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本音を言い合える家族

今朝のこと、雪が降っていたため、高校生の長男に、「ネックウォーマーつけていきなさいよ。」と言ったら、

「寒いのは自分が感じる事だから、自分で考えてつけていくから言わなくていい!」 

と、ぴしゃり。

ついこの間まで、素直に分かったと言っていた息子。段々と自立に向けて自分の意思を伝えてくるのだろう。息子とは彼が中1の時もこういうハッキリとしたノーの場面があった。その都度彼は私から精神的に自立しているのである。寂しいが嬉しい。

思えば、私もよく母とぶつかっていた。小学校高学年くらいの頃、掴み合いの喧嘩して、母の爪が私の指の間に食い込み血が出た。今でも傷が残っている。

母はこの時、謝らなかった、と記憶している。

口論もよくしていた。結局母の強烈な一言で私が泣いて自分の部屋に逃げ、次の日気まずいのが嫌で私から謝っていた。お世話になっている親に刃向かった私が悪い、という風に受け止めていたと思う。

母との大喧嘩は、娘を産む前が最後だった。その時も母はハイテンション期だったと思う。発言が上から目線で、話の流れは忘れてしまったが、私の夫の両親の事を見下した言い方で言い放った。記述したくないくらい小学生でも分かるような差別用語だった。(この時の私はASDについての知識は0だった。母はとにかく性格の悪い嫌な人だと思っていた。)

私は大泣きしながら、激怒した。絶対に許さない、と思った。親子の縁を切る覚悟だった。
大雨の日だったが、小さな息子を連れて実家をすぐに出た。涙が止まらなかった。

夫にも話し、娘は実家に世話にならずに産む、と伝えた。夫も理解してくれていたし、県外に親がいると思えば、そもそも頼らなくても産んでる人達もいる訳で、なんとかなるだろうと思った。

私が怒って帰った後、恐らく父に母が何か話したのだろう。状況を察知した父や兄から諭され、お母さんも反省している、というような事を聞いて、しばらくたってから和解したように思う。
はっきり謝ってもらったかどうかは覚えていないし、父には自分は悪くなく私が突然怒ったと今になって思えば言ってる可能性が高い。

母は、私以外にも従姉妹や叔母にも失言をして相手を憤慨させていたし、仲良かった友達と突然絶縁するようなことも度々あった。

言葉も十分、暴力でなのである。
母は相手の立場や状況を理解して話す、ということができないことが度々あり、痛い目にあってその後しばらくおとなしく生活する、というのを繰り返していたように思う。




カサンドラ症候群という言葉がある事を最近知った。

(ネットより)

カサンドラ症候群とは、家族やパートナーなど生活の身近にいる人がアスペルガー症候群(現在の診断名は自閉症スペクトラム障害、以下ASD)であることが原因で、情緒的な相互関係を築くことが難しく、心的ストレスから不安障害や抑うつ状態、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの心身症状が起きている状態を指す言葉です。

母と私、情緒的な相互関係を築くことがまさに難しい。父や兄とは築けているし、義姉とも築けている。夫や子供達とも築けているように思う。お互いに困難な事が起こった時は支え合えているのだ。

私は中学生くらいまで、風邪を引いた訳ではないのに、よく食べたものを嘔吐していた。母からは食べすぎ、という一言で片付けられていたが、私はストレスからではないかと自分が母親になった今は思っている。幼少期の私は精神的に追い込まれる状況が度々あり、あまりに苦しくて小学6年生の時は、学校からもらって帰ってきた「命の電話」に1人、かけたこともあった。

味方がいない人生がとても辛く苦しかった。

勉強も投げやりで真面目にしなかったので、あまり良い学校は選べなかったが、全然勉強しないのも将来が恐ろしく感じていたので、そこそこ頑張り地元を離れたかったので、都会の女子校を選んだ。地元の友達も数名しか行かなかったので、人生をやり直すのにはちょうど良い環境だった。

とにかく自分で人生を好転させたかった。

この選択は正解だった。環境が変わり、付き合う友達が変わった事で、人生が変わり始めた。高校生になったことで、バイトを始めたり親の監視も緩くなったことも功を奏した。社会と関わってそこで評価される事で、生きる意欲を回復していた。

私立の女子校だったので、広い地域から友人達が通っていて、色んな境遇の個性的な子達と仲良くなった。最近はコロナ禍で会えてないが、年に数回欠かさず会うほど、関係が続いている。友達は財産である。子供達にも親は先に死ぬけど友達は続いていくから大事にしなさいよ、と伝えている。

本音を言い合える仲、というのは理想なのだが、あくまで信頼関係がベースになければならないし、本音を言ってより親密になる為には相手の立場や想いを理解してこその結果である。

闇雲になんでも言って良い訳ではないのである。よく親父は背中で語る、というが、それは読み手に理解があれば、そう見えるという話である。

私達から見れば、母は父に十分大切にされているのだが、母にはどうもそこは理解できていないようである。

息子の学校の入学式の際、校長先生がこれからの時代は、見えない物を見る力が大切、行間を読む力が大切と言われていた。この能力が高いほど確かに人生は優位に進むだろう。

私にとってのそれは、自分の見えてる世界が全てではないことを理解することや、障害やハンデがある人がいる事を理解していくこと、が今後の人生の命題だと思う。

相手に望むのではなく、自分が一歩歩み寄る。
場合によっては適切な距離を保つ、ことも選択肢なのかもしれない。

長い人生をかけてその事を母が私に教えてくれようとしてるかもしれない。

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