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処女、官能小説家になる【第一話】

【あらすじ】
 咲子は、クラスメートの片桐に片思い中。咲子が告白すると、片桐から「プロの作家になればデートしてもいい」と返事をもらう。咲子は彼とのデートを実現すべく、作家を目指す。

 門を叩いた出版社からは、ストーリーを作り上げる事に関しては天才だが文章の書けない元AV女優「月野マリア」を紹介される。咲子は月野とタッグを組み、作品の完成を目指す。

 恋、奇妙奇天烈な人達との出会い、親友との関係、お仕事を通じて悩み、葛藤を重ねながらもなお、前へ進む咲子。
 これは不器用すぎる女性の、女子高生〜36歳までの半生を綴った成長物語である。

※こちらの作品は、筆者が過去にカクヨム小説家になろうエブリスタで掲載した小説を、再度推敲し直し、ブラッシュアップしたものとなります。

各話リンクはこちら

第二話 
第三話
第四話
第五話
第六話
第七話
第八話
第九話(最終話)

第一話

親友

 子供を産む時の痛みは、鼻から 西瓜すいかを出すような痛みだとマリコが言う。

「出産は大変だけど、感動するから絶対に経験した方がいいわ」

 そう呟きながら、マリコはぐいっとビールを飲み干す。

「どうして?」

「赤ちゃんを抱くとね、女として産まれて良かったって、心の底から実感するの」

 得意げな顔で語るマリコに、咲子は「へぇ、そうなんだ」と気のない素振りをみせる。

 咲子は、 橙色だいだいいろのカクテルをマドラーでくるくると退屈そうに回す。グラスにふわふわと浮かぶ氷達は、きらきらと瞬く。

 まるで、 琥珀こはくみたい。咲子は、グラスの中でゆらゆら揺れる氷達を見るなり、うっとりする。

 咲子が飲むカクテルは、セックスオンザビーチ。セクシーなネーミングをしたこのカクテルは、フランボワーズの甘酸っぱさと、ピーチ、パイナップルジュースの甘味が楽しめるウォッカベースのお酒だ。

 ——こんなセクシーなお酒を頼んでいいのだろうか、私。

 戸惑いながら、カクテルを口に注ぐ。口に入れると、ふわりとフルーティーな甘さが広がる。やっぱり、この味が好き。

 ゆらゆら揺れるカクテルの水面をぼんやり眺めると、親友のマリコが心配そうな顔で声をかけた。

「いつか、咲子にもその気持ちがわかる日が来るといいなぁ。ずっと、咲子に彼氏ができないの心配しているんだから……」

 大きなお世話だと、咲子はため息をつく。いつだって、この女はそうだ。心配する癖に、他の誰かを紹介してくれる訳でもない。

 マリコと一緒にお酒を飲んでも、自慢話とマウント交じりの余計なお世話ばかりで退屈だ。近況報告も、子どもが保育園に上がったとか、夫が優しいとか。心底どうでもいい。

 咲子の携帯には、マリコからの幸せそうな家族写真が定期的に送られてくる。LINEメッセージには子どもが七五三を迎えた、家族旅行に行ったなど。

 マリコの子どもも、夫のことも、できれば耳を塞ぎたい。情報を遮断したい。

 マリコからメールが届くたびに、咲子はひっそりとメッセージを長押しして「削除」をクリック。LINEはメッセージを消せるので便利だと、咲子はつくづく思う。

 嫌な部分もあるが、それでも彼女とつい会ってしまうのは、高校からの親友だからだろうか。マリコから「あなたのことが、心配だから」と言われると、つい心を許してしまう。友情関係も長く続くと、情が生まれるらしい。

