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★連載32★地球での課題(人はなぜ悩み苦しむのか)④              

『善悪のジャッジ』は本当は必要ないものであるという事は、善も悪も無いという事につながるのです。


☆善と悪について


自分自身、良い事か、悪い事か。この視点でずっと外を捉えてきていました。

これは良い事、これはして良い事。
これは悪い事、これはしてはいけない事。

自分自身の価値観の中の『自分ルール』にしっかりと、そのようなカテゴリーが存在していました。

良い事、悪い事のカテゴリーです。

そして、それは私の『自分ルール』として、長年一緒に連れ添ってきました。私の価値観です。

『宇宙の法則』と出会い、善も悪も無いという事の本当の意味を知る事になりました。

善も悪も、自分の中の価値観の中だけで起きていた過ぎないという事なのです。

自分の中だけです。

他人や相手が良いと思う事、感じる事が、自分と違うのですから、もちろん、この『善悪のジャッジ』の基準である『自分ルール』も個人個人違うという事なのです。

私の中の良い事は、他人や相手にしてみたら悪い事。間違っていると言われたりするという事なのです。逆もしかりです。

ここが、悩み苦しむ事の頂点になるのです。

自分の良いと思う事を、他人や相手から「間違っている」と、非難されたというのですから。それを言われたら、思考はどのように働くでしょうか?

「え?私間違ってるの?間違ってるのあなたじゃないの?」

と、思考は駆け巡ります。そして、今までの経験や体験を引っ張り出してくるのです。そして、また、思考は、過去の経験や体験もプラスされ、思考をフル回転させるのです。

「今まで間違っていると言われた事無かった。」
「今までこれで何も言われなかった。」

自分の中にある価値観は、自分にとってみたら、判断基準になるもとになるので、「間違っている」と言われたら、過去の経験や体験も全て間違っていたのか?という所までタイムスリップしてしまうのです。

この時に気持ちの余裕があれば、素直に受け取る事はもちろんできます。
それこそ、「そういう価値観もあるんだね。」と受け止める事ができます。

ですが、気付かず歩んできた方は、反応してしまうのです。

私は、気付かなかった頃は、瞬間湯沸かし器のように、怒りの感情を感じていました。

「間違っている」と言われた結果、「私と合わない人」とあっさり、自分のテリトリーから追い出してしまう事につながってしまうのです。

基準は自分自身の価値観の中の『自分ルール』なのですから、ルールから外れたら、それを除外しようとする働きは当然の流れとも言えるのです。

価値観とは、その人を表すものでもあります。
その人の考え方、捉え方が、価値観に反映されているのですから。

好きや嫌い、良い、悪い。判断する基準になっているのです。

そして、長い間、連れ添ってきた自分と捉えられる思考の一部でもあるのです。

自分らしさというものにつながるのかもしれません。


☆善悪のジャッジをする事が本当の意味での、悩み苦しむという事


自分自身の価値観の中の『自分ルール』の中で、人は、日々、『善悪のジャッジ』を小さからずしながら、何かしら選択しているという事なのです。

『自分ルール』とは、今までの自分自身のデーターでもあるのです。何が善で、何が悪であるかというデーターです。

善と捉える、良い事、良い出来事、良い言葉、良い行動、良い気分。
悪と捉える、悪い事、悪い出来事、悪い言葉、悪い行動、悪い気分。

多岐に渡ります。

『自分ルール』を書き出してみたら、自分の過去のデーターである事を客観的に捉える事ができると思います。

これらは、何を良いと捉え、何を良いと感じたか。何を悪いと捉え、何を悪いと感じたか。そんなデーターなのです。

そこには、体験、経験が詰まっているのです。

言葉で傷付いた事があれば、このような言葉を言われたから、自分は傷付いたとデーターとして残っているでしょうから、このような言葉を言う人は、きっと、嫌な人、悪い人と、悪のカテゴリーに入っている事と思います。

だから、このような言葉という言葉が、記録されているのです。もちろん、自分自身は、このような言葉は使わないようになります。

これを言う事で、自分が傷付いた事があるのですから、自分が言う事で、また、自分が傷付く必要もありません。

価値観である『自分ルール』は過去からの自分の心を守るデーターに過ぎないという事なのです。

誰一人として、自分と同じ人は存在していないのですから、同じ価値観は存在しないのです。

自分自身が良い、善と捉える事と、悪、悪いと捉える事は、人によって違うという事になるのです。

ですから、同じ価値観は存在しないのです。

善と悪というものは、そもそも存在しておらず、自分自身の内側だけに存在しているという事なのです。

そして、善と悪も、自分自身の価値観の『自分ルール』という、自分の心を守る為に導き出した、過去のデーターが、『善と悪のジャッジ』をしているに過ぎないのです。


この記事に辿り着いたのも、偶然ではなく必然です。
少しでも、あなたのお役に立てたら幸いです。

一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように

最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬


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