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【創作】オーガニックコットン 第3話

ソウくんの全てが
大好きだった。



あまりに素敵だったから、
私はソウくんのことが
信じられなかった。


本当に私を好きなのかな、って。



あしながおじさんのように
高い身長。
スラリと伸びた
細すぎる手足。


クシャッと笑う時に
少し下がる眉。


たまらなくセクシーな
鼻にかかる話し方。


優しくて、穏やかで、芯が強いところ。


5月も終わりかけのあの日、
外は強い雨が降っていた。
何層にも重なる雨雲のせいで
外は日中なのに暗い。

「すごい雨だねえ」


車いすを押して移動していると、
建物でも壊してしまいそうな大きな雨音に
田島さんは重い口調で言った。

「残念。
 今日はお散歩どころじゃありませんね。
 ボランティアさんがカラオケを
 やってくれるから、
 田島さんも行きませんか、歌」


ボランティアさんは定期的に
何人か来てくださっていて、
天気の良い日はお散歩の付き添いを
してくれる。


ご入居者にお散歩は大人気で、
ほんの数分でもとても喜ばれる。

そうだよね。
私だって、たとえ豪邸に住んでいても
ほんの数日だって外に出られなければ
息が詰まる。


私たち介護士は、
日常の楽しみの部分まで
残念ながらケアをする時間が
じゅうぶんには取れない。


実はその遊びの部分が
ひとりひとりにとって
決して無視できない
大切な時間だと思うから、
ボランティアさんの存在は
本当にありがたい。


例えば認知症をお持ちの方でも
均一に忘れているわけではなくて、
日や時間帯によって
調子が良かったり悪かったりする。

日中は安定していて
夕方に悪くなりやすいのは、
小さい子どももそうだから
人間の性質なのかな。


天気にも左右される。
こんな雨の日は
不穏になる方も少なくないけれど、
好きなことをして頂く時間が取れると
心穏やかに過ごせることが多い。


すっかり忘れていることと
記憶がクリアなことにも
ばらつきがあって、


例えば言葉を全て忘れている
歌がお好きだった方に
歌を聴かせると、
歌詞を間違えずに一曲
歌い終えて驚かされる。


ただ衣食住が
整っているだけじゃ不完全で、
いつまでも好きなことが出来るって、
その場を当然のことのように
提供できるって、
本当に大切なんだ。


「カラオケかい。それはいいね。
 アタシは歌がうまくてね、
 満州では歌姫なんて
 呼ばれていたんだよ」


もう何度も耳にした
田島さんの貴重なお話に
初めて聞くように相槌を打ちながら
ホールへと向かうと、
その脇では川窪さんと
ボランティアの高田さんが
将棋に熱中していた。


「うわっ、また詰みだ。
 川窪さんは、本当に強いねえ。
 恐れ入りました」


川窪さんは失語症の男性で、
中等度の認知症をお持ちだ。

この特養に入所したての頃、
不穏状態が続いて
他のご入居者様に暴力を振るったり
各居室の扉を何度も蹴って回ったり、
落ち着かない状態が続いていた。


「高田さん、こんな天気の日に
 ありがとうございます」

「なあに嬢ちゃん、
 俺も楽しみにしてるからね。

 しかし、また負けちゃったよ。
 川窪さんの能力はプロ並みで
 なかなか適わねえな。
 俺だって精進してるってのにさ」


相談員が心配して
川窪さんの趣味である将棋の
ボランティアを募集したところ、
来てくださるようになったのが高田さんだ。


高田さんは
シルバーのお仕事をしながら
空いた時間にボランティアに来てくれる。


高齢者が高齢者の施設である
この特養にボランティアに来ることは
少なくなくて、
ボランティアさんの方がご入居者より年上
ということもよくある。


日本は若い人が少ないから。
だから、ソウくんみたいな人材は
貴重なんだろうな。


高田さんが来て以来、
川窪さんは目に見えて穏やかになった。
その川窪さんは二カッと笑って
指で1を作り、高田さんに催促した。

「なに、もう一回かい?
 ようし来た。
 今度は負けねえぞ、川窪さん」


ボランティアさんの存在には
本当に頭が下がるな。
人の力ってこんなにすごいんだ、って
思わされる。
私もこんな風に誰かを幸せに
出来るんだろうか。



___________________



私は特養のスタッフだから
職場に着いてしまえば天気なんて
あまり関係ないけれど、
併設のデイサービスセンターの職員だったら
仕事に大きな影響が出る。




送迎の際に
ご利用者様が濡れないように、
事故を起こさないように、
細心の注意を払わないといけない。



お昼休憩に食堂へ行ったら、
ソウくんがそのデイサービスセンター所属の
ジュリエットさんと話していた。


ジュリエットさんはフィリピン出身で
大きな目に長いまつ毛の
彫りの深い顔をしている。


日本人には珍しいような
羨ましいサイズのバストを持っている割に、
これまた日本人にはないタイプの
キュッと締まったウエストで、
そのメリハリの良さに同姓でも、
なんか、ムラムラっとこう……
来るような気がする。

