見出し画像

「女性/男性は〇〇」といった認識にモヤっていたけど、そんなのはそもそもテキトーなのか、と腑に落ちた話


その答えは、直接的にジェンダーをテーマにしているわけじゃない本に載っていた。
人類学者、松村圭一郎の『はみだしの人類学』を読み進めていたら、「選びとられるカテゴリー」という項目があった。そこの言葉に、おお!なるほど!と、手を叩いた。


 ですから、私たちが思わず口にする、「女性は〇〇だ」とか、「日本人は〇〇だ」「公務員〇〇だ」といった言い方は、数あるカテゴリーのなかのひとつをとらえて本質化しているだけなのです。
 そのカテゴリーと結びつく特徴だけが、あたかもその人の性格や人格を構成する「本質」であるかのように錯覚してしまう。でも、それは無数の可能性の中から恣意的にあてはまるものを選んでいるにすぎません。
 そう考えると、血液型の性格診断があたると思ってしまう理由も説明できます。A型の人はこうだとか、B型はああだとか、すでにその説明の仕方は決まっています。それがあたっているように思えるのは、ある人のふるまいがその説明と一致しているときにだけ血液型が持ち出されているからです。
 A型の人がみな几帳面なわけではなく、その人は几帳面な行動をしているときに、A型という血液型と結びつけられる。その人が違う血液型だったら、血液型はもちだされず、別のカテゴリー、たとえば「県民性」や「兄弟関係」などが参照されます。「やっぱり〇〇県人だよね」「長男っぽいよね」などと。

松村圭一郎『はみだしの人類学 ともに生きる方法』


なんというか、うん。
本当にただそれだけの話なんだろうなって思った。

血液型の性格診断についても、長年ほんと謎だな〜と思っていたんだけど、ある種の遊びみたいなつもりなのかな。ABO式血液型、遺伝の仕組みとか、遺伝子とは何かもきっと知らないで話しているんだろうなって思う。

たださ、「ほんとにA型なの?(大雑把だよね)」って、心底失礼な言葉だと思うんだ。どうして血液型の性格診断と一致しない人間が「おかしい」みたいな認識なんだろう? 遊びにしてもタチ悪いし、やめてほしいんだけどな。
でも、そう言う意見は、往々にして聞き入れられないんだよね。

血液型に限らず、無邪気に、「やっぱり〇〇〜」って言う文化が根付いているんだなっていつも思わされる。そうした場面にあうたび、ゆっくりと息を吐いてやり過ごす。

そうゆうのって、明らか因果関係ないやつでも、昔は差別の対象になっていたんだよね。例えば、丙午生まれの女性は結婚が避けられていた、とかさ。そんなの、まじないがほんとに信じられていた古の時代ならまだしも、ぶっちゃけ勘弁してほしいと思う。


うん。だけどそうなのか。
これは、とてもとても根深い脳みその癖がなせる技なのかもしれない。


とにかくこうゆうことは、あくまでも自認として使ってほしいなって思う。「典型的な〇〇です(笑)」。そういう風に自己表現するのは各々の自由だろうから。


ただ、そうではない姿勢を身につけることだってできるんだってこと、動物行動学者でもある日高俊隆の言葉で気づいたんだ。世界をそのまま素直に、そのまんまとらえたっていいんだって。


 日本という枠組みに対してもそうだ。誰のどんな行動を見ても、ああ、この人は日本人だからどうこう、というとらえ方には結びつけない。そういうパターン付けをあまりしない。
 だから、いいかげんといえばいいかげんかもしれないが、もし、京都人や日本人についてどう思うか尋ねられても、やはり、さあどうなんでしょうね、という返答しか、ぼくにはないだろうと思う。
 味覚についても、まったくパターン付けて考えたことがない。
 ドイツやフランスに住んでいたこともあるし、アジアやアフリカに出かけたこともあるが、海外で日本の味を恋しいと思ったことがない。日本の中でも、たとえば西と東の違いに困ったことがない。
 どこでどんなものが出てきても、いい悪いではなく、そこではそういうものを食う、と非常に素直に思うだけだ。

 (略)

 赤ん坊を見れば、ほ乳類の子どもだなと思う。魚は魚の子だなと思う。ある意味ぼくは、人間特有といわれることには無感覚で、猫は猫、犬は犬、魚は魚、虫は虫と、すべて等しく考えているといえるだろう。
 そのような考え方は人間に対して無責任だ、といわれることがある。
 しかしそういうときは、人間にこそ責任があるのではないですか、と切り返すことにしている。人間には、それぞれのいきものを、それぞれのいきものとして見る責任があるのではないでしょうか、と。

日高俊隆『世界を、こんなふうに見てごらん』 イリュージョンなしに世界は見えない 


 なんだかんだいっても、きっとぼくたちは、周りの世界認識に影響されながら、世界を「こうだ」と認識しているんだと思う。

 それでも、「世界を、こんなふうに見てごらん」と、ゆるやかにながめられるようになれたらいいなって思うんだ








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?