金の星
写真が1枚残っている。
American Schoolの成績表を手に立っている写真だ。持っている成績表には青、赤、銀、と並んだ星のシールの最後に金の星が貼られている。はじめてクラスで一番の成績をもらった時の記念に両親が写してくれたものだ。
6歳から9歳まで通っていたブラジルのEscola Americana de Santosには日本人はもちろんアジア人は私達姉妹以外いなかった。全員白人(主にアメリカとヨーロッパから駐在)の環境に放り込まれた私にとって、彼らが日常話すポルトガル語も、授業中使われる英語も聞いたことの無い音だった。
わからないと置いていかれる。置いていかれると仲間に入れてもらえない。仲間に入れてもらえないといじめられる。子どもの社会は弱肉強食だ。サントスでは街中でも私達親子の後ろを「シネーズ、シネーズ」と指で目を釣り上げ、囃し立てながらついてこられるなど日常茶飯事だった。異文化で生活するということはそういうことだ。立ち止まってベソをかいている暇はない。
同じ学校内の幼稚園にはオムツが取れるか取れないかの3歳の妹も通っていた。私一人ならいいが、妹がいじめられるのは我慢ならなかった。(私の心配をよそに、妹にはいじめられた記憶があまりなかったようだ。)
「いじめられないようにするには、どうすればいいか」6歳なりにたどり着いたのはこの3択「可愛いか、スポーツができるか、勉強ができるか」。生き延びるための戦略だった。
欧米人の規格から見て「可愛い」には程遠く(目鼻の配置からして違う)、スポーツに自信のなかった私に残された道はただ一つ、「勉強」でいちばんになることだった。発熱するほど自分を追い込んで、何日か休まなければならなかったほど根を詰めた甲斐あってクラスで一番を勝ち取った時の精魂尽き果てた顔があの写真だ。(動物界の生存競争は二番や三番では意味が無い。何が何でも一番にならなければ使えないのだ。)
そうやって、私は居場所を作った。
成績表に貼られた小さな金の星のシールと、ご褒美にもらった金色のメダル(今でも持っている)の感触。6歳の世界はキラキラしていて、手で触れるぐらいわかりやすかった。
「世界に自分の居場所を作る」体験、思えばあれがはじまりだった。
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