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ガクチカを盛る就活生と成果主義。

オープンチャットで匿名の学生たち(同い年の23卒の方々)を見ていると、
・嘘をつくこと
・ガクチカを盛ること
・誰かの成果を、あたかも自分がやったことかのように話すこと
・50→100くらいのエピソードをつくり、主人公になった気分で 話しているうちに嘘が本当になる(空想の)状態を目指すこと

などは面接において もはやある程度「あたりまえ」のことなのかもしれない.....と思わされる。

話を盛らなければ頑張ってきたことが評価されない。
成果が定量的に表せないと、自分がやってきたことを理解されにくい。
その会社の求める人物像に合うようなエピソードを考える。そうでないと、採用してもらえない。
その会社で活躍できている人材が持つ要素として定義されているような強みをアピールする。自分の本来の強みを話しても、相手に響かないから。


後半の方の「求める人物像に合わせるために、自分を偽る」のはもちろん良くないというか、ミスマッチになってしまうというか。内定をもらえてその瞬間は嬉しい....というか内定がゴールになっている場合が多いのかもしれない。

それは今回はさておき、
前半の方の「話しを盛る」、特に「成果を盛る」というのはどうだろう。
どうしてそれをやらなければ面接に合格できない、という思考になるのか。結果が全てだからだろうか。面接は成果主義だというふうに、企業側がアピールし続けているのだろうか。



少し話は逸れるけれど、私の場合、学生団体のことをガクチカにしていたことがほとんどである。80%以上が団体の副委員長として活動した話。ただ定量的な成果はなく、例えば新入生の数を◯倍にとか、満足度◯%向上とか、簡単に数値で表せるような成果を出したわけではない。

長期インターンも数値を外に出せないタスクが極めて多かった(そもそも定量的に成果を表せないものが多かった)というのもあって、ものすごく成果を出したガクチカは特になかった、なんならnote500日連続投稿が1番数字としてはインパクトがあったかもしれない。


それでも実際ガクチカの成果が乏しかったから落ちてしまったなぁ、ということは正直全くと言っていいほどない。落とされる原因の多くは強みがその会社に合わなかったか、志望動機が浅かったかだろう。(面接という場において、ガクチカの深掘りは最も慣れやすい領域かつ、想定質問を無限に網羅することが経験を積めば積むほど容易になる領域である、というのもあるかもしれないが。)

もちろん成果をアピールするガクチカは、「真実」ならば本当にすごい。テレアポの成果とか売り上げ何%向上とか、オリジナリティのある?というかその人の個性が滲み出てるような?ガクチカを集団面接で聞くと、「おぉ〜」と素直に尊敬できる。



ではなぜそこまでガクチカを無理矢理にでも定量的にする人がいるのか。偽ってまで成果を重要視する人がいるのか。

と考えていた時に、
これは学生の「結果のない努力は意味がない」というような思考のせいでもなく、
企業の「頑張ったから成果を出せた」という輝かしいエピソードを持ってこい というような圧力でもなく、
「就職活動」というものに関わる「ビジネス」をしている人たちのせいなのではないかな、と思ってしまった。


ESの書き方を教えてくれるサイトやYouTubeは助かる。通過しやすい、というか自分がやってきたことを限られた字数で伝えるために必要な、ESというのはあると思う。
それでも何か
「ガクチカは成果の凄さ、数値の大きさ、インパクトが全て」
「ガクチカは成果が出たものでないとダメ」
「とにかく定量的に書こう」
という風潮を作り出すきっかけになってしまっているのかなぁ、と感じられた。


だからたまに企業さんによっては、「学生時代に頑張ったことを書いてください。成功/失敗は問いません」みたいな質問を提示してくることもあるよね。

成果が出たことはもちろん素晴らしいし、それは評価されるべきだけれど。
何かを変えようとして自分なりに考えて行動したんだったら、成果を盛ったり嘘をついたりするのではなくて、「どうしてそれをやろうと思ったか、どんな状況を踏まえてどういう工夫をしたか」ということを自信を持って話す学生が増えたら良いなぁ、、、と思ってしまった。



これはまた別視点だけれど
・バイト先の店の売り上げ○%向上
・SNSのフォロワー○人アップ
・新入生歓迎会をオンラインでも工夫して○人入部してもらった
っていうガクチカは本当にかぶるので、成果ではなくて過程が聞かれることになってくるよね。。。


この辺にしておこう。




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