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執念深くあること

過去のブログ記事を掘り出してみようシリーズ第2弾。5つくらい書くことがあればマガジンにでもしようか.....。
今日は「執念」についての話。2019年10月頃に書いたものだ。

去年のこの時期、すごくすごく心が折れやすい(折れた)時期でした。
この(終盤の)模試で良い判定を出さないとなのに...というプレッシャーはもう人によっては想像を絶する量だと思います。押しつぶされたくないのに、どうしても心が悲鳴を上げていて、勉強し続けているのに、結果に上手く現れない....勉強方法が間違っているのかもしれない....、、、となってしまうこともありますよね。
特に浪人生の皆さんは、去年は「失敗」して浪人となった人が多いわけで、また去年の二の舞になってしまうのではないか...このままでは受からないのではないか....そんな不安で頭がいっぱいかもしれません。
もちろん積み重ねてきたものが結果に出ている、勉強へのモチベが確立されている、という人はこのまままずはセンター試験まで走りきってください✏️自分のことを信じてあげてください🙂最後に信じれるのは自分自身だけです、皆さんよくわかっていると思いますが。

この前浪人経験者である友達と少し受験の話をしました。
わたしが「受験生時代の勉強のモチベーションってなんだった?」と聞くと、その人は「もう何にも考えずにただただ勉強してた、受かりたいという執念だけがあった。」というようなことを言っていました。
合格するということに対しての「執念」、皆さんはありますか?わたしにはそこまでなかったかもしれません。そこの大学でなければならない、今年で受からなければならない、という決意・覚悟・執念はありますか??ここでやめたら負け、大学受験というものに対する「執念」は皆さんにはありますか??

あと、その人とこんな話もしました。
「努力しても手に入らなかった第一志望代への合格だけど、努力したことを後悔している?」
「後悔はしていないかな。努力をしても手に入らなかったものがあったし、努力をしたという事実しか残らなかったけど、それでも後悔はしていないかな。」とその人は言っていました。
努力をして欲しいものが手に入らなかったとして
自分に残ったものはなんだったのか
届かなかったという事実だけは残る

本当にその通りですよね。受験は誰しも成功するものでは当然ないし、その後悔を一生引きずり続ける人だっているでしょう。
でも後悔することをやっぱり恐れてはいけないんだと思います。「努力をしたという事実が自分の成長につながる」なんていうのは、所詮受験を終えた後に頭に浮かんでくる理想論というか綺麗事なのかもしれません。
それでも後悔することを恐れないでほしいな、と受験生に対して私は思います。もしかしたらダメかもしれない、なんてことはきっと1ミリも考えてはいけないことなのです。後悔を恐れずに前に進め、じゃないですけど
もはや後ろには戻れない、後戻りはできないぞ、ということです。


「後悔することを恐れないでほしい」というようなことが書かれているが、この1年後?くらいにかけられた言葉に次のようなものがある。とある受験生のお母様が伝えてくれた言葉だ。

自分の人生に「反省」はして良いけれど、「後悔」はしてはいけない

自分なりに正しいと思って選択した答えだったとしても、のちにその選択をしたことを後悔する日が来るかもしれない。それでもその時の自分はその時の自分なりにベストな選択をしたわけで。今の自分は今の自分なりに精一杯自分の歩んできた道と向き合っているわけで。
そう考えると、「後悔」というより「反省」という言葉の方がふさわしい気もしてくる。





また遡る。

一方で、最後に、最近ツイッターで見かけたものに以下のようなものがありました。
駒場哲学の野矢先生のお言葉
「君たちは努力してここに居るのだろうし,人生をより楽しいものにするためにも努力はとても大切ではあるが,努力しなければ自分のアイデンティティを見失うということは,やはりあってはならない」
頑張らなきゃ頑張らなきゃ...と思っても頑張れない自分を無価値だなんて絶対に思わないでくださいね。
頑張りたいのに頑張れないことは 厳しいことを言えば"逃げ"だと思います。でもどうしても辛い時期というのがあった、あるいはこれからの残りの受験期間できっとあるはずです。
頑張っているあなたはエライです。でも頑張れない弱い自分の味方もしてあげてください。
自分で自分を殺しすぎないでください。ここからは自分の精神力との戦いだ、と思う瞬間がこれから先きっとあると思います。
自分自身を責めすぎないで、たまには自分を抱きしめてあげてください。
最後には自分を信じて自分を後押ししてあげてください。


"努力しなければ自分のアイデンティティを失ってしまいそうな人"、私はこういう人は結構多いのではないかと思っている。それが良い悪いのどちらかで言えることではないけれど、自分の身近な人の中でそういう人がいたならば、「そんなことはない」と言ってあげたくなるかもしれない。

苦しみながら努力をしても、何度涙を流して頑張っても結果が出ない時は出ないし、報われない時は報われない。

「報われない努力は努力とは呼ばない」は、時に誰かの人格をも否定する恐ろしい言葉かもしれない。