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処女、官能小説家になる【第六話】

【第五話までのストーリー】
 咲子と幽霊となった月野マリア合作の「モンスター」は、瞬く間にヒットする。そんな中、咲子はマリコから、片桐と付き合っていることを打ち明けられる。

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第六話

突然の告白

「えっ」

 咲子はマリコから突然、片桐と交際していることを打ち明けられた。咲子は動揺する。

「そうだったんだ……。よかったね」

 交際の事実を聞かされた以上、そう伝えるしかなかった。するとマリコは、ムッと顔を顰める。

「咲子。どうして、私に『悔しい』って言わないのよ。本当は、ずっと彼のこと好きだったんでしょ」

 そう言うなり、マリコは持っていたペットボトルの蓋をくるりと開け、咲子にパシャンとかけた。

 頭から滴るジュースが、唇の隙間からすうっと入り込んでいく。ほんのり、しょっぱい味がする。

「実は私さ、ずっと咲子に嫉妬してた」

「どうして?」

 咲子は目を丸くする。マリコは、やれやれと頭を抱えた。

「いつも片桐君と、こそこそ2人で何かやってるでしょ。彼に聞いても、教えてくれない。何やってるのよ」

「それは……」

 言えない。そもそも2人で官能小説を書いてることは、そもそもSHOW出版社との契約で口外してはならない。でも、マリコは私たちが2人で動いていることに気づいているみたい。なんとかして、誤魔化さなきゃ。でも一体、どうしたら。

