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夢がない人間に否定されてしまうこと

過去のブログを掘り出してみよう第4弾。
今日は今ではだいぶ考えが変わったとも言えるような内容について。
元々のブログ記事は2020年2月末に書いたものだ。

「誰にだっての1つや2つくらいあるだろう。」という人がいます。
夢がない人はこの世にいるんでしょうか??
夢の定義は存在しないでしょう。
「チョコレートの海に浸かりたい」とか非現実的なちょっとしたことでも、それがその人にとっての「夢」である限り、それを批判したりすることはよくないのではないでしょうか。
1つ前のブログにも書きましたが、「自分の人生を否定していいのは自分だけ」だと私は思っています。

でもそれは人生だけではなくて、夢も否定してはいけないということなのではないでしょうか。

言いたいことをまとめると、「行きたい大学に合格する」というのも誰かにとっての1つの夢であるということです。
それを否定する権利は本人以外にありません。
「大学受験に執着している」と最近ある人に否定されました。
「叶わなかった夢にいつまでもしがみついている」と言われました。
まぁ確かにそうかもしれません。でもそれを誰かに否定される権利はない。夢をいつまでも追いかけ続ける人を否定する権利はあなたにはありませんよ。

というか大学受験だから否定するんでしょう。
否定の陰に見え隠れするものはなんでしょうか。嫉妬でしょうか、プライドでしょうか。自分が叶えられない夢だから否定してしまうのでしょうか。叶わなかった夢に執着することはそんなにいけないことでしょうか。

もう1度言います。大学受験だから否定するんでしょう。
夢への執着はダメですか??
じゃあ たまにいる、自分が叶わなかった夢を子供に押し付ける親はなんなんでしょう。押し付けるのはよくないかもしれない、でも、夢に向かって頑張った事実や悔しさはそこにあるはずです。それを振り返って自分の人生を省みることの何がそんなにいけないんでしょうか。

合格するために頑張ったっていいじゃない、何年も浪人したっていいじゃない、それがその人の「夢」なんだから。
特に特に特に、あなたが叶えられなかった夢を誰かが叶えていたとして、それを羨むのはいいでしょう。でも、妬んでも何も良いことはないです。自分が惨めだからって、その人に心ない言葉をかける権利はあなたにはないはずです。

自分が叶えることのできなかった夢を叶えた誰かがいて、「すごい!」と思った後に湧いてくるのはやはりマイナスな感情でしょう。それはしょうがないし、わたしもそうです。でも、その悔しさとか悲しみとかを別の方向に、プラスに変えなければならない。また別の夢を叶えるためのスタートにしなきゃいけない。わたしは、そう思います。
そしてそれができる人が、精神的に強い人なんでしょうね....。

何かを頑張っている人を、応援しなければならないわけではありません。でも否定はダメです。わたしにあんな心ないことを言ってきた人にも、きっと夢があったんではないでしょうか....きっと夢を見失わないように頑張り続けることも、人生には必要なんでしょうね。
人生に必要な物事ほど、難しいのかもしれませんが....。

誰かの夢を否定しまう人こそ、自分の叶えられなかった夢に執着しているのかもしれませんね、誰よりも。

誰かの何かについて否定してしまう人自身こそが、その「何か」に執着しているのかもしれませんね。


正直私は誰かに「夢を否定された」記憶はあまり残っていないしこのブログ記事を書いた時の記憶もあまりない(笑)

人生を否定してはダメ、夢を否定してはダメというよりかは そもそも「誰かのそれらを否定する"権利"がそもそもあなたにはないだろう」っていう話のように思っている。結局その人の人生はその人のためにあって自由に使って良い人生の"時間"なのだろう。

誰かと関わらなければ生きていくことができない以上、無意識のうちに誰かを否定したり傷つけたりすることがあるだろう。だから"権利"とかはもう考えるべき領域ではないのかもしれない。

こういうことを言うと皮肉かもしれないが
これを書いている私は「人のことを否定するような場面があったって良い。あまりにも非現実的な夢は否定しても良い。」などの考えを持っている人のことを"否定"しているのだ。



何を書いても堂々巡りかもしれないけれど、「否定」云々以上に、誰にでも等しく夢を描く権利と自由はあるはずだ。それが一生叶わない夢だったとしても。それがあまりにも非現実的な夢だったとしても。