 本当は、自分のことなど全く心配などしていないことも、頭では理解している筈なのに。どうして、マリコと会ってしまうのだろう。咲子は、重い溜息をつく。

 マリコは「ビールもう一杯ちょうだい」と、マスターに注文する。顔は赤く染まり、ふらふらだ。既に酔っているのだろう。

「あ、咲子。思い出した。出産の前に、彼氏作らなきゃダメよ。選り好みしてたらダメ。結婚、行き遅れちゃうから」

 優しくて素敵な夫、三人の可愛い子供たち。マイホーム。幸せの全てを手に入れた親友のマリコは、咲子にとって人生の勝ち組だ。

 もちろん幸せなんて、人それぞれということは理解している。

 それでも、36年彼氏が一度も出来たことがない咲子にとって、すべてを手に入れたマリコはとても眩しい。

 ——出産が鼻から西瓜を出すような痛みなら、初体験はどんな痛みなのだろうか。

 咲子からすれば、出産の話は難易度が高すぎる。

 子供を産む時に鼻から西瓜を出すような痛みが起きるならば、男性との初体験では、一体どんな痛みを伴うのだろう。

「咲子、休みの日は何をしているの?」

「うん。本読んだりとかかな……」

「家で本ばかり読んでたら、出会いなんて無いじゃないの。婚活はしないの?」

「今は忙しいから」

「彼氏もいないのに、忙しいの?どうして?」

 でた。マリコの、「どうして?」攻撃。こちらが隠したいと思って、あえて言葉を濁してるんだから、それくらい気づいて欲しい。

 マリコはいつも、土足でずかずか人の心に踏み込んでくる。彼女に悪気はない。でも、悪気がないのが、もしかしたら1番悪なのかもしれない。

 それでも咲子が友人関係を止めないのは、マリコが彼女を誘い続けているからに他ならない。

 面倒と感じつつも、心のどこかで満更嫌でもないと思っているから、誘いに応じてしまうのか。

 まぁ、誘いを断るのが面倒というのもあるけど。正直のところ、咲子も自分でよくわかっていない。

 咲子が休日に忙しいのは、理由がある。咲子は、OLとして働く傍ら、副業でゴーストライターとして小説の仕事を続けている。小説の仕事は、親にも、マリコにも。誰にも、内緒だ。