「ごめん。ちょっと訳あって、彼にサポートしてもらってる。でも、マリコが嫉妬するような内容じゃないから。安心して」

 マリコは、眉間に皺を寄せる。鬼の形相だ。

「ふざけないで。嫉妬するに決まってるでしょう。こっちは、片桐君の彼女なの。彼女が不安にならないよう、ちゃんと説明してよ!」

 そう言うと、マリコは宙に向かってペットボトルを放り投げた。ペットボトルは、カラカラと音を立てながら床を転げていく。

「それが、説明できないの。実は、人に口外できない契約をしていて。だから、ごめんね」

「咲子、いい加減にしてよ!」

 マリコが、掌を振り翳す。

「やめて」

 マリコの腕を、咲子は両手でグッと掴む。

「離してよ。あんたにビンタでもしないと、私の気が済まないじゃない」

「暴力はやめて。そんなことしたら、私たちもう友達でいられなくなっちゃう」

 咲子がそう言うと、マリコはぐっと涙を滲ませる。大きな瞳からは、涙が滴り落ちていく。マリコは咲子へビンタをするのを諦めたのか、へなへなとその場へ座り込む。

「私、悔しかった。付き合い始めても、彼は咲子のことばかり。

咲子と会う用事があるからって、デートがドタキャンになったことも一度や二度ではないわ。

一体、あなたの何をサポートしているかは、知らないけどさ。彼と2人だけの秘密を共有しているのも、私は許せなかった」

 そう伝えるなり、マリコは大声で泣き喚き始めた。いつも涼しい顔のマリコも、嫉妬なんてするんだ。

「彼があまりにも、咲子が一緒にいるもんだから……。私は、嫉妬してた。嫉妬に耐えられなくて、一度は別れたわ。

でも結局、彼のことが諦められなくて。最近、ヨリを戻したんだ。ごめんね、咲子。ずっと黙ってて」

「こちらこそ、不快な気持ちにさせてごめん。でも、あなたが嫉妬するようなことはしてないから。安心して」

 咲子は、泣き崩れるマリコを介抱する。本当は、自分だって泣きたい。彼への失恋を、こんな形で知るなんて。あんまりだわ。咲子は、ぐっと涙を堪える。


 この出来事から、咲子は片桐の顔をみて話せなくなった。

 それでも、仕事は続けなければならない。月野が残した原稿は、まだたくさん残されている。すべて、文章として形にしなければ……。

 咲子は、原稿の見直しを片桐にお願いする。片桐は、黙々と原稿をチェックする。

 咲子と片桐とのやり取りを、幽霊になった月野がそっと見守る。いつもと変わらない仕事風景。変わったのは、咲子の複雑な恋心だけだ。

「咲子、最近顔色悪いよね。どうした?体調悪いのか?」

 片桐が、心配そうに咲子を覗き込む。薄茶色の瞳には、咲子の泣きそうな表情が映っている。

「片桐君。なんで、いままで私に嘘ついてきたの」

 咲子は、もう耐えられなかった。

「は?」

「マリコから、全部聞いた。マリコと付き合っているんでしょう?」

 片桐の顔が、一瞬曇る。

「ああ。マリコから、聞いたのか」

 咲子の瞳から、大粒の涙が溢れて止まらない。咲子が泣き始めると、片桐は途端に狼狽始める。女性に泣かれるのが、彼はたまらなく嫌なのだ。

「泣かないで。ごめん、そんなつもりじゃなかった。俺は、咲子のサポートができて、やりがいもあるし楽しいよ。

でも、咲子は俺にとって、そういうのじゃないから。前も言ったよね?」

「うん。私と付き合う気がないって話は、散々聞いた。でも、こんなに一緒に過ごしていたら、少しは期待しちゃうじゃない……」

「ごめん。期待させてたのか。なら、悪かった。俺はもう、てっきり咲子が仕事のパートナーとして割り切ってると思っていたから」

 片桐は申し訳なさそうな表情で、咲子の手を取ろうとした。咲子は、思いきりその手を振り払う。

「うっ……うっ……。その下手な優しさが、片桐君の狡さだよ。諦めたいのに、諦められないじゃない」

「ごめん。ごめんな。もう泣かないで」

 片桐は、咲子の背中をさすり続ける。片桐は困惑したのか、キョロキョロと辺りを見渡し始める。ふと思いついた表情で、ポケットからハンカチを取り出し、咲子に渡す。

 ハンカチはくしゃくしゃなままだ。ハンカチを見るなり、咲子はぷっと笑った。悔しいけど、憎めない人だ。

「俺は、この仕事楽しいよ。仕事へ真摯に取り組む咲子のことと、人間として好きなんだ。でも、女性として見ることはできない」

「どうして」

「出会った時から、ずっと。元クラスメイトの友達としか思えないんだ」

「嘘よ。異性と思えない人と、こんなに長く過ごせる訳ない。

一度、私にキスしてみてよ。本当は、少しアリだと思っていたんじゃないの?」

 咲子は、すっかり気が動転していた。

「はぁ?突然、何を言うんだよ。俺は咲子の親友の彼氏だよ……」

 片桐君は渋い顔をして、首を横に振る。どうしても、私はダメなんだ。ふつふつと、怒りが込み上げる。咲子は、片桐の顔を思い切り両手で掴み、キスをした。

「やめろ!お前は、は・じ・め・てだろ?

