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今さ、めっちゃ「したい」んだよね+セミリタイヤに憧れがある人はぜひ読んでみて欲しい一冊。

今さ、めっちゃ「したい」んだよね。エッチじゃないよ。そういう下の話ではなくて(笑)今日は今も昔も憧れがある働かないで好きなことだけをしているリタイアメントとかセミリタイヤとかね。

以前も書いたけど、そういうのに初めて触れたのが『毎日が日曜日/城山三郎』っていう1979年の小説。高度成長期を駆け上がってきて、日本がもう一息登り、そこからバブルに向かう豊かになりかかったくらいの時代背景。

うーさんという、もう定年が視野に入った主人公が、定年以降をハッピーリタイヤメント、ジャストリタイアメントといってその日を夢見て設計してそして、いざ、定年してみたら……、

ようは

リタイアメントしてみたらどうだった

って話なんです。

まわりは心配したり=どうやって生計を立てるんだ、とか何をして過ごすんだとか言うわけですね。答えるわけです。晴耕雨読、で晴れたらゴルフで雨降ったら読書なんて、ですね。

生計は小さな飲み屋を何軒か貸して、それの家賃がずっと入ってくる。それを20年かけて築いてきた。

リタイヤ当初はうらやましがられて「いいだろ?」が、だんだん「毎日が日曜日、いいですなぁ」なんて言われると忌々しいとさえ、思うようになっていくんです。

そして、体が入るくらいの大型冷蔵庫を見ては自殺を考えたりとか。そう、毎日が日曜日に飽きてくるんです。なのに、楽しんでいる風に見えてくれないと面白くない。

一方で、毎日が日曜日どころか仕事が忙しい後輩はぼやきつつも「仕事があることの充実」みたいなものを対比的に描いてるんですね。「仕事がない非充実」、そういう人間を「戦列外」だと。


セミリタイヤに憧れがある人は
ぜひ読んでみて欲しい一冊

です。本、特に小説っていうのは自分ができない体験を代理体験をさせてくれて、僕の中ではなかなかに重い本になりました。

僕もはじめ深く考えずにセミリタイヤ、リタイアメント状態に憧れを持ったのですが、この本が、その「憂鬱」「悲哀」「リスク」「可能性」「対処すべき課題」を教えてくれたんです。

ネットを見れば「そういう状態の人」があふれて(溢れている!(笑))いて、簡単にどんな心情、どんな生活をしているのか、を仕事をしながらずっとリサーチができました。

『毎日が日曜日』に書かれていることは本当のところはどうなのか?すべてではありませんが、


多くの人が「本当」に毎日が日曜日に「飽きて、すぐに仕事に戻りました

とメルマガ、ブログ、著作で書いて吐露していました。

はじめから戻るつもりだった人、そうではないんだけどやめてみたら、死ぬほど退屈だ、仕事が好きだ、とかとか。『毎日が日曜日』で描かれている戦線・戦列外もそれですね。


そりゃ、仕事がいいに決まっている、のは
なぜなのか?って話し

【理論的背景】どんな価値観にも必ず2つ以上あり、自分が何かを価値判断するときには、必ず自分が過去の人生で築きあげてきた「顕在的・潜在的」な価値観に従って判断して決断します。

そのときに、対立する、並列する、相まみえない、混じることのない、受け入れがたい価値観がいくつも世の中にある。

そういうものを提示されたとき、僕らが「あ、そういうのもあるんですね、はいはい」と言って、その違う価値観で判断することができて、ましてや決断することができるのか?

と言ったらそれはかなり簡単なことではないはずなんです。特に人生の根幹を占めるレイヤーの価値観であるほど、自分のあり方に根ざすような価値観ほど、です。

働くこと vs 毎日が日曜日

なので、何十年、いえ、5年10年程度としても仕事第一で、イヤなことやつらいことがあったとしても、仕事から得られる充実感を感じながら(実は一見、負に見える感情を感じていても)やってきている。

