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アクティブ・ラーニングは知れば知るほど難しい

最近就活のことばかり書いていたので教育のことについて書くのが久しぶりのように感じる。

GWの間はnoteをしっかり書くと決めたけれど、実はまだあとESが3社と課題が1つ残っている。なかなかの地獄だ。これに慣れていかないとなんだろうな....。と書きつつたった今届いたメールを開いたら課題が1つ追加されていた。
恐ろしいこと限りなし。



まぁそんなことは置いておいて、今日は「話し合い活動」について考える。最近流行りの?主流の?重きを置かれている?アクティブ・ラーニングとやらは、「授業方法の1つなんだよ」と何度も言い聞かせてくる先生がいる。
授業方法であるということはどういうことか。講義形式(大学で超よくあるやつ)だって授業方法だ。つまり、アクティブ・ラーニングはそれと対等に並ぶものなのだ。

だから「グループワークを授業の途中で取り入れる」なんてことはおかしい。「アクティブ・ラーニングそのものが授業方法」なのだから。
授業内容が減っているわけではない。だけどグループワークのようなものを取り入れれば必然的に教科書の進みが遅くなる。ゆえにアクティブ・ラーニングを取り入れるなんて無理だ!という思考は短絡的....とのことだ。(私個人の主張ではない)

だがそう言われるととても難しい。確かに アクティブ・ラーニングを"ただグループワークを取り入れれば良いだけのもの"と思っているわけではない。
でも正直、こういう"主体的・対話的で深い学び"しか経験したことがない場合は?しょうがないというか。難しいというか。

自分が経験したことのない授業を創造するのは難しい。経験したことがない授業形式の学習指導案を考えるのは難しい。
アクティブ・ラーニングの中の例えば
・ラウンド・ロビン
・ジグソー
・LTD
 などは、言葉の意味は知っていても、授業の方法は理解していても、自分が学生の頃にその形式の授業を経験したことがないから難しい。何度も「難しい」と言っているけれど、学生のうちに教わったことがないものを急に先生として児童・生徒に教えなければいけない世界、そんな世界に教師として飛び込んでいくためには、それなりの覚悟が必要なはずだ。

授業の一部でグループワークをやれば良いって話ではない。どうでやるなら最初から最後まで生徒主体で。生徒中心で。そう言われても、なかなか難しい。生徒の反応をある程度予測して授業計画を立てなければならないし、時間配分も難しいので臨機応変な対応が必要だ。




話をアクティブ・ラーニングから少しずらす。もう1つ、大学の先生がおっしゃっていたことがある。

「話し合い活動」は何のために行うのだろうか?

話し合いなんて面倒臭い、自分ができればそれで良い。1人で解けちゃうんだから、話し合う必要なんてない。できる人はいつも教える側にならないとだから、大変。
ここに挙げた中のうち いくつかの感情を私も抱いたことがある。だからと言って話し合いそのものを拒否するまでには至っていなかったけれど。

1人でやる方がそりゃあ早いこともある。
でも、早く先へ進むのではなくて、より遠くに行ってほしい。先生はそんなことをおっしゃっていた。遠くへ行ってもらうために、グループでの話し合いの場を設けるのだ、と。

より遠くに行ってほしい理由として挙げられていた言葉が印象に残っている。

1人でやる方が早いこともある。
でも、自分の発想は自分の能力で超えられない。だからグループ活動をする。


今日はアクティブ・ラーニングの難しさより何より、これを言いたかったのだ。

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