 ——私の仕事を知ったら、心配するだろう。まさか私が、官能小説を書いているなんて。

 咲子がゴーストライターとして官能小説を書き始めたのは、20年前の「ある出会い」がキッカケだ。

【20年前】


 蝉のけたたましい鳴き声が、街中にとどろく。咲子は、じんわりと汗ばむおでこを、そっとハンカチで拭う。

 咲子は、クラス中をふと見まわす。人目に触れぬよう、こっそり手を繋ぐ男女の姿。お互いに顔を寄せ合い、じっと見つめ合うカップル達。

 クラスメートの中には、どうやら夏祭りに向けて、ちらほらとカップルが誕生しているようだ。地元では、夏に訪れる大きな祭りがある。

 毎年、その時期になるとカップルが急に増え、祭りが終わるとともに別れていく。浮足立つクラスメイトを尻目に、咲子はそわそわしていた。

 咲子は、クラスメイトの片桐に目をやる。飄々とした表情の彼は、一人本を読んでいる。小さめサイズの本だから、文庫本だろうか。何を読んでいるのだろう。

 聞きたいことは、山ほどある。なのに結局、咲子は「片桐君、おはよう」と当たり障りのない言葉をかける。

「咲子、おはよう」と、片桐は俯いて答える。今日の片桐は、目を見てくれない。昨日は、私の目を見てくれたのに。

 やはり、自分のことは好きじゃないかもしれない。私が声をかけるのは、迷惑だろうか。

 片桐と咲子は、隣同士の席だ。「昨日のドラマ、面白かったよね」といった他愛ない話も、もちろんできない訳ではない。

 それでも、いざ彼を目の前にすると緊張して、言葉が出ない。

 ここで何もアクションを取らないままだと、他の女に取られてしまうかもしれない。そこで咲子は、ある行動を思いつく。

 片桐に、「好きです。付き合ってください」と書いたラブレターを渡すのだ。ラブレターなら、恥ずかしがり屋の私でも、思いを素直に伝えられるかもしれない。

 それに文章なら、昔から得意だし。過去には、読書感想文でコンクールに入選したこともある。その出来事は、自信のない咲子にとって、唯一の誇りだ。

 ラブレターを書き始めると、思いのほかすらすらと書けた。

拝啓 片桐和彦様

 蝉の声が轟く季節になりますが、私の心はあなたの涼し気な表情に救われています。満たされています。

 片桐君とは、日々他愛ない会話を楽しめており、私の心はまるでこの暑い季節のように熱いです。

 気持ちが昂るあまり、思わず私は扇風機を1台増やしました。どうやら私の愛は、夏の暑さにも負けない強さを持っているようです。

 私は、隣の席のあなたと、何気ない会話ができるだけでも幸せです。2人で過ごす瞬間を大切に、これから先もずっとそんな日々を過ごせたら……。あなたと出会ってから、2人で過ごす日々を妄想しては、胸が高鳴っています。

 あなたの笑顔、声は、私の全てを満たしてくれます。片桐君、私はあなたのことが好き。これから2人で一緒に過ごし、愛を深めていきませんか?

 片桐君、私と付き合ってください。    伊藤 咲子

咲子のラブレター

 ラブレターを書いた瞬間、咲子は「天才だ」と思った。

 鼻息をふんふんと鳴らしながら、咲子は片桐にラブレターを渡す。これで、私の幸せは決まったと、咲子は確信する。

 しかし片桐は、決まりの悪そうな表情で、「ごめん」と言い、顔の前で腕を「×」にする仕草を見せた。

 まさか、ラブレターを渡す前から断られるなんて。渾身の力作なのだから、せめて一文だけでも読んで欲しい。

 咲子が「どうして?」と言うと、片桐は「今、そういう気分じゃないから」と言い残し、そそくさと去った。

 諦めの悪い咲子は、その後もめげずに、何度も。片桐に、手紙を送り続けた。

 咲子が片桐にラブレターを出した手紙は、合計40通。片桐からは、あまりにしつこいからと言う理由で、「手紙大好きストーカー女」と呼ばれた。

 ラブレターを渡しても、何の手ごたえも感じられない。このままじゃ、他の女に取られるかも。咲子は焦りを募らせた。

 同級生のマリコからは「まだ同じ男、追いかけているの?」と、揶揄われた。

 マリコは背がすらりと伸びた美人で、男子にも人気がある。モテるのに、なぜか男子からのアプローチを断り続けていた。

 マリコには、どうやら好きな人がいるらしい。誰なのか聞いても、笑って誤魔化す。

 まぁ、言いたくないならいいよと、咲子はマリコに答える。その度に、マリコはふふっと笑みを浮かべる。


「おい、咲子」

 学校の廊下で、片桐から呼び止められ、咲子は頬を赤く染めた。もしかして、これはワンチャンあるだろうか。「やっぱりよく考えたけど、咲子と付き合おうと思って」と言われたらどうしよう。咲子は、しどろもどろになる。

「咲子。もうラブレターを渡すの、やめてくれないか?」

「えっ、どうして?」

 咲子は、目を丸くした。

「正直困るんだよ」

 咲子はきょとんとした表情で、片桐の顔を見る。片桐は、どこか決まりの悪い表情だ。

「咲子の内容は、いつも一方的な内容ばかり。それに、内容も重いよ」

「重いとは。一方的とは?」

 不思議そうな表情で、咲子が答える。咲子は、素直な気持ちをラブレターに綴っている。その内容に嘘偽りがないので、どこがおかしいのか咲子には理解できない。

 片桐はふぅとため息をついて、咲子に説明を始める。

「たとえばの話だけど。初めてもらったラブレターに、『私は扇風機を1台増やしました』って書いてあったけど。その情報、必要?

