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★連載14★管理職の時に体感したコミュニケーションを経て              

この研修に参加して、私は、自分が管理職として躓いていた、注意をする時に怒りを覚え、感情のコントロールが出来ずに指導する事ができない自分を克服するきっかとなったのです。

そして、この頃から私は、自分の感情や気持ちと向き合うという事をずっとしてきたのだと、今なら感じます。

『宇宙の法則』を知るずっと前から、私は知らずに自分自身と向き合い、内観をしてきたのです。

そして、『宇宙の法則』と出会い、今まで内観をしてきた自分は間違っていなかったのだという事も知りました。

完成させるタイミングで、『宇宙の法則』と出会ったのだとも感じました。


☆研修に参加してからの大きな気付き


研修に参加し、私は自分の介護理念など、全てと向き合う事になりました。

認知症の事を学び、認知症の方と接し、実習に参加したりし、認知症の方の世界に触れるようになり、色々と考えるようになったのです。

自分自身の在り方。

認知症とは、記憶障害が顕著にみられる病気であり、後期になると、全ての事が分からなくなってしまう病気です。

今まで獲得してきた知識、経験、体験などが、抜け落ちていく病気なのです。

私は、認知症の方の専門の施設で管理職をしていた事もあり、日々、認知症の方と接していました。

そして、いつかは、全ての記憶を無くなってしまうという事実は、私は仕事の中ではありましたが、目の当たりにしてきました。

日々、認知症の方は葛藤の中で生きているのです。

私は今、この瞬間の自分自身も認識できますし、過去の自分も思い出す事ができます。

ですが、認知症を発症すると、いずれ、全て無くなってしまうのです。思い出したくても思い出せなくなってしまうのです。

そういう病気を抱え、常に不安と共に生きている認知症の方にどのように介護を提供していく事が良いのか。日々の課題でした。

その事を考えると、その人に合ったケアを提供する事。その人が笑顔でいてくれる事。死を迎える最期の時まで、記憶を全て失っても、生きている日常を笑顔で過ごしてもらう事。

そんな事を思うようになっていたのです。

どんなケアが良いのか、認知症の疾患の基本から、症状や対応の仕方まで、しっかりと学べた研修でした。

認知症の人の立場に立つ事を意識しながら研修に参加していました。

そして、自分の『価値観』というものと向き合う事になり、向き合う間に、自分の中で分かったという感覚になったのです。

それは、管理職としての私の、怒りの感情の意味が分かったのです。


☆認知症の人も1人の人であるという基本に気付いて

認知症の方も、1人の人です。
私たちと同じ、大人の人なのです。

そして、私たちには個性があります。
認知症の方にも個性があります。

当たり前の事を言っていると思われるかもしれませんが、現場で介護をしていると、個人として捉える事ができずに、『認知症の人』として関わってしまうのです。

〇〇さん。という存在ではなく、『認知症の人』という、みんな同じカテゴリーの中に入れて考えてしまうのです。

そして、『認知症介護は難しい』と、認知症の方の介護を苦手と感じる職員も多くいました。

ここでは多くは語りませんが、介護の中で難しいと言われるのが、認知症介護だとも言われています。

その中で、パーソンセンタードケアというケアの捉え方を学び、

「認知症で会っても一人の人である。個性のある人として接する事」
「人は誰もが、個性のある1人の人として尊重する事」

と、いう事を学んだのです。

当たり前の事のようですが、仕事として大勢の高齢者、認知症の方と接すると、その当たり前である事すら、日々のこなさないといけない介護の業務に追われ、置いてきぼりにしてしまうのです。

