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靭帯切っても明るい人。経過観察117日目(手術後87日目)

本日の右膝

MRIが10日後に迫っているが、あまり状態は変わっていない。銭湯にいって膝回りのマッサージしてみるが、変わらない。そういうのは大抵回数をこなしてこそ結果を得られるものだけど、多分だがこれに関してはあまり効果が無い気がしてます。笑 
とにかくまだ伸展時に痛みはあって、屈折時は皿の外側にある何かが浮き出てくる感じである。多分これが原因なのではないかと踏んでいる。


人は知らないことに恐怖と焦りを感じる

僕がメディアについて完結させる記事のポイントはまさにこれです。この言葉は僕が所属しているチームのU-12のカテゴリーで監督をしている方によってツイートされたものです。僕よりも何倍も、サッカーにも人生にも向き合っている、現場主義の方です。こうして誰かと自分を比較すること自体ナンセンスかと思いますが、そうすることで僕自身に発破をかけているわけです。こういった人物の持つ言語化力は常に見習っていかねばなりません。

さて、文字通りですが
人は「知らなかった」ことに対して過敏に反応をする生き物です。日本人は特にそうです。それは学校教育の影響が大きいでしょう。与えられた環境で常に「答え」を求められ、それが間違っていると子供はクラス内で「恥ずかしい」と感じたりします。それが出来る子は「なぜそんなこともわかんないの?」と咎めたりする例もあります。
出来ない子は恐怖となります。自分のクラスで劣等感が生まれます。
子どもなんて知らない事、わからないこと、できないことだらけなのに、ちょっと出来ないくらいで先生に怒られたりします。生徒同士を変な意味で比べます。せっかくの作品を「これはダメ」と、「みんなと同じように」と。意味のわからない枠組みに放り込まれたりします。

すべての学校がそうではないとは思います。
だけどほとんどの学校教育はこんな感じだという偏見を持っています。

楽ですよね。言う事聞いて、先生の思うように動いてくれる生徒ほど楽な子はいません。しかも集団ですし、小学校の先生なんて5教科を見ているわけですから、そりゃはみ出し者が増えれば増えるほどストレスも溜まっていくでしょう。


あのナントカウィルス

この2,3年でいまだに話題のアノウィルスについて。僕はこれまで思うところはちょくちょくツイートすることはあってもnoteに書いたりはしてきませんでした。「コ〇ナウィルス」という言葉をnote内に書くと、、、

ご丁寧にこんな風に書かれてしまうので固有名詞は伏せます。別にどっちでも良いんだけど、自分の記事にこれが表示されてしまうのが何かだか気持ち悪いのでやっぱり伏せるんです。
コイツが世に出回った時も、正体不明でした。僕自身わけのわからない情報源を元に友人たちに送ってしまった経験があります。その時はギリギリ「ちょっと待てよ、、、また鵜呑みにしていないか?」と、自分を疑うことが出来て、それが単純に読めばわかるほどのデマだったことがわかり、送った友人たちにはすぐに謝罪する、という恥ずかしい経験もしました。

それからはずっと自分で何とか調べていました。何が正しいのか。その情報が正解なのか。当時はずっと「不安」だったから本当に色々と調べてた。だんだんと、研究者でもない自分が調べても答えには辿りつかないことも理解できた。得体のしれないものに正解を求めること自体たぶん間違っている。少なくとも今回のをウィルスに関しては。

色んな記事を見ていて、ひとつのテーマに対してたくさん議論がされているんだけど、共通して言えるのは『みんな答えを知りたがる』んですよね。タイトルの通り、焦りと不安を解消したいからです。でもね、わかんないものはわからないし、意外にも時間が解決したりするもんなんですよ。

周りが導いてくれた

話をアレに戻しますけど、僕は結局今でもあの液体注射を打っていないですし、今後も強制されない限り打つことはないです。
確固たる理由は3つ。まず前述の通り、強制ではないこと。そして数年前に突然の不整脈になったことがあり、アレを打った場合の副作用の方がリスクが高いと思っていること。3つ目は、メルボルンでサッカーをしていた頃のチームメイトがアレを打ったあとに心臓に問題が生じたこと。彼は勇気を持ってお注射を打った後の因果関係を病院に訴えまくった。最初はずっと医師たちも因果関係はないと説明していたが、彼が証明を訴え続けたおかげで、「その注射があなたの心臓に何らかのエラーを起こした」と認めさせた。というのをfacebookに投稿していた。それをリアルタイムで見ていたおかげで自分の中で「打ってはいけない」というひとつの答えを出せた。
彼の勇気に敬意を。彼は既にサッカーを出来るまでに回復しているので本当に安心している。

こんな感じで、時間の経過と共にひとつの答えが導き出されたこと。散々メディアは見ない方が良いと書いておきながら、SNSのおかげでこの選択が出来たとは皮肉なもんだ。笑
ただこれには違いがあって、日本だけの狭い情報源ではなかったことと、それと当事者の実体験だったことである。というわけで僕の中では十分信用に値する、と判断できるモノだったわけです。


いつからかの違和感

なんでこんなにも、みんなが一斉に行っていることを生理的に受け付けなくなってしまったのか。いつからこの違和感は生まれたのか。ハッキリとしたタイミングはわからないが、おそらく徐々にそうなっていったのだと思っている。で、大きな理由は「面白くない」という部分なんだろう。
例えばだが、今は韓国のスイーツが流行っているらしい。ちょっとテレビで見てすぐに変えたのだが、アレの何が良いのかわからなくて、それなのに凄い行列になっていたりして、そういうのをたまに見ると吐き気がしそうになる時がある。これ、大げさではないです。
韓国のスイーツは1ミリも悪くないです。好む人、好まない人が存在する中で、僕が後者なだけっていうただそれだけの話です。実際にそれを食べたくてお店にいったり、SNSに投稿したい人もいるので、それらを否定する権利は僕には無いです。
僕は夕食は作ってインスタにあげますが、それをインスタに載せる意味がわからない、それを好まない人だっているわけなので。

トレンドに群がっているのが、どうしても変な感じで目に映る。

「人と違うのがかっこいいと思っているんでしょ?」

という言葉も飛んできそうですが、正直よくわからないです。
かっこいいと思ったことないんですけど、仮にそういう風に目に映ってしまうも仕方ないことです。
人がみんな違うことは当然なので、その言葉を浴びせられる意味がわかりませんが、まあ自分も今大流行のYoutubeを見たりするし、twitterもやったりしているし、SNSにはどっぷり浸かっているので反論のしようがないです。
要するに言いたいことは、「よし!みんながやってることだからやろう!」っていう流れが生理的に気持ち悪く思うようになった、というのと、物事を決めるための指針が世の中の流れのみで決まってしまうような人間にはなりたくないってことです。それの何が悪い?って言われてしまうでしょうが、それだと「つまんない」んですよね。


自分の人生なので、常にクリエイティブでいたいしオリジナリティ溢れる生活をしたい。そのためには自分でデザインしていかなければいけなくて、仲間に認めてもらうこともきっと必要になる。
これからもメディアはきっとそれらの邪魔になるだろう。もっともっと取捨選択をしていって判断しなければならない。体力は落ちていくかもしれないけど、維持は出来る。脳みそはまだまだ進化できる。
人間は一生成長出来るんだってことを証明するために、人生はあるのかもしれない。


ひとつよしなに。

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