ラブレターというより、単なる『咲子の近況報告』だよね?」

「そうそう。扇風機を二台に変えて、涼しくなったよ」

 咲子がニッコリ笑うと、「俺の話を、最後まで聞けよ!咲子、そういうところだぞ!お前がちょっとおかしいのはっ!」といって、怒り始めた。

 何か、悪いこと言っただろうか。咲子は、首を傾げる。呑気な咲子に対し、険しい表情で片桐はこう答えた。

「正直、咲子の情報なんて、俺は全く興味ないから。迷惑。本当なら、1回断った時点で『気持ちがない』って気づいてよ」

 片桐にそう言われて、咲子は呆然とする。咲子の表情が曇り、目に涙が溢れる。今にも泣きそうな咲子を見かねて、片桐は慌て始める。

 片桐は、咲子のいいところを見つけ、途端に褒め始めた。

「でも、咲子のラブレターを読んで思ったんだよね。文章、上手いなぁって思った」

「文章が上手い?」

 咲子は、片桐の顔を見上げる。片桐の表情は、ふざけてなんていない。真剣だ。

「俺に告白するためだけに、咲子の才能を使うのは勿体ないよ。

この才能を、作家として役立てたらどう?絶対売れると思う」

 片桐からそう言われるなり、咲子は「ふぅ」とため息をつく。交際してくれる訳じゃなくて、私に作家を目指せと?

 もしかすると。片桐は、何度も咲子からラブレターを貰うことを、鬱陶しいと思っているのかもしれない。

 もう二度とラブレターを書かないために、片桐は咲子に、他の目標を作らせようとしているのではないだろうか。

 私は作家になりたいのではなく、片桐君とデートしたり、交際したいだけなのに。

「じゃあ、もし小説書いて面白かったら。デートしてよ」

「はぁ?」

 片桐は、すっとんきょうな声をあげた。片桐の表情が、一瞬曇る。

「やっぱりダメ……?」

 恐る恐る咲子が声を上げると、片桐は両手を上げて降参ポーズを取る。まるで、警察に捕まったような素振りがおかしくて、咲子はぷぷっと笑った。

 くすくすと笑う咲子に対し、片桐はやれやれといった表情でこう答えた。

「わかったよ。デート位、一回なら行ってやるよ。そのかわり、プロの小説家として咲子がデビューしたらの話だけどね」

 片桐がそう言うと、咲子は「えっ、本当?」と言って、頬を赤らめた。咲子の表情を見るなり、片桐は「しまった」という表情をする。

 片桐も、まさか咲子がそんな言葉を、本気にするとは思っていなかったのだろう。

 それから咲子は家に戻り、狂ったように小説を書き続けた。それはまるで、何者かに憑りつかれたようでもあった。

 必死に小説を書いたせいもあってか、腕は鉛のように重い。小説を書くのに疲れ、時には授業中にウトウトと居眠りをし、先生に叱られることも一度二度ではなかった。

 疲れた様子の咲子を見るなり、片桐は「おい、大丈夫か?最近、寝てるのか?」と声をかける。そんな優しい片桐が、咲子は大好きだ。

 咲子は、やっとの思いで書いた小説データを、東京の出版社にメールで送りつけた。出版社からの連絡を待つ日々は、ドキドキして眠れない。

 咲子が出版社にメールを送り付けて3日後、出版社から一通のメールが届く。

伊藤咲子様

 お世話になっております。SHOW出版社の編集部長を務める、佐藤雪と申します。編集部では、小説について「時代のニーズにも合っていない」などの酷評が続きました。

 登場人物のキャラクターも、荒削りすぎて上手く書き切れていません。単刀直入に言いますね。あなたの作品は、素人丸出しの小説でした。本当に、大変つまらなかったと思います。

