珈琲と本とぼくのこと

茅ヶ崎辺り、珈琲と本とでほっこりしながらモヤモヤ語り合えるノンバイナリー。こころに浮か…

珈琲と本とぼくのこと

茅ヶ崎辺り、珈琲と本とでほっこりしながらモヤモヤ語り合えるノンバイナリー。こころに浮かんだ値段を受けとる珈琲屋。 https://note.com/michinosolajini0/n/n56b44da31c63

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  • とまり木の木(本棚主さんたちのオススメ本一覧)

    • 24本

    「話せるシェア本屋とまり木」のシェア本棚を利用して、本屋さんをしてくださっている皆さんのオススメ本をご紹介。 本を通じて、安らぎを感じられるような新しい本や人との出逢いのきっかけになりますように!

記事一覧

広島と戦争のこと、思うこと

広島の大叔父がなくなった。すぐに行けなかった広島へ、父が行くと言うので伝言を頼んだ。大叔父が残してくれた本の内容を記事にしている旨、伝えておいてと。親戚は気のい…

栗から芽が出てきまして…

3、4年ほど前の秋のこと、ご近所さんから生栗をいただいた。ビニール袋に10個ほど入った栗たち。「かなり美味しい栗だから」といただいたのに…茹でるのか焼くのかどう食べ…

そうだ。坐禅しよう!と京都へ行って

自分のなかで区切りを付けたくて、坐禅しようと京都に行ったのが一年前。「そうだ。京都へ行こう」と思いつきだったのもあり、正直、何しに行ったんだろう?感も否めなかっ…

外で淹れて飲む珈琲って、美味しいんだね

かなり性能の良い保温水筒を手に入れて、沸かしたお湯と珈琲器具を持って公園へ。のどかな春の陽気にひとり、ベンチに腰掛け珈琲を淹れて飲んでみた。風を感じながら飲む珈…

どうして自分のアイデンティティを名乗るんですか?という質問に関して

ぼくは基本的な姿勢としてジェンダーアイデンティティを隠していない。その場面場面で適応することはあるけれど、訊かれたら誰に対しても話している。そうしていたら、「ど…

二宮にて

茅ヶ崎から東海道線に乗って西へ3駅目。二宮に降りてみた。雨なのに。わざわざ。自分でもなんで行ったのかよくわからない。何にもならないだろうと思ったけど、行ってみた…

知りたいのは、好きな色や苦手な色とか、そういうことだったりする

一期一会の場合はともかく、まだよく知らない、けど、これからも関係していくだろう相手の何を知っておきたいだろうか。自己紹介とか、お互いを知るときに何を訊くか。ぼく…

はみだしの哲学対話会

ぼくは今、茅ヶ崎で間借りでコーヒーを淹れています。コーヒーの楽しみ方は、仕事の合間に、話のお供にと自由。そして、コーヒーの値段も自由。定価を決めずに、こころに浮…

「女性/男性は〇〇」といった認識にモヤっていたけど、そんなのはそもそもテキトーなのか、と腑に落ちた話

その答えは、直接的にジェンダーをテーマにしているわけじゃない本に載っていた。 人類学者、松村圭一郎の『はみだしの人類学』を読み進めていたら、「選びとられるカテゴ…

代名詞は保留中

代名詞は保留中。 それは文化の問題だから。 少しずつ、 しっくりくる文化に変わっていけたらいいな。 お兄さん、お姉さん お母さん、お父さん おじさん、おばさん おばあ…

毎月ちょっとずつ重ねていきたい対話会

ジェンダー規範って、まるで雨みたいだ。ふってきたからといって文句を言っても仕方がないとあきらめて傘をさすか、閉じこもっているしかなかった。けど、風向きが変わって…

ぼくは、紙ぺら

ぼくは、スクラップブック。 いいな!と思ったものを切り抜いて、 自分にペタペタ貼り付けたり挟んだ結果。 いつも借り物の言葉を使って伝えようととしている。 そうそう…

