視界に映る世界は、ほんの一部だけ。そして、私たちは海に潜った
「沖縄に行って海、潜ってみない?」
妊活が上手くいかず塞ぎ込んでいた頃、夫は私にこう囁いた。海なんて潜ったことないし、私にできるのだろうか。
正直、誘われた時は不安だった。泳げない訳ではないけど、決して得意ではない。
「インストラクター付きのツアーだから、大丈夫だよ」
怪訝な表情の私に、夫はこう答えた。ずっと暗い顔をしていたから、彼なりに励ましたかったんだと思う。
私たちが潜ったのは、沖縄の恩納村にある「青の洞窟」だ。
所詮、観光スポットといえども日本だし。どうせ、そんな大したことないだろうと思っていたが……。
舐めていた。
光に照らされた水面は、宝石のようにキラキラと眩しい。海に潜ると、深いコバルトブルーの世界が広がっていく。
潜る前と後では、世界が一変する。海といえども、見方によって色んな顔があるのだろう。
海底には、幾多もの魚たちの姿が。まるで水族館の中に潜り込んだような気持ちになった。
手を伸ばせば、すぐに魚たちと触れ合うことができる距離に私たちはいた。
でも、いざとなると手を伸ばすのも躊躇してしまう。魚たちにも、それぞれの生活がある。
変わらぬ日常を送る魚たちの生活。そう簡単に、私たちが邪魔しちゃいけない。
そんなことを思いつつも、我々は当たり前のように魚を食べているし。偉そうなことは言えないと思う。
私はヴィーガンではないので、魚も肉も食べる人だ。でも、彼らにも私たちと同じように生活があるんだなぁと思うと。
なんだか悪いことをしてるような気もした。だから、「肉と魚を食べません」と言う人の気持ちもわからなくはない。
海に潜ったあの頃、私の脳内は妊活で頭がいっぱいだった。
40才を迎えた私にとって、妊娠適齢期はとうに過ぎている。子どもが欲しいと、何年も病院へ通い続けた日々。
沖縄旅行の数ヶ月前には、人工授精も試した。結果はNG。そこで「体外受精に挑戦したい」と、言い始めた矢先に、私は夫へ「海に潜ろう」と誘われたのだ。
あの時は、彼が海に誘った理由を理解できなかった。海に潜ったところで、妊娠できる訳ではない。そんなお金があるなら、治療にお金を回すべきだ。夫に、毎日のように口を酸っぱくして言い続ける日々。
夫はいつもオロオロしていた。子どもができないなら、夫婦で楽しく過ごせれば良いし。僕はそれでも良いと語った。
妊活に関しては「夫に子どもを……」と言うよりは、ほぼ私のエゴで進めていたように思う。
本当は、私だってそんなこといいたくない。でも、妊活には適齢期がある。だから、一刻も早く結果を出さないといけない。
そんな私に、夫は「海に潜ろう」という人だった。
あの時、もし一緒に悩んでいたままの状態だったならば。今頃、私たちは路頭に彷徨っていたことだろう。
真逆のタイプだからこそ、私たちは支え合うことが出来るのかもしれない。
あれから半年後、私は体外受精で無事第一子を妊娠。
その子は先日、4歳の誕生日を迎えた。
娘が大きくなったら、今度は家族3人で海に潜りたい。
人生、生きてると辛いこともたくさん訪れる。どん底に落ちると視野は狭くなるし、塞ぎ込んでしまいがち。
だからこそ、広い世界を知って欲しい。空や山を感じたり、海に潜ったりしてさ。
街の中に佇んでいると、慌てふためく人々の群れが犇めき合う。歩幅を合わせるべく、急足になることも少なくない。
隣の人と、歩幅を合わせなきゃ。足並みを揃えないと。でも、そうすると。どんどん苦しくなってしまうのだ。
辛くなったら、空を見上げてみる。天高く飛び交う鳥たちの囀り。海に潜れば、懸命に泳ぐ魚たちの群れと出会う。
この世界で生きているのは、人間だけじゃない。
自然と触れ合い、色んな命を通じて、娘には世界を広げて欲しいと思う。
【完】
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