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はみだしの哲学対話会


ぼくは今、茅ヶ崎で間借りでコーヒーを淹れています。コーヒーの楽しみ方は、仕事の合間に、話のお供にと自由。そして、コーヒーの値段も自由。定価を決めずに、こころに浮かんだ値段を受け取っている一風変わった珈琲屋です。
定価という常識を剥がしてみたかったのは、それによって何かがズレてくれたらいいと願ってはじめたんだけど、うまく言葉にできずにいました。でも、その言語化のヒントが、『うしろめたさの人類学』に載っていました。


エチオピアにいると、商品交換のモードに凝り固まった身体がほぐれていく。このほぐれた身体で、世界の歪みを揉みほぐしていこう。

松村圭一郎 『うしろめたさの人類学』


この『うしろめたさの人類学』という本は、コーヒーととりかえっこしてもらって知りました。読んで、「これは!」と目が覚めました。



世の中どこかおかしい。なんだか窮屈だ。そう感じる人は多いと思う。でも、どうしたらなにかが変わるのか、どこから手をつけたらいいのか、さっぱりわからない。国家とか、市場とか、巨大なシステムを前に、ただ立ちつくすしかないのか。(略)この本では、ぼくらの生きる世界がどうやって成り立っているのか、その見取り図を描きながら、その「もやもや」に向き合ってみようと思う。

松村圭一郎 『うしろめたさの人類学』「はじめに」


著者は、エチオピアの農村部などでフィールドワークをしてきた人類学者・松村圭一郎。他の著書も読んでみるとさらに面白く、これらの本は、ぼくに限らず「世の中どこかおかしい。なんだか窮屈だ」と感じている人にとって、心の詰まりを取り除くヒントになるのではないか? そう強く感じました。


元々、哲学対話というものを知ってから、ずっとやってみたいなとも思っていました。そこで、松村圭一郎の3冊の著書をテーマに今年は毎月第二土曜日の午後に対話会を開いていくことにしました。


『うしろめたさの人類学』


『はみだしの人類学』


『くらしのアナキズム』


3冊以外にも、合わせると面白いのでは?と思った本もその時々で選び、一緒に囲みながら、集まった人それぞれの「もやもや」を出し合う哲学対話会になったらと思っています。

毎月テーマは同じ。

でもきっと、毎月違った展開になっていくと思います。
深まる「もやもや」の先にあるおぼろげな、でも、きっとこの世の中のいき詰まりを打破してくれるだろう何かを一緒に眺めていけたらなと思います。



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