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★連載31★地球での課題(人はなぜ悩み苦しむのか)③
『苦しみの原因は自分自身の価値観であり、自分自身のルールが原因であった。』
というように、自分の価値感というのは、自分自身の内側である精神世界に存在しているものであり、それは言い換えると、『自分のルール』とも言えるのです。
『自分のルール』
それは、自分だけのルールであるという事。
そして、その『自分ルール』は自分だけが守るルールであり、他人や相手には一切関係ないルールであるという事なのです。
ですが、ここが大きな間違いだったという事に気付いたのです。しかも、無意識でしていた事だった事にも気が付いたのです。
☆価値観である、『自分ルール』の役割
同じ価値観は存在しない。
全く同じ人が存在しえないから、全ての価値観が同じ人は存在しない。
と、お話をしました。
そして、認め合う事もた大切であるという事。
価値観というものに良いも悪いも無く、正しいも間違いも無いという事。
ですが、
人は、自分と価値観が合わないと判断をする時に、無意識にしている事があるのです。
それは、相手の価値観を良いか悪いか判断しているという事なのです。
でも、頭では分かっているのです。
ですが、ついつい判断基準は、自分自身と相手との価値観を擦り合わせ、どちらが良いのか?どちらが悪いのか?の基準で決めてしまうという事なのです。
もちろん、自分自身の価値観の範囲で判断する事になります。
親から言われた事
学校で教えられた事
先生に言われた事
幼少期から、大人に色々と教えられてきました。
躾なるもので、厳しく教えられた人も多く存在している事だと思います。
そして、幼少期から、集団生活に入る前に、親から教えられるのです。集団生活に困らないように、人との関わり方を教えられます。
長い年月を経て、私という存在の価値観は形成されます。
判断の基準になるのも、自分の形成してきた価値観の中で判断する事になるのです。
自分の価値観と、相手の価値観を比べ、どちらが良いか選ぶ事になったら、長年、連れ添ったも同然の間柄である、自分自身の価値観を優先して、判断する事になるのです。
これを無意識的に行っている自分が存在しているのです。
当然のように行っている自分が存在しているのです。
価値観というものは、良いか悪いかの判断をする為の基準であり、その判断には、自分自身の独自のルールが設けられているのです。
これをしたら良い事
これをしなかったら悪い事
これが分かれば良い事
これが分からなければ悪い事
自分の価値感の中で、自分ルールのもと、判断しているのです。
そして、その判断をする事で、悩み苦しむ事につながるのです。
この事を『善悪のジャッジ』と表現したりします。
『善悪のジャッジ』を常に私たちは日常生活の中で行っているのです。
他人をジャッジする時にも使います
そして、自分自身を『善悪のジャッジ』してしまう時にも『自分ルール』が基準になるのです。
これができる私は、好きな自分
これができない私は、嫌いな自分
自分自身が、自分の事を『自分ルール』の中で、『善悪のジャッジ』をするから、他人である相手も、『善悪のジャッジ』をする事にもつながってしまうのです。
他人へ『善悪のジャッジ』をし、悩み苦しみ、自分自身へも『善悪のジャッジ』をして、悩み苦しみ。
いつも悩み苦しむ事になってしまうのです。
そして、『善悪のジャッジ』を元に、私たちは、何かを選んで生きているのです。選択をしなければ人は生活もできないし、生きてもいけないのです。
選択をして生きていかなければならないのなら、自分にとって、良いものを選択したいという、自分自身を守るという、自己防衛にもつながるのです。
自分に良いもの、自分に最適なもの、自分に最高なもの。
それらを選択していきたいと思うのは、人の感情でしたら当然かもしれません。
自分が自ら選択をし、悪い物、自分に不適切なもの、自分に最悪なもの。
そのような物は決して選びたくはありませんから。
だからこそ、他人や相手とのやりとりの中で、『善悪のジャッジ』をしてしまうのです。
自分自身が傷付きたくないからです。
自分の心を守りたいのです。誰も、傷付きたくないのです。
だからこそ、『善悪のジャッジ』をしてしまうのです。
損をしないか
嫌な思いをしないか
失敗しないか
注意されないか
怒られないか
喜んでもらえるか
色々と、思考を駆け巡らせ、自分の価値感の中の『自分ルール』の中で必死に考えるのです。
そして、自分で選択していくのです。
自分自身を守る為にも、価値観は存在しているのです。
『善悪のジャッジ』は本当は必要ないものなのです。
全ての出来事、事象には、善悪は無いのです。そして、善と悪があると捉えているのでしたら、それは自分自身の中だけの価値観である『自分ルール』の中だけであるという事も言えるのです。
この記事に辿り着いたのも、偶然ではなく必然です。
少しでも、あなたのお役に立てたら幸いです。
一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように
最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬
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