外食をあまりしない理由は人それぞれだと思うのだけど…

初対面の人たちが数名集まった場でのこと、ある人が「この辺りをあまり知らないので、お昼ごはんが美味しいところを紹介してください」と呼びかけた。それで、自己紹介も兼…

ちっちゃな夢。「醤」を食べてみたい。

万葉集、古典というものは何やら崇高なものだとぼくは思い込んでいた。その思い込みを吹き飛ばしてくれたのが意吉麻呂の歌。 「醤」という存在を、ぼくはこの歌で初めて知…

内ポケットのあるジャケットに、ずっと憧れてたんだ。

最近、自分の姿が見つかったというか、自分をピッタリ入れておける器を見つけたような感覚が芽生えてきたんだ。人って大事なのは中身なんだけど、中身だけじゃ動けない。ピ…

「どうせ無理」を成仏させて

「どうせ無理」を無くしたいという植松努さんの言葉。 そうだよね。そうだったんだよなって思う。直接言われた言葉だけじゃない。間接的に、誰かの何かの言葉から、あきら…

広島と戦争のこと、思うこと

広島の大叔父がなくなった。すぐに行けなかった広島へ、父が行くと言うので伝言を頼んだ。大叔父が残してくれた本の内容を記事にしている旨、伝えておいてと。親戚は気のいい人たちばかりで、「どうぞどうぞ」という感じだったみたい。よかった。 大叔父がみてきたものは、実際にはわからない。だけど、身内の経験はやっぱり他人事ではないものとして入ってくる。原爆だけじゃない。呉の空襲のとき、祖父は本当は呉に戻らなきゃいけなかったんだけど、なんだか戻りたくなくて戻るの遅らせたんだって。そしたら空襲

栗から芽が出てきまして…

3、4年ほど前の秋のこと、ご近所さんから生栗をいただいた。ビニール袋に10個ほど入った栗たち。「かなり美味しい栗だから」といただいたのに…茹でるのか焼くのかどう食べようと考えているうちに、ひと冬が過ぎてしまった… ビニール袋に入ったまま冷蔵庫で半年。案の定、カビたちにやられていた。 せっかくもらった栗がぁぁぁ、、、と、落ち込みつつ栗をよく見てみると、一つだけカビにやられていないツヤツヤな子が生き残っていた。しかも、芽がちょこっと出てきていた! え!マジか!! その生命力に衝撃

そうだ。坐禅しよう!と京都へ行って

自分のなかで区切りを付けたくて、坐禅しようと京都に行ったのが一年前。「そうだ。京都へ行こう」と思いつきだったのもあり、正直、何しに行ったんだろう?感も否めなかったけど…帰りに寄った、京都御所の隣にある梨木神社の雨音が今も残ってる。 坐禅を組むと呼吸が深くなって、感度も上がったのか、京都御所ってすごいパワーが漏れ出てるんだなぁと初めて気づいた。何年か前に京都各所を自転車で巡っていた経験から多少土地勘もあって、帰りの一日はテキトーに気の向くままぶらり。やはり下鴨神社と鴨川が好き

外で淹れて飲む珈琲って、美味しいんだね

かなり性能の良い保温水筒を手に入れて、沸かしたお湯と珈琲器具を持って公園へ。のどかな春の陽気にひとり、ベンチに腰掛け珈琲を淹れて飲んでみた。風を感じながら飲む珈琲は清々しくて、美味い。 公園に遊びにやってきたちいさな子に、「あの人何やってるんだろう!?」と大声で言われたけれど。「こんにちは」と爽やかに挨拶。 誰に迷惑をかけるわけでもなし、ひとり自由にまったり過ごしている誰かの姿を普通に見かけるまちだったら、子どもたちも安心してのびのび育つんじゃないかなって勝手に思ったり。

