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【創作】オーガニックコットン 第4話


「新人さん、お茶のお代わりをくれないかね」


昼食の下膳をしている私に
肩幅の広い紳士が頼んだ。



「は〜い、門脇さん!
 少しだけ待っていてくださいね」



私はこの施設で働いて
2年を過ぎたから
もう新人ではない。



「新人さん」は、門脇さんが
私に使う愛称だ。



彼は身体の半分に不随があっても
その脳は衰えておらず、
むしろ冴えていた。



周りの人は門脇さんを
嗜めるけれど、
私はそれが嫌じゃない。




「門脇さん、お部屋まで一緒に
 行きましょうか」



慣れない初日、
その半身不随の大きな紳士を
自室にお連れするよう指示されて
声をかけた。




BGMでかかっている
かすかに聴こえるショパンの
黒鍵のエチュードが、
緊張した私の心を元気づけてくれる。



「やあ、君は新人だね」


「そうなんです、緊張しちゃって。
 ふつつか者ですが!」



結婚するみたいな
不格好な返事をした私に、
頭の良さそうなお顔の紳士は
まるで孫に見せるような笑顔で言った。




「なぁに、誰もが最初は新人ですよ。
 粗相をしないように気をつけること。
 それだけだね」




そうして少しの介助だけで器用に
背の高い人用の歩行器を使って
お部屋まで歩き始めた。





「新人さん、今日は調子どう」



門脇さんはいつまでも
私をそう呼んで揶揄った。



「門脇さん、私はもう
 新人じゃありませんよ」




むくれた顔を作って
私が言い返すと、
いたずらっ子のような笑顔で
こう言うのが常だった。



「ワタシからすればまだまだヒヨッコ。
 精進しなさいよ」




その紳士にかかれば
私なんて本当に
小娘だなあと思わされた。




「新人さん、今日は疲れた顔をしているね。
 どうかしたの」



ある朝、着替えの手伝いに行くと
そう声をかけられた。




「嫌だ、門脇さん、分かりますか。
 皆さんの前では笑顔でいようと
 心がけていたつもりなんだけど」




「無理に笑う必要は無いですよ。
 人間誰だって嫌なことも
 あるんだから」




ベッドの脇に腰掛けた門脇さんは
使えない左手から
器用にパジャマの袖を抜いて、
ちょうど良い温度に温められたおしぼりで
顔や身体を拭いた。




「あのハンサムくんと
 喧嘩でもしましたか」



門脇さんにかかると
何でも分かってしまう。




私たちが付き合い始めた頃、
食事の時間が終わってから
この紳士はこう言った。 




「新人さん、あのハンサムくんと
 眼でお喋りをしているね。
 いや、全くもって、微笑ましい。
 彼が君の旦那さんになるのかな」




使ったおしぼりを受け取った私は、
今日着る藍色のTシャツを手渡してから
門脇さんの足元にしゃがんだ。




「門脇さん、私、ソウくんに
 酷いことを言っちゃった」




彼は慣れた手つきで左手に袖を入れ、
Tシャツを被り、整えた。




「あれまあ、何を言ったんですか」




「私のことは定住権目当てなの、って
 そんな直接言わなかったけど、

 本当に好きなの?って言ったことで
 全部分かっちゃった」




門脇さんは手を止めて
私の目をじっと見つめた。




「そうですか。
 それで、ハンサムくんは
 何て言ったの」



「本当に好きだって」




今度はズボンを履き替えながら
門脇さんは片側の口角だけ上げて、
ルパン3世の次元大介みたいに笑う。




「やれやれ、朝から惚気るとは
 新人さんもまだまだですね」



「そうじゃないの。
 私、ソウくんを傷つけたから」



「でもそれは必要なぶつかりですよ。
 確認しないままだったら
 新人さんの心はきっと
 不安の種が育って
 悪いものになったでしょう。


 長い眼で見れば、
 確かめたことで
 ハンサムくんを心から信じられるように
 なったんじゃないですか」




私、門脇さんくらいの歳になったら、
このくらい達観できるんだろうか。




___________________




門脇さんが亡くなった。
季節の変わり目で
朝夕の寒暖差が激しい日だった。




いつものように
リビングにいるその紳士を
お手洗いにお連れしようとご一緒に
歩いている時だった。





廊下の反対側からソウくんが
普段通りの大股で歩いてきて
すれ違いそうな時、
門脇さんが急にのしかかって来た。




「門脇さん?」



咄嗟に頭を打たないよう
支えたつもりだったけど
大きな門脇さんを支えきれず、
倒れそうになった私たちを
ソウくんが支えた。




「門脇さん!」



呼びかけても答えない。




「ユズ、大丈夫だった?」



そう聞きながら
動かない門脇さんを安全な体位にして
即座にソウくんは脈を探り始めた。




「私、看護師さんを呼んでくる」



そのまま門脇さんは還らぬ人となった。






ご入居者の方が最初に
お亡くなりになったときは、泣いた。
堪えようとしても堪えきれない涙は
自宅に帰ってからも溢れて止まらなかった。




今はもう、
「勤務先の方」とのお別れで
涙が出ることはない。




あんなに大切に思っていた
門脇さんでさえそうだ。




身体が慣れてしまったのか
最期の瞬間に鉢合わせた時でさえ、
ロボットのようにただ
次にすべきことを冷静に
こなすように動く。




でも、いつだってこの
感情は消えない。



おひとりお亡くなりになるたびに
湧いてくる後悔。



もっと何か出来たんじゃないか、って。



もっと丁寧に介護していたら
或いはもう少し長い間
生きられることが
出来たんじゃないか、



