近未来ミイラ

汚いくらいに足掻きたい。 その先なんて分からないけど。

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サビしさ

9月某日 僕は駅に向かって歩く かつて毎日歩いていた見慣れまくった景色 とか思った矢先このマンションの駐車場ってこんな綺麗だったっけってなって さらには見たことのない店の看板まで目に入ってきた 素晴らしいどうかこの調子で 僕の眼と脳裏に焼きついている薄汚れた街の記憶を 利便さと清潔感で淘汰していってほしい 板に貼られた選挙ポスター でかい顔とでかい名前が書かれている それを見るたび「結局お前は何をしたいんだ」と訊きたくなる でもその質問は巡り巡って自分に飛んでくるような気が

    • 『タイトに』

      タイトに   タイトに   タイトに   タイトに タイトに   タイトに   タイトに   タイトに 最初に    下位保持   勝ちどき   内緒に  ワイドに   ヤキモキ   態度に    アイロニー 最推し    最後に    買い置き   たいのに サイドに   菓子折り   文字より   パイの実 回路に    迷子人    退路自 体は 背後に 内容に 嘘が 無いように  愛を知 った粗大ゴミ  大層に かつ不安そうに   ナイト逝った ライトニング 嫌い

      • カタカナと漢字を足していくだけの記事

        「近未来ミイラ」という名前がいたく気にいっているので、漢字とカタカナを組み合わせたら、新たに気にいる何かが生まれるのかもしれません。試してみたいと思います。 コントラバス魂 パリ少年 車椅子ケース 三味線パイレーツ 焼酎コーポレーション 仙台フォント スプラッシュ茶屋 エレクトリカル風情 ……この記事はこの先もこんな感じです スペシャル公園 無印スマイル ダメージ大学 消火器イングリッシュ ドミナント正岡子規 今更フェルマータ スニーカー刑

        • 脚本公開でもしよう

          劇団ちゃうかちゃわん第133回オムニバス公演 C脚本『用もなしでは怖いし』の脚本を公開します。一部修正を加えています(音照映のきっかけについて簡略化または省略)が、セリフはそのままです。これであなたも立派な用なしです。 『用もなしでは怖いし』 【登場人物】 A B C 足立先生 掃除のおばちゃん 後輩ちゃん 【本編】 ブリッジ 使用曲:地球の裏 / いよわ (CはAとB2人の間に立っていて、なにやら審判みたいな立ち位置) (明転してからしばらくの間、じゃんけんの前のウ

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        • 掌編総集編
          37本
        • 読書感想文の所感集
          10本

        記事

          もっとうともうと

           考えたってしょうがないのだけれど、最近の私は特に周囲の人から嫌われているような気がする。ある特定の人に極度に嫌われているという感じではなく、多方面の関係者に程よく嫌われているような感じ。嫌われているというか、疎まれているというか。なんか、怖い。  そんなことを考えているわりには、私は自己顕示をやめる気配が一切ない。書かなくていいことを書いて、言わなくてもいいことを言って、いなくてもいいところにいるような感じ。そりゃ疎まれる。というか自分が一番疎んでいる。疎んでいるというのに

          もっとうともうと

          プレゼントは、わ・た・し♡

           タイトルの割には少し真面目な話をしようと思う。  臨床哲学の講義は、なんだか本質的なものがまるで見えてこない感じがする。そもそも臨床哲学という概念自体が、人と人との対話の上で成り立つものであり、講義で誰々の云々という考え方を教えられたとて、手元には何も残らないような、肩透かしな感覚をおぼえる。  加えて、そもそも私は哲学専修ではなく、日本語学専修であるわけだから、哲学については歴史にもメソッドにもまるで明るくない。講義で出てくる人物名は、7割がはじめましてであり、そういう

          プレゼントは、わ・た・し♡

          早朝の妙

           自宅の扉を開けたら目の前に。 と勢いよく言いたいところではあるが、なんとまぁ人生そうも都合のいいものではなくて、どういうわけか私の住処はアパートの3階にある。それ故に自宅の扉を開けた先に広がるのは虚空。いや正確にいえば電線と屋根だけが見える割と虚空。たとえそこに一羽のカラスが飛んで入ってきたとてやはり虚空。  人間往々にして何もないというのが不安なものである。お金がなけりゃ不安。友達が居なけりゃ不安。挙げ句の果てには休日に予定が一つもなければ不安だなどと言い出す始末。何でも

          ニューフェイス

           入りたてのスーパーでレジのバイトをしていたところ、常連客らしきおばさまから「あなたニューフェイス?頑張ってね」と声をかけていただきました。  新人のことをニューフェイスと呼ぶの、なんだか素敵だなぁと思いました。新人っていう言葉の響きは、いかにも研修中な感じがしますが、対してニューフェイスは、どこか視線が未来を向いているような、前向きな感じがするように思います。  思い返すと私は、サークルの後輩に対して「新入生」という言葉を使ってしまったことが何度かありました。彼らのことも「