どうして自分のアイデンティティを名乗るんですか?という質問に関して

ぼくは基本的な姿勢としてジェンダーアイデンティティを隠していない。その場面場面で適応することはあるけれど、訊かれたら誰に対しても話している。そうしていたら、「どうして自分のアイデンティティを名乗るんですか?」っていう質問をされたことがありまして。 「どうして?」っていう質問、なかなか面白いよなって思う。ぼくからすれば。 まぁ、一言で言えば、自分の名前を名乗るのとおんなじような感じかな。 そう言えば、少しイメージできるのかな〜。名乗りたくなる気持ち。 例えば、自分の名前は

二宮にて

茅ヶ崎から東海道線に乗って西へ3駅目。二宮に降りてみた。雨なのに。わざわざ。自分でもなんで行ったのかよくわからない。何にもならないだろうと思ったけど、行ってみた。 吾妻山公園という場所がどんな場所かもよく知らないまま、てくてく。てくてくというよりも、トボトボって感じだったけど。 本当は目的があったんだ。でも、そこはお休みで。本当、何しに行ったんだって思った。半分予想済みのことだったから、まあ、そんな日もあるかと、吾妻山公園を通ってみようと歩いた。正直、疲れていたから、外に

知りたいのは、好きな色や苦手な色とか、そういうことだったりする

一期一会の場合はともかく、まだよく知らない、けど、これからも関係していくだろう相手の何を知っておきたいだろうか。自己紹介とか、お互いを知るときに何を訊くか。ぼくが知りたいのは「色」のことだったりする。 何色が好きですか? 苦手な色はありますか? 「色なんてきいてどうするんですか?」と不思議がられたこともあるけれど、結構重要なことかなって思ってる。それは、カラー診断とか何かをジャッチするための質問なんじゃなくて、ただ純粋に知っておきたいことだったりする。それに、結構実用的な

はみだしの哲学対話会

ぼくは今、茅ヶ崎で間借りでコーヒーを淹れています。コーヒーの楽しみ方は、仕事の合間に、話のお供にと自由。そして、コーヒーの値段も自由。定価を決めずに、こころに浮かんだ値段を受け取っている一風変わった珈琲屋です。 定価という常識を剥がしてみたかったのは、それによって何かがズレてくれたらいいと願ってはじめたんだけど、うまく言葉にできずにいました。でも、その言語化のヒントが、『うしろめたさの人類学』に載っていました。 この『うしろめたさの人類学』という本は、コーヒーととりかえっこ

「女性/男性は〇〇」といった認識にモヤっていたけど、そんなのはそもそもテキトーなのか、と腑に落ちた話

その答えは、直接的にジェンダーをテーマにしているわけじゃない本に載っていた。 人類学者、松村圭一郎の『はみだしの人類学』を読み進めていたら、「選びとられるカテゴリー」という項目があった。そこの言葉に、おお!なるほど!と、手を叩いた。 なんというか、うん。 本当にただそれだけの話なんだろうなって思った。 血液型の性格診断についても、長年ほんと謎だな〜と思っていたんだけど、ある種の遊びみたいなつもりなのかな。ABO式血液型、遺伝の仕組みとか、遺伝子とは何かもきっと知らないで話

代名詞は保留中

代名詞は保留中。 それは文化の問題だから。 少しずつ、 しっくりくる文化に変わっていけたらいいな。 お兄さん、お姉さん お母さん、お父さん おじさん、おばさん おばあちゃん、おじいちゃん 彼は、彼女は、 男女どちらかの性別を表す言葉で呼びかける。 それが日本の文化。 名前で呼ぶのが必ずしも正しいわけじゃない。 義母のことを、婿養子が名前で呼んだら変だろう。 そこはやっぱり、「お義母さん」が筋だろう。 コンセンサスが得られていないことは、やっぱり「変だ」とみなされるもの。

