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かじった桃を渡したら──コーネリアス問題を振り返る夜──
先週あたりがピークだったコーネリアスこと小山田圭吾の過去記事におけるいじめ自慢問題について、今さら少しばかり書いてみようと思う。人の憎悪も7.5時間というから、たぶんもう極度に憎悪を持っていた人たちはニワトリ並みの高速さでこの話題自体を忘れてしまっていることだろうし、私としては私の読者に理解してもらえればいい程度の意味合いで書いておくことにする。
この問題については、珍しくネットをみるかぎり9割
猫を撫でる、その他の浮遊思考
いま家の外では簡易の小屋の中で猫が寝ている。一週間とか、いやもう少し前からかな、家のまわりをずっと首輪をつけた猫がみょおみょお鳴きながら徘徊していた。
何だろうな、とは思っていたが、気にしないようにしていた。だが、日を追うごとに相手は距離を縮めてくる。うちはまた、子どもの出入りが多い。そうすると、庭先で子どもが優しくしたりするせいもあるのだろう、あるいは、よその庭より雑草が伸びているから、餌にな
犬に種類があるように
子供の頃、「流れ星銀」という漫画があった。
犬が熊を倒すために集まる話だ。
その影響で、ポインターとかセントバーナード
とかグレートデンとか、とにかく犬の図鑑をみては
いろんな犬の種類をかたっぱしから覚えたものだった。
不思議なもので、
我々は「犬」というカテゴリを知っているから
ドーベルマンとチワワを同じ「犬」と認識できるが、
そうでなければ、とてもそれらをひとまとめには
見られるはずがないので
ここが死に場所だろうと。~『沙漠と青のアルゴリズム』あとがきのようなもの~
デビュー3年目くらいから、終わりを意識しはじめた。
こう書くと、何を急に言い出すのかと思うかも知れない。
でも本当の話だ。
黒猫シリーズは順調に売り上げを伸ばしていたが、それにしたって「遊歩」より売れる作品があるわけではなかった。
発行部数だって、巻を追うごとに少しずつ右肩下がりになる。それは仕方のないこと。どれだけ最善の状態にしても、シリーズものというのは、映像化とか新聞やテレビでレビューが出
自死について。あるいはラストモールまでだらだらと
スティーリー・ダンというバンドがかつてあった。アメリカのロックバンドで、ジャズとかソウルとか、いろんな要素の入った唯一無二のサウンドとドナルド・フェイゲンの渋い声が特徴だ。日本で言うならばサザンオールスターズみたいな存在だろうか。と言うか桑田佳祐はたぶんスティーリー・ダンをかなり意識していたんじゃないかと思う。
その最後のアルバム『エヴリシング・マスト・ゴー』の最初の一曲目に「ラストモール」とい
『黒猫と歩む白日のラビリンス』刊行記念リモートトークイベント!
ええとこんばんは。
森晶麿です。はじめての方もそうでない方もどぞよろしく。
さて、じつは9月17日に黒猫シリーズの最新刊が発売になったのですが、いつもだとどこかの土地へ行って刊行記念トークイベントなどをやるのですが、今回はこういう状況だということもあり、リアルなイベントは断念しました。
けれど、せっかくですし、何より執筆についての裏話などあれこれ話したいこともあります、ということで、
タイトル公募900字小説「9月に始めたい存在しない習い事」5連発
先日、Twitterにて「#9月に始めたい存在しない習い事」というのを募集しまして、そこに皆様からご応募いただいた架空の習い事を5つ選び、タイトルにして900字小説を書きます、と言いました。そして、昨夜無事に5つのタイトルが決定しました。さて、どんな話になったか。以下ごらんください。
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蝉の声回収講座 そろそろ何もない抜け殻のような日々から脱しなければならなかった。ミコが最後の
ある古美術商への飛び込み営業で本当にあった怖い話
8月の終わりなので怪談噺でも一つ、と思ったのだが、じつを言うとこわい思いというのをあまりしたことがない。
生まれつき霊感がまったくなく、そのわりに中学校まではひどく怖がりだったのだが、高校のときにふと「これまで一度も幽霊の気配すら感じたことがないということは、いるいないは別にして俺には霊感がない。それなのに、『いそうな感じ』を怖がる意味とは……?」と考えてすっかり恐怖心というものと疎遠になってし