 ネタの引っ張り方も、非常にヘタクソでしたね。ただ、唯一褒める所があるとするなら、文才はあるかと。

 文才だけなら、うちのトップクラスと呼ばれる作家より遥かに群を抜いていますね。貴方の作品は、本当に題材やストーリー自体がつまらないだけです。

 そんな伊藤様に一人、弊社より紹介したい人物がいます。彼女の名前は、月野マリアです。月野が作るストーリーは、私達の間でも天才と呼ばれています。

 ただ、月野は義務教育を受けていません。義務教育すら満足に受けずに育った月野は、小学校レベルの漢字すら書けず、語彙力も無きに等しいのです。

 その理由は、月野は幼い頃に、両親から虐待を受けて育ったからこそ。月野は、幼少期より両親から日々虐待を受けて育ちました。

 月野の精神は崩壊の道を辿り、家出を繰り返していた頃に施設に保護されました。その後、彼女は施設を時々飛び出してフラフラしていた頃に、AV女優のスカウトマンに声をかけられ、瞬く間にデビューしたのです。

 月野は、事務所の意向で整形を余儀無くされ、企画女優となりました。やがて、月野は過酷な撮影をこなし、単体でも売れる女優へと出世していきました。
 しかし、月野は人気絶頂の中、突然「私、ストーリー作家になりたい」と言い出し、AV業界を引退しました。

 既にトップクラスのセクシー女優だった月野の引退は、ファン達を騒然とさせました。

 壮絶な生い立ちを持つ月野の作るストーリーは奇想天外なものばかりで、多くの人たちの心を掴みます。月野だからこそ作れる世界観に、私達は何度も魅了されたのです。

 そこで私は、月野が作り出すストーリーを上手く表現できるような、文才のある人物を探していました。

 伊藤様の小説を読ませて頂いた時に、私は、ピンと来たのです……。文章力が、大変素晴らしい方だと。伊藤様の文才と、月野のストーリーが合体すれば、大きな化学反応が起きると思うのです。

 伊藤様にとっても、きっといい話だと思います。どうか、月野のゴーストライターになって頂けないでしょうか?

 咲子は「ゴーストライター」の意味が分からず、インターネットで調べることにした。どうやら、ゴーストライターとは、作家の代わりに執筆する人物のことを言うらしい。

 佐藤から届いたメールを見た瞬間、咲子はストーリーを作り出す才能がないことに気づく。ならば、才能のある人物と共作をすれば、小説を書く仕事に携われるかもしれない。

 どんな形でも、小説家としてデビューすれば、片桐ともデートできるかもしれない。そう思った咲子は、月野マリアと佐藤に会うことを決意した。

月野マリア

 咲子が出版社に到着すると、そこは錆びれたビルの一室だった。

 いたるところに蜘蛛の巣が張り廻られたビルの中を通りながら、咲子は「本当に、大丈夫なのだろうか?」と、不安になる。

 出版社のあるドアをコンコンとノックすると。黒髪で長身の女性が現れる。褐色の瞳は、濁りがなくて透明だ。なんて、綺麗な人なんだろう。咲子は、ごくりと息を飲む。

「お待ちしておりました。編集部長を務める佐藤雪です」

「どうも……」

 姿勢がよく、スタイル抜群の佐藤は、スーツを綺麗に着こなしていた。

 部屋に入ると、室内は乱雑な落書きで埋め尽くされている。壁には、乱雑に書かれた無数の「いやぁぁぁぁ」「わかるかぁぁぁ!」などの叫び声のような言葉がびっしり。何者かに呪われたような、異様な空間だった。