毎月ちょっとずつ重ねていきたい対話会

ジェンダー規範って、まるで雨みたいだ。ふってきたからといって文句を言っても仕方がないとあきらめて傘をさすか、閉じこもっているしかなかった。けど、風向きが変わって、少しずつ弱まってきた感じがする。まだ晴れ渡ることはなさそうだけど、それでも、傘を置いて「やまないねー」「どうしたらいいかな?」「こう思うなー」と話しているうちに、虹がみえてくるかもしれない。 何かとモヤモヤする世の中だけど、そんなモヤモヤを代弁して語ってくれる本がすごく増えてきたなと思う。自分でも気づいていなかった

ぼくは、紙ぺら

ぼくは、スクラップブック。 いいな!と思ったものを切り抜いて、 自分にペタペタ貼り付けたり挟んだ結果。 いつも借り物の言葉を使って伝えようととしている。 そうそうそう!この感覚、この思いを言葉にするならこれだ! そんな言葉を探してる。 本でも、アニメでも、人と話す中でも。 見つけた言葉を切り抜いて、注釈をつけて覚えておく。 ぼくは、本文1ページで注釈100ページの本。 実際にやってみた!そんな経験が乏しくて、本文はペラッペラ。 代わりに、見聞きしたこと、注釈備考参照ばか

外食をあまりしない理由は人それぞれだと思うのだけど…

初対面の人たちが数名集まった場でのこと、ある人が「この辺りをあまり知らないので、お昼ごはんが美味しいところを紹介してください」と呼びかけた。それで、自己紹介も兼ねて順繰りに紹介することになった。 ぼくはほぼ外食しないし、その辺りのことをよく知らなかった。だけど、そういう言い訳は思考停止だと思って頭を捻ってみた。 ふむ。答える人数からして、すぐそこのお店は他の人でも思いつくだろうし、そこを言うのは簡単だけど、つまんないな。他の人なら出てこないであろう場所を言おうと、ちょっと

ちっちゃな夢。「醤」を食べてみたい。

万葉集、古典というものは何やら崇高なものだとぼくは思い込んでいた。その思い込みを吹き飛ばしてくれたのが意吉麻呂の歌。 「醤」という存在を、ぼくはこの歌で初めて知った。解説には「裸麦(または小麦)と入り大豆の挽割とを混ぜて麹を作り、食塩水を加えて樽詰めにし、約十か月間密閉して作る。」とあった。この歌は「醤」の記述がある最古の資料としても価値があるらしく、醤や醤油のお話の際に紹介されているのをみかけたりする。 醤油作りで盛んな千葉では今も作られているらしく、「醤」を使った料理

内ポケットのあるジャケットに、ずっと憧れてたんだ。

最近、自分の姿が見つかったというか、自分をピッタリ入れておける器を見つけたような感覚が芽生えてきたんだ。人って大事なのは中身なんだけど、中身だけじゃ動けない。ピッタリ自分に合う靴を履くことが大事なように、服も大切なんだって気づいた。 「服なんて、別に着られればいい」と、ずっと言ってた。 けど、やっぱりこだわりを持っていたし、本当は欲しかったんだよなって思う。 OPT apparelさんの存在を知ったのは、本当に偶然。たまたま知り合っていた友達の投稿で知った。ぼくは普段、あ

「どうせ無理」を成仏させて

「どうせ無理」を無くしたいという植松努さんの言葉。 そうだよね。そうだったんだよなって思う。直接言われた言葉だけじゃない。間接的に、誰かの何かの言葉から、あきらめていったんだ。自分でも気づかないうちに。 世の中を覆う「どうせ無理」。 『失敗=ダメ』だと思い込まされる言葉と態度に満ちていて。 「どうせ何をしたって意味ないよ」という空気がよどんでる。 そんな空気に踏み込む勇気もなかったぼくは、 そんな空気にのまれたくなくて、逃げ続けて。 そんな自分が情けなくて、悲しかったのか