棒とか円とかが好きなのかもしれない

私は、棒とか円とかが好きなのかもしれません。
グラフの話ではありません。
棒とか円とか箱とか板とか紙とか球とか車輪とか、地味だけどそれじゃなきゃだめ、みたいなやつが好きなのかもしれません。
紙袋の匂いが好き、とか、福袋のワクワク感が好き、とか。そういう個別具象的な好きよりも、もっと高次の、あるいは低次の「好き」みたいな。袋という概念が好きなのかもしれません。
そりゃ、紙がなければスマホにメモ書きができるし、車輪がなければ棒を何本も用意してその上を転がせばいいし、袋がなければ箱でなんとかなってしまうこともあります。でも、棒とか箱には、それじゃなきゃダメと思わせる説得力のようなものを感じてしまうのです。
広くユニバーサルでいて、使用する時には具体的で。飾り気はないのに、愛嬌があって。好きだという人も少なければ、嫌いだという人も少ない。そんな素朴で愛くるしいものたちと、粗雑で苦しい自分を見比べていると、そこに少しだけ救いのメッセージを見出せるというか。蜘蛛の意図が見つかるというか。