男とキスしたこともないだろう?もっと、自分の事大切にしろ。焦ってんじゃねぇ!」

 そういって、片桐は咲子を思いきり突き飛ばす。片桐に突き飛ばされた途端、咲子の中にあった糸がぷつんと切れた。

 衝動的に、咲子は片桐の頬を思いきり「パァン!」と引っ叩く。「痛っ!」と、片桐は悲鳴のような声をあげた。

「あなたとは、私。もう一緒に、仕事出来ない。さようなら」

 咲子にとって、大好きな人と一緒に仕事ができた数年間は、夢のような日々だった。でも、この関係はもう終わりにしなきゃいけない。

 ——片桐君は、私が恋愛未経験だからって、馬鹿にしてるんだ。出会った頃から、ずっと……。

「もういい。部屋から、出て行って」

 こうして咲子と片桐のコンビは、僅か四年で幕を閉じた。一人になった咲子に、背後から見守っていた月野は「それでいいの?」と声をかけた。

 この日の月野は、ストーリーを作るのが得意な人格「ヒトミ」だ。ヒトミはちょっと姉御肌で、どこか馴れ馴れしい。お節介なところは、親友のマリコにも少し似ている。

「マリア、気にしないで。これは、私たちの事だから」

 咲子は、かったるそうに月野へ伝えた。咲子からすれば、今は誰にも構ってもらいたくなどなかった。

「咲子。私は、片桐に女がいた事も知っていたわ。幽霊である私には、透視能力があるので。人の心が、全て読めてしまうの。

でも今日のあなた、とても格好よかった」

 咲子は、月野の顔を見る。月野は、とても優しい表情をしていた。

月野の思い

「咲子。私は、生きてた頃に一度だけ恋をしたわ。

しかし、私のようなトラウマを抱えた人間が私の事など好きになってくれる訳など無いと思って、何もできなかった。

こんな汚れた体を、誰が愛してくれるのかと。彼は、私が女優をしていた頃のマネージャーだった。

私の事を本当に好きになってくれて、何度かAVの仕事を辞めさせようとしたわ。

でも、既に年単位で契約してた私は後戻りする事など出来なかった。

どんどん、私の撮影は激しくなってゆく、それでも、私を仕事の立場上支えなければいけなかった彼は、次第に狂っていく。

やがて、マネージャーは私の前から、静かに去ったわ」

 月野は、落ち着いた口調で咲子に過去の思い出を話し始めた。

「大恋愛だったのね」

「ええ。あの時、もし。私が素直に彼への想いを伝えて、彼の為に仕事を辞めていたらと、何度思ったか。

咲子は今回、とても頑張ったと思う。でも、もしもっと早くから気持ちを伝えていけば、結果は変わってたかもしれないわね」

 月野のアドバイスに、咲子は苛立ちを覚えた。そもそも咲子は、既に40通ものラブレターを送っているというのに。

「うるさいわね。何をしようが、私の勝手じゃない。だったら、最初からそう言って欲しかった」

 失恋が誰のせいでもないことは、咲子も理解している。咲子は上手くいかない現状に対し、月野へ八つ当たりしているだけだ。

 ——4年前は、あんなにラブレターも書いていたのに。一緒に過ごせるようになると、素直になれなくなってしまった。もし、仕事で傍にいた時にも、想いを伝えていたなら、結果は違っただろうか。それとも……。

 咲子の頬に、ぽたぽたと雫が滴り落ちる。

「月野、私はこれからはあなたのサポートなしで、原稿を完成させたい。1人にさせて欲しいの」

「咲子、私がいなくて大丈夫なの?」

「うん。もう、横からゴチャゴチャ言われるの嫌なの」

 月野は、消えるような声で「ごめんなさい」とだけ呟き、スウッと消えた。

 そして、咲子は一人になった。

【咲子 25歳】

 咲子が片桐と疎遠になり、5年の歳月が過ぎる。片桐は、マリコと結婚した。

 咲子の元に、2人の挙式、披露宴の招待状が届いた。咲子からすれば、2人の結婚式に朝から晩まで付き合わされるなんて、まっぴら御免だ。

 結婚式の招待状、欠席に○しようかしら。でも、マリコとは小学校の頃から仲良しだから、欠席したら冷たいと思われるだろうか。

 気は進まないものの、咲子は2人の結婚式に参加することを決意する。


 この日は、片桐とマリコの結婚式。チャペルの扉が開くと、白いタキシード姿をした片桐が登場する。

 片桐は相変わらず、八頭身のスタイルと端正な顔立ちで、タキシードがよく似合っていた。

 片桐の姿を見た瞬間、咲子は涙が溢れて止まらない。涙を誤魔化すために、咲子は必死に一眼レフで2人を撮影し続ける。レンズ後しに映る片桐の姿は、涙で霞んでボヤけたままだ。

「これ、使います?」

 隣に座っていた男性が、咲子にそっと白いハンカチを渡す。男性の顔を見ると、咲子は「あっ」と声を上げる。同級生の、塚本だ。

「塚本君?同じ中学の?」と咲子が言うと、塚本はニコッと笑った。

「咲子ちゃん、久しぶりだね。僕を覚えていてくれてたんだ」

 彼のことは、忘れもしない。マリコは、片桐の気を惹くために、過去に「咲子は、塚本君の事が好きなんだって」と、嘘の情報を流したことがあった。

 咲子はあの時、濡れ衣を着せられた塚本を、一瞬でも憎んでしまったことを後悔している。

「すみません。ありがとうございます」

「いや、いいよ。咲子ちゃんは優しいね。親友の喜びの為に、こんなに泣いてくれるなんて」

 やがて、賛美歌の合唱が始まり、奥の大きな扉から、ベールに包まれた花嫁が登場した。マリコだ。

 マリコは、結婚が決まってから一年コースのウエディングエステに通い、体型もかなりスリムになっていた。美しくて幸せそうなマリコを見て、咲子は憂鬱になる。

 挙式はスムーズに進み、ブーケトスが始まった。

「さあ!独身の女子の皆さん!チャンスですよー!今から、花嫁のブーケトスが始まります!ブーケが欲しい方は、前に来てくださぁーい!」

 司会のアナウンスにより、女達がキャッキャッ言いながら新郎新婦に寄っていく。

「えー、百合子が行きなよーっ!」

「やだぁー、恥ずかしいからここでキャッチするーっ!」

 はしゃぐ女子達を尻目に、咲子は隅っこの方でポツンと立っていた。

 ——嫌だ。ブーケなんか欲しくない。

 ブーケをゲットしたら、もれなく片桐君とマリコとの三人での記念撮影が待っているなんて拷問でしかない。

 マリコはそもそも、親友なのか。咲子は、彼女と出会った小学校時代を回想する。


幼馴染

 マリコとは、小学生の頃に出会う。マリコはいつも人の悪口ばかりで、咲子は嫌いだった。

 ただ、一人ぼっちになるよりはマシだったことと、声をかけてくれたのが彼女しかいなかったため、渋々友達になった気がする。

 マリコは、人の真似をするのが好きな女だった。咲子が黄色い髪飾りを買って学校につけてきたら、真似をする。赤い筆箱を買ったら、真似をする。マリコはいつも、咲子より少し値段が高いものをチョイスする。