「認知症であろうが、なかろうが、同じ人なんだ。そうなんだ。そうだよね。」

なぜ、今まで気が付かなったのだろうと思いました。私は、認知症の人は、まさしく、個人の〇〇さんを通り越し、「認知症の人」と捉えていた自分がいたからです。

「認知症だろうが、なかろうが、1人の人であり、私と同じ人なんだ。」

と、深く理解する事ができたのです。腑に落ちた感覚でした。

その時に私の中で、気付きを得る事ができたのです。職場の職員に対して、何故、私は怒りの感情を感じていたのかという原因が、分かったのです。

職員、一人ひとりを捉えていなかったのです。
そして、比べてしまっていた自分がいた事に気が付いたのです。

私は怒りを覚える職員に対して、比べてしまっていたという事に気付きました。

何をどのように比べていたかと言うと、私の実の母親と、職員を比べていたのです。

職員を注意する必要な場面になると、

「同年代のうちのお母さんは、きっとこんな事しない。」

同年代の職員に対し、自分の母親と比べていたのです。人と人を比べる事は出来ないのです。

同じ人は存在しないから、比べる事はそもそも出来ないという事。

比べていたから、比べた結果、自分の中で勝手に、職員の言動を、良い事、悪い事、して良い事、しては悪い事。と、善悪の判断をしていました。

母親と比べ、「同年代の私の母親はできているのに、なぜできないのか。」しては悪い事と感じた瞬間に、勝手に怒りの感情を感じていた自分に気が付いたのです。

高齢者に優しくできない、高齢者を子ども扱いする、指示命令をする。高齢者を怒る。高齢者を子供のように躾けようとする。理解力も判断力も低下している高齢者をバカにする。

私の感情のスイッチは、至る所にあったのです。

実は、それらの態度は介護の仕事ではあってはならない行為なのです。もちろん、できる職員、できない職員。分かる職員、分からない職員が居る事も承知の上で、管理職に就いてから、介護職員としての接し方について教えていきたいと思っていた事でもありました。

教える前に、自分ができていなかったという事を感じたのです。

私は職員の言動に怒りの感情を感じていたのですが、職員は認知症の方に怒りを感じていたのです。

そして、それを私はあってはならない感情だと捉えてもいました。

勝手に怒っているだけの私だったという事。自分自身の感情に振り回され、指導や教育に至らなかったという結果でした。

働いている職員に関しては、経験年数も、知識も技術も人それぞれです。それに個性もある1人の人です。

認知症の方と同じ、1人の人なのです。ですが、その1人1人、個性があるというという大前提を私は忘れていたのです。

「いくら母親と同年代の職員であろうと、介護の知識や技術は、千差万別。知っている事も知らない事も、もちろんある。そして、それは個人個人違って当然であり、経験だって人それぞれなのだ。」

そんな事を感じたのです。

職員も、認知症の方も、どちらも人なのです。私は認知症の方ばかりを意識しており、職員も1人の人だと言う事を意識はしていなかったのです。

年が上だから、何でも知っている、何でも経験しているという私の思い込みがありました。

私は、母親と同年代の職員全員に、母親を重ねており、母親がしている事、出来ている事を基準に職員を捉えて、指導をしようとしていたから、できない職員に対して怒りの感情を感じるようになっていたのでした。

気付いてみるとごもっとな内容でした。ですが、当時の私は気付けずにいたのです。

職員も1人の人
仕事だからできて当たり前
仕事だからやって当たり前

そんな私の勝手な思い込み。そして私の『価値観』だったのです。

職員も1人の人だ。年を重ねているから経験がある訳でもない、経験していない人はしていないのだ。いくら年を重ねていて経験があるだろうと思っていても、知らいものは知らないし、分からないものは分からないのだ。それがあって当然であるという事。

その事を学び、再度確認できたのです。


☆『価値観』というもの


『価値観』
は人それぞれ違って当然であるという事を改めて知る事になったのです。だからこそ、知っている事や知らない事、分からないものや分かっている事も、個人差があり、それは個人の『価値観』でもあるのです。できる、できないには関係無いのだと。

個人を尊重するという事を私は忘れてしまっていたのでした。

個人個人、自分にとって必要な知識、必要な技術と自分自身で選択して、必要な事を学び、自分の中の仕事の『価値観』として位置付けているのだという事。

私自身もそうなのです。もちろん、他の職員もそうなのです。自分に必要だと思う情報であるかどうかは、相手次第なのです。

私が必要である情報だとしても、相手も同様に必要である情報と捉えていない事もあるという事です。

仕事だから知識を学ぶは当たり前
仕事だから知っていて当たり前

その知識や、その技術が必要無いと思っている人は、そもそも知る事も無い話だったりするのです。

それは個人の自由なので当然なのです。
それを私は相手に押し付けていたのです。

なので、知らなくて当然、分からなくて当然であると捉える事ができるようになったのです。

そして知らない事や分からない事を、相手が必要とするのなら、私が教えたり、伝えたりすれば良いのだと考えられるようになったのです。

あくまでも相手を尊重した上です。

相手が聴く耳を持たなければ、私が教える事も、伝える事も、馬の耳に念仏になってしまうのです。

相手が聴く耳を持っていなければ、相手にとっては、雑音とすら感じてしまうのです。

自分にとって必要だと思う情報や学びは、相手にとっても必要だと思う情報や学びだと捉えるかは、個人の『価値観』であると言う事です。

そのように考えられるようになってからは、怒りの感情が先走る事も無くなり、管理職として、成長できた自分を感じる事ができたのです。


一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように

最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬


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