          ニューフェイス

          お互い様

           「互い」と「違い」はどちらも「たがい」と読む。違っている部分があるからこそ、互いに補い合いながら生きていくのだという。  今日の3限について、憶えているのはここだけだ。

          「申し訳ございません」が出てこない

           不肖、未だ至らぬところが多き故、接客のバイトもまともにできない次第でございます。特にお客様をお待たせしてしまった場合。「お待たせいたしました」は出てくるのに、「申し訳ございません」という言葉はまだ口に馴染んでいないのです。代わりに口をついてでてくるのは、「すみません」という言葉。しかし、接客七大用語の一つといえば、やはり「すみません」ではなくて「申し訳ございません」です。「すみません」じゃダメなのでしょうか。  そもそも、「申し訳ない」とはなんなのでしょう。「申し訳」とい

          「申し訳ございません」が出てこない

          朱と黒

           先日、小学校の教師の手元でしか見たことがない、採点用のペンを購入した。子供の頃から不思議と憧れがあったのだ。  家で開けてみて気づくのは、このペンの色合いが、既に持っている何かと酷似しているということだった。その何かというのが、プレゼンをする時などに使う指示棒である。なぜこんなものを持っているのかはさておき、めちゃくちゃ気に入っている代物だ。  実際にこの2つを並べてみると、親子かってくらい似ている。しかも、ただ見た目が似ているというだけではなく、どちらも私のお気に入りガ

          雑記

           「腹黒」というのは、別にお腹が黒色をしているというわけではない。同様に、「雑記」というのは、別に雑に記しているわけではないと思う。  何かを書くって、結構大変だ。なんというか、根気がいる。高校生の頃はできるだけ毎日書いていたnoteも、ここ最近まるで書いていない。それは別に書きたいことが無くなったわけじゃないのだと思う。かといって、時間が無いなんて戯言を言ってしまっては失格である。それならなんで書けていないのか。それは単に、書く根気が無いというだけである。  書くからに

          言葉を奪われる

           素晴らしい作品に「心を奪われる」 という表現がある。しかしこれは、表現として定着してはいるものの、なかなか表面化しづらいものである。というのはつまり、その人が心を奪われているかどうかを客観的に調べる方法がないということである。  そもそも「心」というものを、私たちはなかなか捉えきれていない側面がある。特に他人の心ともなれば、いくら気がおけない間柄であっても分からないことが多い。対して自分の心であれば、人間はそれを手持ちの語彙である程度言語化できる。そして言語化されている心で

          言葉を奪われる

          『表現を仕事にするということ』を読むということ

           小林賢太郎さんの著書『表現を仕事にするということ』が、先日発売された。同書には、私も購読している「小林賢太郎のノート」の記事を加筆修正した文章も載っており、確かに目次には見覚えのある言葉がいくつか並んでいた。  ある項目について、noteに書かれた文章と、この本に載っている文章を一字一句読み比べてみた。それを通して純粋に感じたのは、「noteに書かれた文章の方が心に沁みる」ということであった。  思っていたよりもずっと多くの表現が修正されており、その修正はおおかた内容を削減

          『表現を仕事にするということ』を読むということ

          老廃物となって

          いつもに比べて、1.5倍の長さ。 短めの、長風呂。 世界と自分の感覚のズレが、 浴室の壁に反響してよく聞こえるのです。 結局、いつものメニューが美味しくて。 結局、いつもの家が恋しくて。 結局、いつもの音楽を聴いていて。 結局、いつもの言葉で自分を表している。 蓄えた僕が、古くなって、いらなくなって、 やがて体外に排出されようとした時。 やはり大概は見るに耐えないほど汚くて、 目を背けたくなったり。 補うように、いつもをいつも補給していて ふとした瞬間の自分らしくない何か

          老廃物となって

          棒とか円とかが好きなのかもしれない

          私は、棒とか円とかが好きなのかもしれません。 グラフの話ではありません。 棒とか円とか箱とか板とか紙とか球とか車輪とか、地味だけどそれじゃなきゃだめ、みたいなやつが好きなのかもしれません。 紙袋の匂いが好き、とか、福袋のワクワク感が好き、とか。そういう個別具象的な好きよりも、もっと高次の、あるいは低次の「好き」みたいな。袋という概念が好きなのかもしれません。 そりゃ、紙がなければスマホにメモ書きができるし、車輪がなければ棒を何本も用意してその上を転がせばいいし、袋がなければ箱

          棒とか円とかが好きなのかもしれない