「咲子がいつも、私の真似してくるからさぁー」

 真似をするのはマリコなのに。周りはマリコを信じてしまうため、咲子が彼女の真似をしたことになる。

 咲子は、マリコのそんな所が大嫌いだった。だけど、マリコはいつも一人ぼっちの咲子に声をかけてくれた、貴重な友達でもある。


 ブーケトスが始まると、マリコは咲子の方にブーケを投げる。

 咲子は、ブーケを受け取る。周囲から「おめでとうございます」と拍手された咲子は、呆然とした。

 いらない歓声と拍手に迎えられ、咲子は結局、片桐とマリコの間に挟まれ、記念撮影をする。

「咲子ーっ。本当に、今日は来てくれてありがとう!咲子に絶対にこのブーケ取って欲しかったから、私頑張って投げちゃった!

もぉーっ!あんな目立たない隅っこにいるから投げるの大変だったよーっ!?

今度は、咲子が幸せになる番だからねっ!」

 マリコは、飛び切りのスマイルを見せる。咲子は、心の底から吐き気がした。本当、わざとらしい。あの女、本当はそんな事なんて微塵も思ってない癖に、よく言えるわ。

「片桐君。おっ、おめでとう……」

 咲子は、片桐に声をかける。片桐は、ギュッと唇を固く結び、ぱちぱちと瞬きをしている。気まずいのだ。

 記念撮影を終えると、塚本がニコニコと笑顔で出迎えた。

「2人とも、幸せそうだね」

 塚本は、とても嬉しそうだ。

「俺も、片桐とは長い付き合いだからね。あいつは、本当にどうしようもない奴でさ。彼女出来ても、あっちこっちホイホイ行くもんだから。

マリコちゃんと付き合う事になったと聞いた時も、『本当に好きかどうかわからない』と言い出してウジウジ悩むし。

正直、大丈夫かな?と、思っていたんだけどね。本当に、こうして二人の晴れ姿が見れて僕も感慨深いものがあるよ」

 塚本は、そういってニコニコと笑う。いい人だなと、咲子は思う。披露宴のテーブルも、咲子は塚本と席が隣だ。

 マリコのお色直しは、ピンクでフリフリの可愛らしいドレスだった。華奢で色白の彼女によく似合っている。

「マリコかわいいーっ!」

「ほんと、綺麗っ!」

 女子たちが、キャーキャーと喚きながら、カメラのシャッターを押しつづける。彼女たちは、咲子と同じ小学校の子もいれば、中学、高校の同級生もいた。

 ——この子達、みんなマリコの悪口言ってたのに。

 震える手で、咲子はシャンパンを口に含む。しゅわっとした炭酸と、すっきりした酸味が喉に流れていく。荒ぶる気持ちが、少し和らぐ。

 もしかしたら、2人の結婚を本気で祝っているのは家族、親族と。あとは、隣にいる塚本くらいかもしれない。

 向こうのテーブルでは、酔っ払った男達が「いいぞ!いいぞ!片桐ー!やれやれー!」と、悪酔いしながら野次を飛ばしている。

 片桐は少し苦笑いを浮かべ、マリコは動じずにニコッと微笑む。その微笑みがマネキンのようで、不気味だった。

「それでは、新婦マリコさんから。両親への手紙があるそうです!マリコさん、どうぞ!」

 司会者のアナウンスにより、結婚式恒例の、「家族への手紙コーナー」が始まった。

「おとうさん。おかあさん。いつも、迷惑ばかりかけてごめんなさい。

私は、お父さんとお母さんの子供に産まれて良かったです。ここまで育ててくれて、感謝しています。本当に、本当にありがとう」

 マリコの母は、終始俯いている。無表情だ。マリコの父だけ、目を潤ませている。式に顔を出しているのは、マリコの実母ではなく育ての母=腹違いの母だ。

 そう言えば。マリコはいつも、腹違いの妹ばかり可愛がる継母の悪口を、ボロカスに言っていたっけ。

「あんな女、地獄に落ちて死ねばいいのに。あいつがパパをママから奪略なんてしたから、ママは蒸発してしまった。

ぜんぶ、ぜんぶ、あいつのせい。あの女も、パパも。許さない」

 あの時のマリコの顔、今でも忘れられない。鋭い目つきをしていて、とても怖かった。家庭環境の影響で、彼女の性格は歪んだのだろうか。それとも。

 感謝の手紙には、マリコが腹違いの娘であることは伏せてあった。

 この挙式も、披露宴も。全部嘘だらけで醜すぎる。早く帰りたい。咲子は披露宴が進むにつれ、息苦しさを覚えた。

【続く】

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