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閉鎖病棟〜母その後〜

入院してから、まもなく3週間。
2週間ほどコロナ対応もあり、個室に隔離されていたのだが、母も少し落ち着いたということで、他の患者さんとの交流できる開放スペースも許可がおりた。

先生が母に、

長い間、隔離してしまってごめんなさい。

そう仰ったそうだ。

今回の先生は人情味があるというか、患者さんを1人の人間として尊重してくださっているのが感じられて家族としてはホッとしている。
母もやはり気に入っているようだ。
(先生は母のタイプ的に嫌われると治療が進まないから嫌われないようにしようと思います、と以前仰っていた。)

そして、母から父に毎日3回くらい短い電話がかかっているようだ。
主に持ってきてほしいもの中心だが、最近では※子分的な存在の方々できたようで、その方々を引き連れて電話してくるらしい。滝汗

※誤解がないように説明すると、母は躁転して任侠系の人物になっているため、姉御や子分といった日頃あり得ないような言葉を使ってしまいます。不快に感じられましたら申し訳ありません。他にも実は不良で酒豪などと言い出し、実際には飲めないのにも関わらず、お酒やおつまみなども家では常備しておりました。

父は精神的に随分と落ち着きを取り戻し、日々の暮らしを静かに営みながら、母の退院後の受け入れを考えている。父は定年退職後は畑を作ったり、庭の手入れや花や苗を育てたり、地域の公民館活動に通ったりと多少偏屈なところもあるが、高齢者の暮らしとしては穏やかな方ではないだろうか。先日も、昨年私たちが母の誕生日に送ったシクラメンがまた咲き出したよ、と嬉しそうに話す姿を見て、こちらも穏やかな気持ちになるし、私も老後はささやかな喜びを自分で探して生活したいと思っている。

noteを始めて少しずつ皆さんの記事なども読んでいるのだが、本当に色んな家族のカタチがあって、私が見えている世界はとてもちっぽけで点にしかすぎないのだなと思えてくる。世界は広いし、似ている人物はいたとしても全く同じ人物はいないわけで、与えられた環境でどう生きていくか、という事になるのではないだろうか。

私も20代の頃は精神が病みやすかったし、受動的で避け方も知らずに本当にたくさんの壁にぶつかったきた。主人と一緒に会社も経営しているため、仕事でも色んな人に会ってきたし、数々の困難が降りかかってもきた。40代に入り、まだ親の事や子供の事、仕事の事、悩みは尽きないのだが、それでも一つ言えることは経験がバネになっている事、去年できなかったことがまた一つできている事。気づけば周りが成長している事。総合力で乗り切っている感覚がある事だ。

母との問題はこの先も続くと思うが、確実に言えるのは私たちが成長している事。母を理解してきている事、が進歩なのだろう。まだまだ謎が深いが母が苦手なことを理解する事や、自尊心を大切にする接し方を心がけることがこれからの課題になるだろう。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。
母の回復と皆様の心身の健康を祈って。良い一日をお過ごしください。



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