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SNSとエコー・チェンバー現象

「竜の道」というドラマの最終回をやっと見終えた。玉木宏と高橋一生演じる兄弟が、両親を自殺に追い込んだ大運送会社の社長に復讐をする話だ。最終的に復讐をすることができる。だが兄は何人か人を殺したし、関係ないのに騙され傷ついた人がいた。復讐には必ず犠牲が伴う。
兄弟と妹で食べる最後の夕食。兄は昔殺した男の息子にナイフで刺され、その場へ行くことができなかった。だがドラマの最後は幸せなシーンで終わっている。兄弟と妹は、家で鍋を囲んで3人で笑っているのだ。最高の希望と最悪の絶望を同時に見せられた....なんていう感想を見かけたけれど、私は悲しみの方を多く感じた。それでも彼らは、幸せだったのだろうか。


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エコー・チェンバー現象。SNSを見たときに、自分に近い意見ばかりが入ってくることにより、自分の考えが一般的だと思い込みやすくなること。自分の意見が多数派だと思い込むこと。

SNSは便利だ。情報収集はしやすい。情報が早く手に入れられるというメリットもある。自分と共通点がある人とのつながりを持ちやすい。

だけれどSNSでは争いが起きやすい。最近リプライ相手を制限できる機能なんていうのがTwitterでは実装されたけれど、結局フォロー外から引用RTで意見を言われるので、リプライを制限した意味があったのかは疑問だ。誹謗中傷が多少は目につきづらくなったのだろうか。

SNSで争いが起きやすい理由の1つが、「エコー・チェンバー現象」らしい。自分の意見が一般的だと思い込んでしまうことによって  相手が間違っている、自分は間違っていないと思い込みやすくなるのだ。お互いにお互いを「間違っている」と思ってしまえば、争いが起こりやすくなるもの当然と言えるだろう。

同じ意見の人とSNSで交流しているのはすごく楽なことだろうと思うし、それは"いつでも"批判されるべきことという訳でもないだろう。
だけれど「意見の衝突」をいつも「争い」とみなしてしまって良いのだろうか?意見がぶつかることによって、摩擦が生じることによって、新しい意見が生まれることもあるだろう....意見が深まることもあるだろう.....なんていうのは綺麗事かもしれないが、そうはいっても「意見をぶつけあうこと」も必要ではないだろうか。

対立から逃げて逃げて、「いつも自分の意見が正しい」と思い込むことは、愚かな人間になることへの1歩となってしまうような気がしている。


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SNSというものには、「おすすめ機能」がある。Twitterでは興味のあるジャンルのトピックや広告がTL上に出てくる。Instagramの検索画面に出てくるおすすめは、過去の履歴がよく反映されているだろう。LINEニュースでは、毎日見ているうちに よく見るジャンルのニュースがトップに出てくるようになるだろう。
SNSのおすすめ機能は確かに「自分の興味があるものにアクセスしやすい」という点では便利だし見ていて楽しいけれど、「おすすめ機能」の"罠"も大きいと思う。

自分と興味・関心が似ている人や共通の友達を持つ人が自動的に探され、おすすめユーザーとして出てくることは上記のエコー・チェンバー現象の引き金となるだろう。ある意味それは意見の対立という争い(?)摩擦(?)を加速させているのだろう。

よく「おすすめ機能」の批判意見として言われるのは、自分が興味がないジャンルのものが余計視界に入らなくなり さらに興味の幅(視野)が狭まってしまうとか、関心のないニュースを見なくなり 世の中に関して知らなければいけないことを自然と目にすることができないとか、色々とあるとは思う。

だからと言っておすすめ機能がなくなるなんてことはないと思うが、OFFにする機能があっても良い気がする。
興味がないものに意図的に興味を持つというのはなかなかないとも思うので、興味がないものも自然と目に入ることが何度か繰り返されることによって 少しでも興味が持てるようになることがあれば良いなぁと思う。


直接ではなくSNSでのコミュニケーションが増えたという状況の中で、会話の中で友達が興味を持っているものに関心を持つというだけではなく、SNSというコミュニケーションツールの中でも 新たに何か興味が広がるようなきっかけがあれば良いなぁと思ったり。