1度目の入院

母の最初の入院では、「統合失調感情障害」と診断された。私たち家族は母の症状が双極性障害の躁状態にぴったりだったので、病名を聞いて驚いた。

主治医の先生と何度か私や父や兄も質問や疑問を投げかけたのだが、ストレートに答えていただけず、話が噛み合わないまま、聞きたい事はいつも聞けずにモヤモヤとしたままだった。結局は看護師長さんを通して先生からなんと診断されたか、母の様子はどうかなど聞くようにして対応していた。

母と主治医の先生も相性が悪く、退院後母が話していたが、母の一言が先生を怒らせたようで、怒鳴られたとも聞いた。(本当か嘘かは定かではないが、その言い方だと先生が怒るのも無理はないとも思った。)

結果的に2ヶ月の入院で退院したのだが、躁状態の母は、他の患者さん達とも陽気にお話しして、中にはファンになってくれた若い女性もいたとか。退院後に彼女が描いてくれた母のイラストをみせてもらった。皆さんの境遇に心底同情している様子で、この時もまた母の独特な感受性に驚いたし、私とは違い本当に繊細でピュアな人なのかもしれない、とも思った。

母が仲良くなった患者さんの1人は男性だった。彼も躁状態で入院してるとのこと。(男性なので家族では連れて来れず、警察の方が連れて来られたらしい。)入院歴は2回目だった。母の話では、母を姉御と呼んでくれていたそうで、仲良く楽しい話をしていたようだ。
躁状態でない時には知らない人に絶対に話しかけたりせず、どちらかと言えば、人見知りで静かなのだ。姉御とは無縁の人になった。

病院ではやはり刺激が少ないのと、お薬をきちんと飲めている事、周りの方が一定に接してくださってるおかげか、家庭にいるよりも酷い症状が出ずに過ごせいた。前回はコロナ禍でもなかったので、父が毎日のように面会にいき、たくさん話をしたりして、母の精神も次第に落ち着き、主治医から外出許可が出た後に、私達兄妹も母に会いに行き、まだ躁状態ではあったが話ができてホッとした。

兄も私も母から恨まれていやしないか不安だった。そんな心配をよそにまだ躁状態の母は、自分は凡人とは違うと豪語していたぐらいなので、細かい恨み節は一切言わなかった。

退院後、私は少し贅沢なランチに誘った。目の前に母が居るだけで嬉しかった。まだまだハイテンションだったので、会話の中身はまだ突拍子もなかったが、入院前のような攻撃性はなくなっていたので、親子の大切な時間を過ごせたように思う。

退院後、1ヶ月くらいして、父からメールで「お母さんが急に大人しくなったので、様子をみにきてください」と母を心配するメールが来た。

会いに行くとそこには、すっかり洒落っ気もなく生気を失い、薄化粧で髪もボサボサの母がいた。母がその時私に伝えた事を忘れないようにメモに残していた。

「料理が思いつかない」
「誰にも会う気がしない」
「1日が長い」
「何もする気がしない」
「食欲がない」

完全に電源がOFFになった。

そこから3年と数ヶ月、凡人とは違うといっていた母は表れず、年相応に孫達と過ごしたり父とのんびりとした静かな日常を送ってきた。

薬をもらうため、通院しないといけなかったが、元来薬が嫌いな母は行きたくないといいだし、主治医のことも苦手だったため、親戚からきいた他の病院も勧めたが、気乗りせず結局母の意向に従って漢方薬のみで様子をみることにした。
(この判断は今回の再発で家族全員で反省している。)

私達家族はこの時、別人のように大人しくなったしまった母に対し、特にだれも躁状態の時の話題をしなかったし、目の前の母を見ていたら日に日にこっちが本当の母だとも思えてきて、次第にみんな悪い記憶を無くしていった。
私はできる限り会いにいったり、母の意向を聞きながらランチに誘ったり、車で買い物に連れて行ったりとごく平凡だが穏やかな時間が流れていた。


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