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広島と戦争のこと、思うこと

広島の大叔父がなくなった。すぐに行けなかった広島へ、父が行くと言うので伝言を頼んだ。大叔父が残してくれた本の内容を記事にしている旨、伝えておいてと。親戚は気のいい人たちばかりで、「どうぞどうぞ」という感じだったみたい。よかった。


大叔父がみてきたものは、実際にはわからない。だけど、身内の経験はやっぱり他人事ではないものとして入ってくる。原爆だけじゃない。呉の空襲のとき、祖父は本当は呉に戻らなきゃいけなかったんだけど、なんだか戻りたくなくて戻るの遅らせたんだって。そしたら空襲があったんだってきいている。


戦争を知っている人たちがどんどん減って…日本の法律も少しずつ不穏な方向に変わっている。

戦争は嫌だ。
絶対に。
大義名分なんか要らない。
そんなの、嘘っぱちだ。
どんな正当化も、「正当化」している時点で嘘つきだ。
ダメなのを知っているから、「正当化」が必要になる。

非人道的な行為に歯止めをかけるため、国際的に禁止されている兵器もある。原爆は当然そこに含まれている。だけど、「人道的な兵器」とか「人道的な戦争」なんかあるわけない。



憲法だって、「時代の変化に合わせて」というのならむしろ、基本的人権よろしく「天地自然」にもその健やかさを保つ権利があることを保障する憲法ができたらいい。

実際、エクアドルでは2008年にそうした憲法ができたらしい。

ニュージーランドでのことも、もっと話題になったっていいと思う。


世界は事情が混みいって複雑でわからないことばっかりだ。
でも、戦争と格差と自然破壊は根っこの部分で繋がっている。

だからこそ、もっとシンプルに願いたい。
搾取と破壊によらない世界を。







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