やるべき仕事を時間との戦いで
ひたすらこなしている中でも、
手を止めて
もう少しお話する時間を作っていれば、
もっと幸せに
生きられたんじゃないか、って。





「ユズ。一緒に帰ろう」




ソウくんに言われて
二人で施設を後にした。



日勤の私たちは
こんな、
かけがえのない門脇さんが亡くなった時でも
定時で帰る。




大切なご入居者は
たくさんいて、
一人ひとりの最期のお別れのたびに
残っていては、
心身が疲弊して丁寧な介護が出来ない。




遅番や夜勤のスタッフにも
迷惑をかける。




私たちはただ
冷たい機械のように
決められた時間に施設を後にし、
涙を流すことはない。




心の痛みからは
いつだって逃れられないけれど、
何人見送っても慣れないけれど、



こんな、人造人間みたいに
なってしまった自分を
誇らしいとも
悲しいとも感じる。






「家族の場合はね、
 そうじゃないのよ」



ロッカールームで
看護師の柳田さんは言った。



「私、病院勤めのとき何人も
 オペに入ったし、
 死んでいく人を見て来たわ。


 冷静に動けるのよね。
 あ、亡くなったから
 エンゼルケアをしなきゃ、とか
 ベッドを片付けなきゃ、って。


 でもね、息子が片腕を骨折して
 帰って来たときは、身体が震えて
 何も出来なくなったわ。


 かわいそうで、涙が出てね」




制服のジャージを
ハンガーにかけながら聞く。




「分かるわぁ。
 アタシも急にダンナが
 入院した、って聞いたときは
 頭が真っ白になって動けなかった」




そう言ったのは同じ
看護師の志村さんだ。


「小児病棟で働いていた時にね、
 5歳の男の子が亡くなったのよ。
 私が担当で、息子同然に
 かわいがっていたんだけど。


 その子のお母さんに言われたわ。
『志村さんはよくしてくれていると
 思っていたのに、泣きもしないのね』って。

 泣いてないからって
 悲しくない訳じゃないし、

 この人は仕事の人、
 この人は家族、なんて
 選別してるつもりじゃないのにね。


 身体は勝手に人によって
 動いたり、動かなくなったりするの。
 そうしないと心身がもたないから
 防衛本能なのよ、きっと」







_______________




「こんな時だから」



ソウ君に夕食に誘われたけど、
賑やかな場所に行きたくなかったから
私の部屋で何か食べることを提案した。





狭いキッチンでも
料理をしていると心が落ち着く。




「疲れていても
 料理が出来るユズを尊敬する」




お皿を出しながら
言ったソウくんは、
本当にそう思っているように
真面目な顔をした。




「なんちゃって、
 ただのカレーだけどね」




料理中に出る
いろいろな音に癒される。




にんじんやジャガイモを
ピーラーで剥くときに出る
音はかすかで、


お湯が沸いた時の
ボコボコは、低音。





玉ねぎの皮を剥いたら
カサカサ小動物が出てきそうな
可愛い音がするし、


野菜を切る包丁の音は
お袋の味の世界に似ている。




何となく郷愁を誘う、
小さい頃から聞いていた
安心するリズム。




そんな音を聞きながら
料理をしていると
自分自身を取り戻せる。




玉ねぎを炒めてオニオンスープを作り、
サラダと一緒に
カレーをソウくんに出した。




「日本のカレーは好き?」




ソウくんのひと口は
とても大きい。
大盛りのカレーも
すぐになくなってしまいそう。




「うん。
 これは日本食のカテゴリーだよね。
 中国から来たけどラーメンが
 日本食になっているのと同じ。
 他の国のカレーとは違うし
 独特だけど、おいしい」




カレーは無心に作れるし
気取らないで食べられる。
余分な雑音がしなくていい。




2口、3口、運んでいると
ソウくんが聞いた。




「ユズ、大丈夫。
 門脇さんとは特に仲が良かったでしょう」




ジャガイモが芯までとろけて
舌触りが優しい。
ル・クルーゼのお鍋を
奮発して買っておいて良かった。




「居室担当だったからね。
 大丈夫。
 だけど私が、AI……ロボットみたいで、
 ショックを受けてる。
 大切な人なのに、一大事のときに
 慌てずにテキパキ行動したことに。

 いつだってこの仕事で
 動けなくなったらいけないんだけど、
 何だかその分
 軽い気持ち、みたいで」




ケロリと食事を終えてしまった
ソウくんは、
香りの高いジャスミンティーを飲みながら
思案する顔をした。




「ユズの世界ではきっと
 この仕事をするまで死が遠かったね。

 門脇さんは最期に
 ユズが冷静に動いて助かったと思う。

 慌てていたら心配になるし、
 何より苦しい。

 それは、他の人にとって
 有難い変化だよ」




ソウくんの妹さんは
小さい頃に病気で亡くなったそうで、
中学生で亡くなった
お友達もいるらしい。





「死は、いつでも意外と近くにあって
 突然にやって来る。
 ずっと近くにいると思っていた人が
 あるとき急にいなくなる。永遠にね。


 だから、僕は後悔したくない。


 誰といつ急に別れても
 後悔しないように優しく、
 自分の命が突然終わっても
 後悔しないように毎日を生きたい」




私とたった3つしか
違わないソウくんの
大人びた横顔を見て、
心臓がキュッと握り潰されたように
苦しくなった。


この人はいったい今まで
どれだけ苦しいことを
乗り越えて来たんだろう。





続きはこちら。

第5話

第6話


第7話(最終話)


以前のお話はこちら。

第1話

第2話

第3話


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