毎日が日曜日になったときに「働かないことで感じる感情」は、仕事から得られる感情に重きを置いているという価値観とは違うわけです。

それは、自分のあり方に根ざす価値観とは違う価値観ですから「苦痛」になることもあります。そんなときにどうしたらいいのか?価値判断をしない

宙ぶらりんの気持ち悪い状態を意図的に過ごす

ことです。

すぐに価値判断決定をすれば、当然のように従来型がよし、非従来型は不快となるに「決まっている」んです。

僕自身は、というとそういうリサーチとか準備があってのセミリタイヤ状態で、かれこれ2年と4ヶ月くらいになるんですが、ツラツラと書いてきた

「なにもしないことが退屈だから」
「働くことが快で楽しいから」
「仕事から得られる達成感とか充実感が恋しいから」

という理由では「仕事」はしないと決めていました。

それは、『毎日が日曜日』はじめ、たくさんのセミリタイヤ先人の経験参照のおかげです。

何度も何度も何度も何度も「今日、何しようかな」って日が毎日続く、朝起きて何もすることがないんです。自虐でも自慢でもないです。ニュートラルにそうなんです。

本当に心から思います。仕事をすることの方が「安易」で「簡単」で「楽」だなぁって感じたし、思いましたし、今も思います。

仕事するって簡単なんです。

働くって簡単。体や頭や精神が疲れることもありますが、それでもその慣性(モーメント)にいる方が楽です。中毒化すればなおさらです。

●そんなときにいつも思い出していたのが細川護熙さんです。総理大臣を務め政界引退後は主に陶芸家、茶人として活動して日がな、茶器、陶器などを愛でている。(本当のところは知りません)

毎日愛でられるには、愛でて楽しい、愉しい、愉悦がそこにあるのだろうな〜、そういうことで愉悦を手にすることができるだけの知的背景があるんだろうな、もちろん、それを支える経済的背景もあるんだろうなって。

●藤原正彦さんという方が、著作の中で言っていた言葉も強烈に残っていて、けっこう引用することが多い言葉が、概ね「数学者は世の中の役に立つようなことをやっていてはいけない」みたいなことなんです。

「世の中の役に立つようなこと」って、子供の頃から、大人になっても社会から「人様のお役に立つ」みたいなことが絶対善として僕らはすり込まれているじゃないですか。


役に立たない人間なんて「役立たず」

って言われるわけですよね。

リタイアメントした人なんて典型的な「役立たず」「戦列外」なんですね。するとどういう回路で次の行動に出るかって言うと「役に立とう」って「世の役に立つような」ことを基準にあれこれはじめるんですね。

そんなのもリサーチしたときに見えていたことの一つで

「よし、世の役に立つようなことをするために何かする(仕事とかボランティアとか財団とか)」

なんてこともしないようにしよう、て決めていたんですね。そして、

変に健康だとうっかりすると「長生きしちゃう」

んです。

何度、たばこでもブカブカと吸ってやるか。やるかって誰かのためではなくてですよ。主流煙を肺に一杯送り込んでやったら「長生きしちゃわない」で済むかもしれないな、なんて。

でも、肺が機能しないでゴホゴホしながら苦しむ父を見ていたんで、あれはイヤだなって、結局根性なしで今も健康に留意しています。

ダラダラと書いてきましたが、別に特別なことをこのnoteで高らかに述べるわけでもなくて、言いたいことを書いていい、読みたい人に読んでもらえればいいnoteなので、書けるのがありがたい場ですよね、ここ。

で、だから、

僕のnoteの題名、プロフィールが
「心電図がビビビ」

なんです。仕事をやめて、あまり早期(絶対的な期間は不明)に、何に心電図がビビビと来たかのセンサーを使うと、「当然」「当たり前」「絶対に」仕事に心電図が振れるに決まっているんです。それは上述したとおりです。

でね、その心電図センサーの針の振れはおそらく仕事での振れ方は快不快どちらにしても単位がデカイんです。だから、それ以外のことで微弱に振れている図の赤いのが僕やあなたが本当にやりたいと思っていることに気付けないんです。

大きな振れが仕事。

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だから、仕事人、働きマンは「リハビリ」が必要なんです。

この大きな針を振らさないで、赤丸の目盛りサイズに自分の心電図の粒度、尺を鋭敏に、敏感に感じられるような「何もしない」というのがリハビリ。

でね、この小さな目盛りでも感じられるくらいに、リハビリしてきた働きマンの僕が、今「めっちゃやりたい」って感じていることがある。で、それがこのnoteで出力を続けることで、ブランコを強くこぎ続けると振幅が大きくなるように、どんどん大きくなっている。

それが

今さ、めっちゃ「したい」んだよね。

なの。

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mits 西田





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