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お金で買えないものばかり求めて三千里

年々、私が満足するレベルが低下している。

最近満足するのは、美味しいものを食べたとか。可愛い洋服が買えたとか。

今の私は、お金で解決できるようなものである程度満足できるようになった。私は、お金で解決できるレベルで満足できるのは幸せなことだと思っている。理由は、お金さえあればいくらでも満足できるから。

その一方で、お金で買えないものへ価値を感じる場合はそう簡単に手に入らないので、満足度のレベルがかなり高いと思っている。

たとえば対人関係とか、仕事のスキルや評価などなど。こういうものは時間、本人の能力、努力、運、対人関係、縁など色々な要素が絡んでくるし、お金では絶対に買えない。だから満足するのが物凄く難しい。

そんな私も、数年前まではお金で解決できるようなものでは全く満足できず、これらの要素をずっと求めていた。

もっと自分にはできるはずだとか、何ができるだろうかとか。スキルや、世の中への貢献度とか、他者からの評価などなど。思うような結果が得られないと落胆するし、自分はもっとできるはずだと想像したり。そんな終わりのないことを永遠に続けていた。

思い起こせは、私はずっと目に見えないもので自分を満たそうとしていたと思う。

しかし、目に見えないものは流動性が高く、時代やその時の対人関係でいくらでも変化する。だからこそ満足するのはとても難しいのである。

どんなに頑張っても、評価されても心が満たされない。

いつも根底にあるのは、自分自身を満たしていないという事実。だからこそ、人に何かを与えても「なぜ自分ばかり」と思ってしまう。

まずは自分を満たすことが大事と認識してから、行きたい場所に出向く、食べたいものを食べるように意識を向けていった。

お金で解決できることなどタカが知れてると思うかもしれないが、小さな満足度を増やすことは自分を満たすことに繋がると私は信じている。

そして、自分を満たすことでやっと人に与えることもできるようになるのだ。

もちろん自分を差し置いて他人に分け与えられるマザーテレサみたいな人も、世の中にはたくさんいる。

実際、そういう徳の高い方々にリアルで数人お会いしたことがある。

しかし、このような徳の高い人は本当に選ばれし者というか、生まれたところからすでに自分とはステージが違うと思い知らされるような人ばかりだった。

彼らは周囲から当たり前のように愛され、そして分け隔てなく人に与えることができるのだ。執着心も、嫉妬心も持ち合わせていない。

なぜなら、全てを持っているから。

真っ直ぐな疑いのない目で見る彼らは眩しく、笑顔も屈託がない。彼らの穢れのない真っ直ぐな瞳を、私はいつも逸らしてばかりだった。

彼らのようなタイプに憧れはあるが、自分はそうはなれない。

でも、努力で近づけることはできるはずだ。では、どうすればいいか。それは、自分で自分を満たし続けること。

このプロセスを間違うと、歪みが絶対に生じると私は思っている。「いきなり人に」となると、必ずおかしくなる。

だから、まずは自分を少しずつ満たしていく。周りを幸せにするのは、それからでも遅くない。


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