ヘンタイかな、私。


2人は2人きりで話すとき
英語で話している。

この日もソウくんは
体を椅子の背に預けてくつろいだ姿勢で
隣にいるジュリエットさんとの会話を
楽しんでいるように見えた。


2人の英会話はネイティブ同然で
私には聞き取れない。

英語で話すソウくんは
日本語で会話するときより
心なしかジェスチャーが大きくて
別人みたいに見える。


私の周りだけ局所的な雨が降っていて、
明るく晴れた先にソウくんと
ジュリエットさんがいる、
そんな感じを受けてしまう。


「ユズ」

私に気づいたソウくんは
いつもの笑顔で
私の名前を呼んだ。

私はあいさつをして
テーブルをはさんだ二人の前に座る。

「ユズさん、おつかれサマです」


私は意識して
たわわな胸に目がいかないように返事をした。

ジュリエットさんは
N3を持っている。


N3というのは
日本語能力試験の級のことだ。


N5からN1まであって
N1が一番難しいらしいけど、
N3でも中国人でなければ
取るのは大変なのだそうだ。


日本語は漢字が難しい上に
使用語彙数がとても多い、って
前にソウくんが言っていたのを思い出した。

「今、ソーと映画の話を、していました。
 ソーは映画が、とても詳しいです」

「映画やドラマは
 会話の勉強になるからね」

ジュリエットさんがソー、と
呼び捨てで呼んでいることで
雨音がさっきより強く
聞こえるようになった気がする。

嫌だ。
外国人だから、当たり前のことなのに。


2人は私が来たことで
会話を日本語に切り替えてくれる。


「日本のhorror moviesは、最高です。
 細かいところも丁寧に、作りマス。
 私は、たくさん、見ました」

「『湖畔の別荘』は見た?
 あれはすごかったね」


「ソー、あれも見ましたか!
 私はあれが、bestです。
 ユズさんは、horror moviesは見ますか」


「いえ、私は怖くて
 眠れなくなっちゃうから」


とたんにソウくんが笑って言う。

「ユズは子どもだね」


それはいつもの優しさと愛情をおびた
やわらかい会話だったのに、
何故か私は距離を感じてしまう。

心の闇を気取られないように
あっかんべーをして言った。

「どうせ子どもですよ~。ごめんね~!」


ソウくんは身体を揺らして笑う。

「Oh!ユズさんは、とても、かわいいですネ」



異国に来てもハツラツと明るくて
成熟した果実のような
女性の魅力たっぷりのジュリエットさんが
私はかなり好きなはずなのに、

今日はその同一人物の
悪意の全くない会話が
身体の半分を冷たく駆け抜けて騒ぐ。


嫌だ。
自分の中は、こんなに醜くて子どもだ。

「それで、ソー、あのactressの
 森のsceneは……」


私は柔らかく薄味の八宝菜に
集中しているふりをして、
その中から丸々と太ったニンジンを
選んで口に入れた。


___________________


誰とでも仲良くできて
いつでも穏やかなソウくんは、
身にまとっている空気まで
他の人と違うように見える。



何もかもが美しく見えて
私と付き合ったことは
何か他の、意図があるんじゃないかって
思ってしまった。



我が家は一般的な家庭で
裕福な方じゃないけれど、

富裕層の子どもに産まれたら
こんな風に疑心暗鬼に
なるのかもしれない。




そんなことは関係なくても
確かに、子どもっぽい私より
成熟した女性の魅力を持つ
明るく優しいジュリエットさんの方が、
ソウくんに似合っている気がする。


2人は留学生として日本語学校を出て
その後、
日本の介護の専門学校を卒業した。



境遇まで同じだから、
在日外国人として
悩みも分かち合えるだろう。
会話だって盛り上がる。



私は、日本人だから。




それで、
言ってしまった。



雨がスニーカーから
私のつま先までじわじわと侵食して
ねっとりとまとわりついて気持ちが悪かった、
あの日の夜。


「ソウくん、本当に
 私のことが好きなの?」



そんな、たったひと言だけで
ソウくんには伝わった。


「定住権目当て、だと思った?」


私の言いたいこと全てが、
どす黒い考えが、
矢のように彼の中心に
刺さってしまった。


もしかしたら意地悪な
顔をしてしまっていたかもしれない。



彼は泣きそうな自嘲したような
笑顔を作った。
ソウくんのこんな顔、
初めて見た。



「僕の状況じゃ
 信じられないのは仕方がないね。

 でも本当だよ。本当に好きです」



抱きしめられて聴いた
その心臓の速い音と
熱い身体の震えが
全身を使って泣いているようだった。

コットンのシャツが頬に触れて
私はとてつもなく後悔した。


一生このことを
悔やみ続けるのかもしれない。



「ごめんね、ソウくん。
 本当にごめん」



ソウくんの身体に回した両手に
力を入れて、
何度も謝る私の髪を撫でながら
ソウくんは息が詰まったように囁いた。



 "I, really, really love you, indeed."   




続きはこちら。

第5話

第6話

第7話(最終話)



以前のお話はこちら。

第1話

第2話


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