 床には、何十もの印刷された原稿用紙が散らかっている。無造作に敷き詰められた原稿の中、一人の女が呆然と立ち尽くしていた。

 黒くて長い髪はボサボサで、卵の腐ったような臭いを放つ。あまりの異臭に、咲子は鼻をきゅっと摘まむ。

 女は、暫く身体を洗っていないのか、持って生まれた体臭なのか。硫黄のような、強烈な臭さだった。

 女は、黒髪の隙間からジィッと咲子を睨む。佐藤は女の隣に立ち、涼しい表情で女の説明を始めた。

「紹介しますね、伊藤咲子さん。彼女が天才ストーリー作家の、月野マリアです」

「はぁ。この人が……」

 こんな臭いがきつい女性とタッグを組むなんて、冗談じゃないと咲子は思った。

 佐藤は、不安そうな咲子に対し、「こちらへどうぞ」と、テーブルへ誘導する。テーブルはボロボロで、年季が入っている。椅子も安定せず、グラグラだ。

 キョロキョロと辺りを見渡す咲子に、佐藤はお茶の入ったグラスを差し出す。口にお茶を含むと、すっきりと爽やかな喉ごしに、不安が少し和らぐ。

「今日、暑かったでしょう?遠い所から、ありがとうございます」

 佐藤は、落ち着いた口調で咲子に挨拶した。咲子は「どうも」と、照れ笑いを見せた。佐藤は咲子に対し、これから依頼したい仕事について説明をし始めた。

「伊藤様には、月野の原稿を代わりに書いていただきたいと思っています。

月野はストーリー作家ですが、文章は作れません。彼女は、自らの脳内で思いついたストーリーを、人に話すことしかできない女性です。だからこそ、あなたの力が必要です。

月野が作り出す話は、奇抜なものが多く人気があります。彼女の作品は、ドラマ化すれば大ヒットしますし、書籍化すればベストセラーは確実ですね」

 佐藤は、自信たっぷりの声で伝えた。

「ドラマ化ですか。私ドラマ見てないのですが……」

 咲子の両親は教育熱心なため、テレビをあまり見せてもらえなかった。

「あら。最近、『曖昧な女たち』というドラマが放送されていたと思いますが、伊藤様はご存知でしょうか?」

 佐藤の話に対し、咲子は首を横に振った。

「伊藤様、曖昧な女たちを知らないのですね。視聴率はかなり高くて、平均10%をマークしてたんですが……。

実はこのドラマのストーリーを考えたのも、月野マリアです。

ヒットメーカーとして月野は素晴らしい才能を持っていますが、一つ問題がありまして。それは、彼女の作り上げた作品を書く作家達は、次から次へと精神を病んでしまうのです」

「精神を病む?」

「はい。伊藤様は、芥川賞を20歳で受賞し天才と称された沢村健二という作家をご存じでしょうか?」

咲子は、首を縦に振った。沢村健二といえば、彗星の如く登場したものの、突然活動を休止した作家だったはず。

「沢村は、デビュー時はカリスマだと持て囃され、多くのヒット作を生み出しました。

しかし、時が経つごとに少しずつオリジナルの作品が描けなくなったのです。

売れない時代は、月野マリアのゴーストライターをしていました。ところが、沢村はその途中で病んでしまったのです。

沢村は、繊細な心の持ち主でもありました。おそらく、月野が作り上げた世界が、彼には刺激が強すぎたのでしょう。

このように、他の人間が月野の世界を作ろうとすると、精神崩壊の道を辿りやすいのです。彼女の独特の世界は、刺激が強い世界です。

でも伊藤様よりメッセージをもらった瞬間、大丈夫だと私は予感したのです」

「えっ。それはどうして?」

 あの簡素なメールだけで、なぜそんなことが理解できるのだろう。咲子は不審に思った。

「伊藤様のメールを拝見して、世間知らずな女だと思ったからです。あんな屑みたいなストーリーを、よくもまあ作って出版社に持ち込もうと思ったなぁと、私は大変感心しました。

伊藤様の図太い神経なら、月野の作品で神経が壊されることは、おそらく無いだろうと思ったのです」

「はぁ。神経が図太いって……」

 失礼な佐藤の言い方に、咲子は苛々を覚えた。そんな咲子に、佐藤はさらに失礼な発言を続ける。

「伊藤様。あなたは一人でストーリーを作るのは、ハッキリいって無理です。

しかし、月野がいればデビューできます。双方にとって、メリットはあると感じるのですが。伊藤様、いかがでしょうか?」

 月野マリアとタッグを組めば、小説家としてデビューできるかもしれない。片桐君と、念願のデートが叶うかも。

 咲子は躊躇うことなく「契約します」と、二つ返事で応答した。

第二話へ続く

【第2〜9話までの、各話リンクはこちら】

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