尊心は神のような最強な存在なのだ。 亀さんペースで生きていた人が、突如としてチーターに変異したと思うほど、見た目にも言動にも大きな変化が現れる。 早朝からスッキリと目覚め、夜ご飯まで準備を済ませ、アイデアが次から次に浮かびど

          いろいろな夫婦のカタチ

          私の家族について

          私の家族は、夫と二人の子供、犬2匹、猫1匹だ。 マイペースで根拠のない自信がある夫と、穏やかな性格の長男、気分の浮き沈みが若干激しいけど陽気な娘とめんどくさい性格の私。 そもそも私は家庭環境に問題がある家庭で育っていると思っていたので、誰かと結婚なんかできるだろうか、という不安があった。0か100で接してくる母に振り回されていたし、父は仕事のストレスで育児は母任せと言った感じで相談できる人ではなかったし、唯一明るい兄が家庭の空気を柔らかくしてくれていたので、笑いだけは確保で

          当事者会

          1度目の母の入院。私にとっては衝撃的な出来事だった。 母の同意がない状態での医療保護入院。今でもできれば思い出したくないし、連想させる映画やテレビ番組なども3年経った今でも観れそうもない。あの時、医療の力を借りなければ本当に家庭は崩壊していたと思う。 母が入院したことで、私たち家族は日常を少しずつ取り戻すことができた。それと同時に今できることを模索し始めた。私はネットで色んな情報を集めるようにして、母の病気(その時は双極性障害のみに絞って検索していた)の当事者会が私の住ん

          1度目の入院

          母の最初の入院では、「統合失調感情障害」と診断された。私たち家族は母の症状が双極性障害の躁状態にぴったりだったので、病名を聞いて驚いた。 主治医の先生と何度か私や父や兄も質問や疑問を投げかけたのだが、ストレートに答えていただけず、話が噛み合わないまま、聞きたい事はいつも聞けずにモヤモヤとしたままだった。結局は看護師長さんを通して先生からなんと診断されたか、母の様子はどうかなど聞くようにして対応していた。 母と主治医の先生も相性が悪く、退院後母が話していたが、母の一言が先生

          ASDについて

          私は約20年ほど前に結婚を機に家を出た。 嬉しかった。やっと自分のペースで生きていけること、家庭を築けることがとても。 夫は、よく話を聞いてくれる人だった。私の味方がやっと出来たようなそんな気持ちになれた。 もちろん、結婚生活は万事順調というわけではなかったけれど、それでも2人の子供に恵まれ、夫とぶつかりながらも話し合いを重ね、前向きに積み上げていっているという実感があった。 母とは良い距離感で孫を連れて実家に帰ったり、公園に出掛けたり、お互いに主婦になった事や母になっ

          母と私

          2度も精神科にお世話になってしまったのだけど、そしてひどいことを沢山言われたのだけど、私は母が好きだ。嫌いになれない、の方がピッタリかもしれない。 母の中には2人の別人のような人格の人がいて、もう1人の母は本当に天使みたいに優しい。こんな良い人いないんじゃないか、というくらいとても穏やか、なのだ。 一方で昔から、とても傲慢で気位が高く、白黒志向で目の前の人の気持ちを一切配慮せず、持論をまくしたて、人を見下すアーティスト気質の人格が表れる。 幼い頃からこの後者の人格の母に

          2度目の医療保護入院

          時代はコロナ禍である。 同居の父が限界に達し、医療保護入院という形で母が2度目の入院となった。 精神科の病院の閉鎖病棟である。 前回と違い、コロナ禍のため今回はしばらく会うこともできない。母の持ち前の明るさと生命力と、医療従事者の皆様の看護や治療を信じて、経過を今は静観するしかない。 思えば数年前、最初に母の様子が著しく変わってしまい、妄想や虚言の世界に入ってしまった時、私は必死で病院を探した。とにかく毎日が事件だったし、沢山の暴言や攻撃に皆んなが疲弊した。専門家の助けが