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精神疾患の家族との向き合い方

母が退院した。
薬を飲まなくなったらしい。

母は、今回の入院では「躁状態」という診断をもらい、気分を抑制する薬を飲んでいた。活発に活動していたはずの母が1ヶ月の入院&治療により、帰ってきたときはヨボヨボのおばあちゃんになっていた。背中を丸め足はトボトボと歩幅が小さくなり、話し言葉もゆっくりもさっとした感じ。こんなにも人が変わってしまうものか、と家族全員が思った。

感受性が強い方の私はかわいそうに思ったのだが、父と兄はただ大人しくなった母の方が生活に支障が出ないからいい、と言っていた。確かに現在私は母とは別の場所に住んでおり、日頃の生活は別で父や兄は同居であったり身近に暮らしているので、実際の大変さや生活に負担がかかる具合は違うから、私も彼らの立場になればそう思ったかもしれない。

些細なやり取りに傷付く自分がいたりして、私自身の生活や子供のこと、仕事の事などもあるため、極力深いところに自分がいかないように好きなアーティストの動画を見たり、仕事に注力したり、家族と笑い合ったりして心身の健康を保っていた。まずは私が健康でないと誰の力にもなれないから。

退院後のある日、薬の量を主治医に相談して減らしだした頃、体調が良くなってきた母は庭に簡易テントを購入した。天気の良い日は外にラジオと紅茶、本などを持って過ごしていた。私にもメールがきて、最高だからあなたも遊びにいらっしゃい、とのこと。私なりに母の心のケアを考え、手作りのお弁当を持って母のテントに遊びに言った。薬を減らしたら急に体の動きも良くなった、と言い、やっぱり薬は副作用が怖い、といっていた。先生にも薬でこう言った気分のコントロールは正直難しい、と個人的に聞いていたので、母の話を静かに聞いていた。

私のお弁当は喜んで食べてくれて、フードロスはよくないからと食べきれない分もラップに包んで大事そうにもらっていた。とても良く喋るようにもなり、いろんな話を止めどなくした。まだ株にも興味津々で、過去にいくら突っ込んだ事があるなど強気の発言が続いていた。私にもそんなに謙遜しないで、もっと自信持って、と言っていた。私には言わなかったが、義姉には自分がこうなったのは父のせいだと言っていたらしい。父や田舎の抑圧、社会の抑圧に怒りの矛先を向けている。これは心の防御反応かな、と私は思っている。

子供時代の私は母親らしくない母がとても嫌いだったし、憎んでいたところもあったのだが、40代になり家庭を持つようになって母の気持ちも少しわかるようにもなった。ただ子供に対してした事は私は凄く嫌だったので、我が子にはしない、と心に決めている。

母は自分の気持ちを言葉にするのが凄く苦手で、何かをやり出すと生真面目なくらいに集中してやり、突然糸が切れたように別人のような攻撃的な態度を周りにとる。数ヶ月それが続いて気力&体力が落ちた頃に、急に全てのやる気を失い数年単位でとても静かな人物になる。本人はこれを冬眠している、という。

私たちは、社会の中で平均的に生きるよう、様々な社会的訓練からある意味では型にはめられ、そうする方が良いとして生活している。そこの中にいる人だけが良いではなくて、そこに入らない人たちもいるのだ。そういった人たちも緩く認められる社会があると良いのかもしれない。

自分と違う人に出会った時、それはあり得ない、絶対に無理、ではなく、そんな人もいるんだね、って軽く流せるようなそんな軽い心が私自身には必要なのかもしれない。母がこれからどうなっていくのかわからないけれど、母なりに生き甲斐や何か心の支えができるといいな、と思う。

我が家には保護猫と先住犬がいるのだが、母も時折会いに来て特に猫を可愛いといっていたので、猫を家族に受け入れてみたら?と提案してみたのだが、父が嫌がるから、といってなかなか決断しようとしない。ペットセラピーという言葉があるように動物がいると心が癒されると思うのだが、なかなか何事も母は他人が言ったことを即受け入れるタイプではないので、これもまた実現はしないだろう。


精神疾患の家族とどう向き合うか、、
今の私の答えは、一定の距離を持って軽く、でも何かしらの愛を持って接する、かな。(ゆるい答えですが。笑)

今日もお読みいただきありがとうございます。
皆さんの心身の健康を心から願っています。


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