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ASDについて

私は約20年ほど前に結婚を機に家を出た。
嬉しかった。やっと自分のペースで生きていけること、家庭を築けることがとても。

夫は、よく話を聞いてくれる人だった。私の味方がやっと出来たようなそんな気持ちになれた。

もちろん、結婚生活は万事順調というわけではなかったけれど、それでも2人の子供に恵まれ、夫とぶつかりながらも話し合いを重ね、前向きに積み上げていっているという実感があった。

母とは良い距離感で孫を連れて実家に帰ったり、公園に出掛けたり、お互いに主婦になった事や母になった事で距離が縮まったような気もしていた。

その頃、頻繁に会わなくなった事で母の見た目の変貌や人を見下すような発言が気になるように。久しぶりに会ったら急にマツエクにネイルにピンヒールを履いていたり。私から用事で電話したのに、第一声から「もしもし、あのね、、」母が一方的に話し出したりと、とにかく様子が変だった。

そのことを何気なく、当時、子育てを一緒にしていた元保育士の信頼している友人に話すと、「アスペルガーって知ってる?」と言われ、「もしかしたらお母さんはそう言う傾向があるかもよ」と言われ、初めてそういう障害があることを知った。

もちろん、母の年代の人はそういった診断を受ける時代ではなかったし、病院や薬嫌いなので今後も確かめることは難しいと思うので、あくまで憶測の領域を出ることはない。

ただ、もしそうであれば、いままで私の身に起こった事や、母が人間関係のトラブルに見舞われてばかりなこと、全てが納得できるような気もした。アスペルガーの人はストレスが重なることで二次障害として双極性障害が発症しやすい、という事もその時読んだ本で知り、一体いつから発症していたのか、とも思った。

私が多感な時期、両親はよくひどい喧嘩をしていた。喧嘩の後は決まって母が私を捕まえてどれだけ父が酷い人物かまた父の家系がどれだけケチで冷たいか、など話を聞かされた。そして、何故か余計な一言、「○○ちゃんはお父さんにそっくり!」とも言われていた。私は見た目や性格などがどちらかと言えば父の家系寄りだった。
まだまだ精神が未熟な私には、それは死刑宣告のような本当に胸に突き刺さる言葉だった。

その頃、たまに外食に行くと、近くに座っていた家族がとても仲良さそうに笑顔で話して食事をしているのをみて、どうすればあんな家庭が築けるのか真剣に考えてみたりもしていた。



現在40代になった私。
娘は中学生、息子は高校生になった。私が心がけているのは2人の自尊心を大切にすること。心の安全基地として2人を見守ること。何があっても味方だと伝えること。
もちろん、上手くいかずにぶつかる事もあるけれど、概ね上手くいっているように思う。信頼される母に私はなりたいのだ。問題が起きる事が問題ではなく、どう乗り越えるか、解決法を探せば良いのだ。

社会にでると色んなタイプの人に出会う。
苦手なことを周りにも伝えてサポートを沢山受けて幸せそうな人。私の母もそんな風に周りに伝えることができたら、どれだけ楽だっただろう。人の気持ちが汲めていたら、あそこまで酷い結果にはならなかったんじゃないかというようなことも沢山あったかと思う。

入院中でいつ会えるのか、会ったところで気持ちが通うことができるのか、色々な思念が頭をよぎるが、私なりに母の娘として生まれた意味を見つける為に、明日も前を向いて生きよう。

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